シェムリアップの五つ星ホテル エンプレスアンコールホテルに2連泊しました。
プノンペンのホテルも このホテルも シアヌーク王ご夫妻の肖像が飾られており
王に寄せる国民の尊敬が伺えます。日本ではシアヌーク殿下と呼ばれていましたね。
ガイド氏によると この国の首相は34年間も同じ人物で 国の重要機関は全て身内で
固め 自ら任命した者が役職に就くと お祝いにトヨタレクサスを贈るそうです。
首相は次の選挙も出馬予定で 対抗馬や反対派には 大昔の微罪を掘り出して投獄し
農村部には味の素をばらまき 長期に渡り首相のイスに座り続けると聞き 味の素の
ものすごい効き目に 吹き出しました。
34年も続く首相の大きい写真看板が バスの窓からも あちこちに見えました。
独裁的な指導者が長く君臨する国が 世界に増えました。日本もそうなるでしょうか。



ロビーで木琴みたいな楽器の演奏をしていた わろてんかの 葵わかなさん似の女性が
かわいくてパチリです。ドアガールのお姉さんは クメールの微笑み像に似ています。



バスから撮ったので写りが悪いですが 反対車線に女性を満載したトラックが何台も
通り 聞くと縫製工場の従業員を運ぶ車とか。日本は普通車・軽四・バイクも定員が
ありますが この国は乗用車もトラックにも 何人詰め込んで走ってもいいそうです。
車検はあるかと聞くと 自動車の税金がとても高く 中古車を買える人は富裕層です。
中古車の車検を厳しくしたら 使える車がなくなる。車検は検査員にお金を渡せば即
OKが出るそうです。ただし 海外観光客を乗せるバスには 厳しい車検があるとか。



流暢な日本語で 分かりやすい説明の現地ガイド フォン氏の話は胸を打ちました。
私は自分自身の 正確な歳と誕生日を知らない。暗黒のポル・ポト時代は 農村からも
医者・教師・技術者など知識層が連れていかれ処刑された。メガネを掛けているだけで
あるいは 見かけがインテリぽいの理由だけで 処刑された人もいる。
父は字が読めないとずっと思っていたが 恐怖の時代が終り 父が文盲のふりをしていた
ことを知った。ポル・ポトはカレンダーを持つことを禁じたため 生まれた子が 何年に
誕生したか分からず 雨季・乾季生まれの子 としか親は認識できなかった。
ポル・ポト時代が終り学校へ行けるようになり 小学校へ上がった日がその子の誕生日に
なって 右腕を頭上から回して左耳をつかみ どこまで指が届くかで 年齢が決められた。
100人が中学を卒業し 自分を含め3人が高校へ進学した。高校卒業後 日本語学校で2年間
日本語を学んだ。その後日本の旅行会社に就職でき 現在に至っている。
私は8人兄弟で全員一緒に住んでいる。休日は畑仕事をしたり トンレサップ湖にバイクで
行き 投網で魚を獲って 売った残りを家族で食べる。
数年前 ヒナから育てたニワトリを売り 念願の aiwa製中古ラジカセを40㌦で買った。
カセットテープの歌を聞いていたら 煙が出て器械は壊れた。日本とは電圧が違うことを
当時は知らなかったため 悲しい思いをした。
一昨年研修のため初めて日本へ行った。日本の梅酒が人気で あちこちから頼まれており
たくさん買ったら重量オーバーで 空港で6,000円支払う羽目になった。従妹へのお土産に
買ったハウスのカレールーを 板チョコのように彼女が食べたことを 後日知った。
バスの窓から撮ったので写りが悪いですが↓ カンボジアは高温多湿のため高床式の民家は
細く長い柱が家を支えており 家の下にはテーブルを置き作業台にしたり ハンモックを
吊ったりしていました。
地震や台風がないから これほど足長の下駄が出来るらしくて どの家の庭にもお約束の
ように バナナとマンゴーが実をつけていました。


ここはアンコールワット・アンコールトムなど 遺跡へ入るパスポートを発行する国家
施設で ここで一人々々撮られた 写真を貼ったパスポートを首に掛け観光になります。
パスポートは1日有効券代が37US㌦します。他の物価に比べたらとても高く この国の
重要な収入源となっています。1枚につき2㌦が 福祉施設建設に使われると聞きました。
お隣には 北朝鮮が建てた立派な博物館がありました。


椰子糖の木に バケツを持った若者がするすると登っていき 実に穴をあけバケツを
吊るしておくと夕方には甘い液が溜まっており 液を煮詰め 椰子糖を作るそうです。
前回マレーシアで買い忘れましたので 今回は買ってきました。
カンボジアの通貨はリエルですが どこも米㌦で通用します。ただ 1㌦以下のお釣り
になると リエルで返ってきます。
200万人以上の罪なき人々が処刑された時代は そう昔の話ではなく わずか40年前の
ことです。その時代を生き延びた人は 今でも笑顔が少ないといわれます。
カンボジアは若い世代が多く 近年の経済成長も目覚ましくて 今はまだ遅れていても
近い将来 タイやベトナムと肩を並べる国になるでしょう。
猛暑の中を歩いたカンボジアに 数年後また行きたいですが 体力的にもう無理でしょう。
この国の人が暗黒のポル・ポト時代を どうしのぎ どう生き抜いたかを わずかながら
知ったし すばらしい遺跡のアンコールワット アンコールトムを忘れません。

だらだらと長い旅行記に 最後までお付き合いいただき ありがとうございました。