くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

おむすび&形見の品。

2015-08-31 | 食物関係

先日縫った簡単な服を着て 夫のおばの 一周忌に行きました。

高速道路が延びたため 土佐清水市へは ずいぶん早くなりました。

朝早く出発し 須崎で高速を降り たけざきのおむすびを買って また
高速に乗り 道の駅 ゆういんぐ四万十での朝食は 毎度のことです。



おむすび たけざき たまご焼き  で知られるたけざきは 40年前の
結婚当時 コンビニもなく おむすびが商品になるなど 考えもつかぬ
時代から 現場所の小さい店で ひっそり営業していました。

昔から おむすび2個の横に ふっくらといい出汁の たまご焼きが入る
スタイルは 幡多路へと 夜をかけ走る釣り客相手の店でしたが その
おいしさが口コミで広がり 店舗数も増えました  ⇒  

この日は薄曇りで 青い空 青い海に立つ 海中展望塔とはなりません。



「 タンスの着物も  店にある反物も  皆で分けなさい
忘れんと  〇ちゃんにも一枚  分けちゃりなさいよ 」

余命を知ったとき 呉服店を営むおばが言ったそうで 子孫の多いおばが
血がつながらぬ 甥の嫁にまで 思いがけず形見の品を残してくれました。

 


着物の知識はありませんが 深い藍色に 松竹梅の柄でしょうか
横糸がブツブツ出ていますので 機で織った布と思われます。

反物を仕入れ おばが縫ったものです ありがとう 大切にします。

 

 

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簡単スカート。

2015-08-29 | 縫物

昨年夏 93歳で逝った 夫のおばの 一年祭があります。

同じ県内でも遠いため 初盆へは欠席して 一年祭に行くことにし
手持ちの喪服は暑いため 簡単なものを縫いました。

綿レースでTシャツを縫い ウエストが ゴム入りギャザースカートは
縮緬のポリ生地で 布巾いっぱいに長方形を2枚取り 両脇を縫った
だけの 簡単なものです。



昔は 法事ごとは総て家でやり 法事後の宴会も 集落中の女が総出で
手伝い 料理を作ったそうでして 想像するだけでも 大行事でした。

今も 家でやるは同じでも 皿鉢は仕出し屋から取りますので 手伝うと
いっても お皿を並べたり 後片付けくらいなものです。



白の綿レースで ↑と同じくTシャツを縫いましたが 夏の初めに作れば
よかったですね  スカートはリッブルです。

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酋長の娘。

2015-08-27 | 日記
母の施設は 年に一度 入所者の家族が集まり 家族同士の紹介や
施設に対する 要望などを話し合う 家族会があります。

施設の1-2Fに 18人の入所者がおり 最高齢者は 104歳の女性と
聞きましたが 母と階がちがうため 会ったことはないです。

母が入所して 早いもので今月末で 丸6年になり ここでの1-2番を
争う 古株となりました。

会が終り 入所者と家族がいっしょに 施設が出してくれた おやつを
食べる時間になり だんらんの部屋に入ると ばあちゃん達が熱心に
ページをめくりながら アカペラで唄っています。



母の肩越しにのぞくと 歌詞を書いた本を持ち 数人のばあちゃんが大声で
熱唱するは 酋長の娘です。

♪ わたしのラバさん  酋長の娘  色は黒いが  南洋じゃ美人 ♪

ときは明治 高知出身の 森小弁という男が ミクロネシアのトラック諸島で
実際に 酋長の娘をめとった話は 酋長の娘という歌になり こうして唄われ
ばあちゃん達の 愛唱歌になっています。

小弁と 酋長の娘イザベルとの間には 六男五女が誕生し その一族は今
約3千人に増え 現ミクロネシア連邦の大統領は 小弁のひ孫に当たるとか。

次々にページをめくり 切れ目なく唄うばあちゃん達は おやつが出されると
歌は中断です。



おやつを食べ終えるや すぐ歌に入り 今度はノーエ節です。

帰るきね  母ちゃん  耳元で言うと

♪ 三島女郎衆は  ノーエ ♪  唄いながら 母は娘に手をふりました。



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浜すし。

2015-08-25 | 食物関係

回転寿司の 浜すしが高知に出来てから 一度行こうと思っても
いつも駐車場が満杯で もう少し経ってからと 待っていました。

浜すしは すぐ近くに昔からある 浜すしと同じ名前のため なんか
ピンときませんが 回転寿司の浜すしは 牛丼のすき家と経営者が
いっしょとのことで 県内では1号店となります。

平日は 一皿90円という嬉しさで プールの帰り 夫と待ち合わせて
カウンターへ座りました。



パクパクと 二人で22皿也で 食べている間に 前の衝立にこれが見えます。



はいよ はいよ お店の人に はまっこカードをください と言ったらば
「 申し訳ございません 小学生以下となっております 」  とのこと。

あらら 良く見れば 小さい字で ちゃんとそう書いてあります。

おばちゃんは 目が見えんからね  お~の  恥ずかしい。。。
この人は 自分の連れではない  という顔で 夫が外を見ています。

さあ 腹ごしらえが出来たところで 台風に備え 鉢物を取り込まねば
と帰ってきました。

 

 

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お四国巡礼5。

2015-08-23 | お四国巡礼
5回目のお四国は 27番神峯寺 28番大日寺 29番国分寺 30番善楽寺
31番竹林寺と 県内5ヵ寺の予定で 涼しい 朝早くの出発となりました。

バスの中で 初めてお四国を回る数人に 先達さんから配られたものは
お地蔵さまの よだれかけ ではなく お前かけ と呼ばれるものです。

何度も お四国を回った大阪の方が 一つ々々縫って 送ってくださると
聞きました。 お四国巡礼が初めての私は ひとついただきました。



27番神峯寺(こうのみねじ)は 県内のお四国で 最も標高の高い場所にあり
狭い山道を マイクロバスに乗り換え登ると 冷たい岩清水が湧いていました。
 
 


神峯寺の 太子堂へ続く道に 六地蔵があり 先ほどいただいた お前かけを
お地蔵さまに掛けました。


神峯寺から バスは西へと走ります。その途中に この地出身で 数々の童謡を作曲
した弘田龍太郎の 雨の歌碑が立っていました。 歌碑の文字は サリドマイド児として
腕がなく生まれた 熊本県の辻典子さんが 足で書いた文字です。


地中海のような‥‥行ったことはないですがね。 てっぺんはこの地の特産 ナスが
付いています。 琴が浜の海岸線が美しい。  来るによばんよ  台風15号。
 


お昼は 土佐ロイヤルホテルです。


さあ 腹ごしらえも済んだし 次に向かうは 28番大日寺です。 徳島県の 13番大日寺は
済みましたが こちらは 土佐の大日寺です。


先達さんに連れられ 奥の院へ行きました。 参道脇の林には 羅漢さんでしょうか。


願い事をし それが叶うと 穴の開いた石を奉納する とのことで 穴開きの石が
積んでありました。


次は 29番国分寺です。 徳島県の 15番国分寺は済みました。 四国四県には
国分寺が4ヵ寺あり こちらは 土佐の国分寺です。
 


南国市の国分寺を済み 高知市へ入り 30番善楽寺です。 今回の5ヵ寺の中で
初めて行く善楽寺は 土佐神社のすぐ横にありました。


土佐神社は県民には しなね様の名称で親しまれていますが 明日がちょうど
しなね祭で お祭りが済むと 土佐路は秋になると 昔から言われています。

この日最後の 31番竹林寺に着きました。 ああ 帰ったなという気分です。

この日は蒸し暑く 皆がバテていましたので 先達さんが運ちゃんに頼んでくれ
石段を登らなくていい 裏門じゃなかった  西門から入りました  ラッキー!


五重塔の紅葉は 毎年楽しみですが まだ2ヵ月以上かかりますね。


お四国巡礼を始めて 竹林寺の石段の巾が とても広いと気がつきました。


山門には 鎌倉時代の作といわれる 仁王様が立っています。


モネの庭の スイレンと同じ色です。


日頃の不摂生ゆえ バテバテで こんなことじゃ結願はできん と反省しつつ
帰ったら パタンキューでした  これでは いかん。。。
 
   
   
 
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