朝 9時前に母のグループホームに着きました。
この施設から100mほどの整形外科へ 足へヒアルロン酸の
注射を打ちに連れていくためです。
ここが終われば次は 背中のカイカイの皮膚科へ行きます。
ちょうど朝食中であり 9人のおばあちゃんが食事中です。
自分で食べられない人には 施設の職員が食べさせておりました。
母がこの高齢者グループホームに入所して はや6年が経ちました。
7年前 当時現役だった私たち夫婦は 父が亡くなって以来1人暮らし
となった母と3人で住んでおりました。
しっかり者でなんでもできた母が 魚焼き器の火を消し忘れたり
訪問販売の高い布団を買ったりするようになり 昼間1人で家へ
置けず 2人とも定年にはまだ数年あるし と悩むようになりました。
皆さまから グループホームの存在を聞いたのも このころです。
この年から 高齢者がグループホームへ入所するには 住所のある
市の施設しか入れない制度となり 母の住所のある南国市の施設を
捜し 毎週土日には夫婦であちこちの施設を訪問しました。
しかし どこも満員で見つかりません。
たまに空いていても 1カ月の費用がものすごく高く 父の遺族年金で
生活している母には支払えません。
もっと多くの施設がある高知市を捜し しかしお手頃価格の施設はどこも
満員でしたが 順番待ち ということで今の施設へ申し込みました。
ここが無理でも 数が多い高知市の施設に入れよう と決めておりその
少し前に私たちが 老後のために買ったマンションに住民票を移しました。
施設の申し込みをして半年ほど経ったころ 空きが出たので入りますか?
との打診があり母を入所させた次第です。
あれから早くも6年が経ちました。
年に1度 施設の家族会があり 親を入所させている家族が集まり 施設の
職員も交え 要望事項などを話し合います。
その会合が最近あり それによると母が入所した当時は 基本的には食べたり
排せつ等が自分でできなくなったり 寝たきりになったら退所することになって
いた規律が その状態になっても置いてくれ 最期の瞬間までの時間を
つまり看取りまでしてくれるようになり ここ1-2年のうちに何人か看取った
ということでした。
高知県は若者が少なく高齢者が多い県で 母の世代が皆長生きをするように
なりました。
母の施設でも最高齢者は101歳です。
そして子の世代 我々団塊の世代が年々老いており 受け入れる病院の
ベッドが足りなくなった ということでしょうか。
これは親を施設に入所させている家族には とてもありがたいことで 母が
退所の状態となれば 今度は病院捜しが大変 と夫婦で話しておりました。
南国市でもそうでしたが 月々の施設費が高いところはとても入所できません。
これも父の遺族年金がなく 母の国民年金だけではとても払いきれず 不足分
を子どもたちが負担する となると毎月のことであり 大変な重荷となります。
聞けば今現在 空きの順番待ちは50人ほどいるらしく 空くということは
亡くならない限り まず空きは出ません。
母は入所した当時はいやがり
お父さんといっしょに死んじょったら こんなつらい目に合わいでも済んだに‥‥
と泣かれ 私たちもつらかったですが 今はルンルンで施設がわが家となって
おります。
退職後夫婦とも自由な時間が増え 母を引き取る という選択もありますが
1度引き取って暮らし やっぱり前がよかった となった場合1度出たらすぐに
待っている次の人が入所するため 前には帰れません。
少しうしろめたい気持ちもありますが 母が施設で生き生きとすごしている
姿を見れば これで良かったね とトンボと話しております。