北海道の冬は
気楽な気持ちで冬山に憧れたり、
スキーにやってきたりして、
なんとなく、スキー場から、山の樹木にさそわれて
場外に出ると、
気が付かない人は、
ァバンチュ―ルを楽しんで満足かもしれませんが
一歩間違うと、、、命の危険と隣り合わせと言う
知らぬが仏の、、、境界線の日が有りました。
昭和44年、、、東京の高校を卒業した主人と
南紀で13年、東京に転校して
小学校から大学まで、東京で暮らした私が
52年も、北海道で暮らすことになるとは
思っていませんでした。
こんなに長く、、、北海道で暮らすと解っていたなら
東京育ちの、北海道を知らない二人の結婚には
絶対に、、、踏み切れなかったと思います。
結婚するなら、、、北海道の地元の旧家で冬に向かう知恵の神様でないと
冬を知らない、、、って
本当に危ない体験だらけでした。
冬をなめたら,、、いけません、、、(||)
(++)
主人は、眼だけ出してるヤッケを着て、
留萌の宿舎から10分ほどの病院に勤務中の事でした。
何十年も前の建物の木造一階建ての平屋の寮は
雪の季節になると
厳寒のスライド式の木でできた戸が、
開閉困難な状態になるのです。
お出かけ買い物などの時は
スコップを道路わきの雪の土手の手前に
しっかりと、場所を覚えて、リボンを付けて、立ててから
寿町の坂を下って町???っていえば良いのか?
昭和44年の頃は、まだまだ未開のように思えました。
お天気を見計らって、、、
かいものにでたつもりが、30分もしない間に
吹雪で視界がゼロになる時もありました。
知らぬが仏で、買い物に出たはいいけれど、
雑貨デパート風の2階建ての店の風除室で
震えながら、吹雪が過ぎるのを待って
帰れた日は、、、ほっとしました。
東京育ちで、北大で過ごして、
自分だけを冬から守るのに精いっぱいの主人は
病院に泊まりっきりで
新卒の研修期間をフルに活用して
当直室が居場所だったようです。
ほとんど宿舎には帰ってこなかったのは
宿舎が虎落笛と風で
ギーギーと音を立てるのが怖くて
螺旋の太い針金のとびでた二人掛けのソファ―を
ひっくり返して頭にかぶり
それでも寝れなかったらしくて
病院で毎日宿直をしていました。
週末に帰ってきても、
一間しかない宿舎には
一冊の雑誌も、新聞も、なく
TVが、NHKも映らないという
雨降り画面から
とぎれとぎれ聞こえる天気予報が唯一の救いでした。
令和の見事な機能のあるTv。。とは異なり
白黒の、画面が、アンテナが無いために
雨が降っているという
ここは留萌の寿町の崖の上でした。
怖かったね~~~毎日!
なんで?。。。留萌へ来て、、、失業しているかって?
ここだけの話よ、、、愚痴を聞いてくれる??
(この雪は札幌です。留萌の雪は、、、こんなものではありませんぞよ!)
後輩の結婚式に、代表挨拶を頼まれて、
北海道は言ったことが無いからと、、、
3~4回断ったのですが、
北海道からやってきた彼女の大学生活は
当時、大学側からの決定で
代表幹事を引き受けていた私が
彼女の唯一の
女性友達???未満、、、知り合い以上の
相談相手でした。
日本人形のような美人で、
スッピンの雪の肌は、東京美人とは180度違っていて
つげよしはる、、、の漫画に出てくる美少女を
大学生にしたような、、、独特の雰囲気が有ろました。
北海道の雪の肌美人でした、、、彼女はね!
東京の怖さ知らずの彼女も、
隣の明治大学の運動部のキャプテンが実の兄と言う好条件があり、
半年も経つと、男子学生に取り巻かれているというモテモテぶりでした。
北海道では、大きな敷地の大きなお家の娘さんであり、
大学進学は生きる為と言うよりは、
ご実家のゆとりが為せる、、、東京の大学への進学でしたとか?
北海道の名門の私立女子高校は
エスカレーターで女子大につながっているにも関わらず、、、
東京は駿河台の、家賃が飛び切り高い大学の街の
総合大学に進学させることが出来るお金持ちの末っ子。
御隣の6大学の一つには実兄も来ているというすごさ!。
19歳で父を失い、
自活を目指して、必死で、薬剤師の免許や
中学校や、高校の教諭免許を獲得するために
昼間の授業が終わると、
夜間の大学生院生と一緒に
移動教室に行き、
教職受講、、、、それが済むと
21時から23時の終電まで
アルバイトしていた私とは、、、ほとんどすれ違いでした。
父親ナシTT子とは。。心のゆとりが違う。
実家が北海道の有力者であり、、、
彼女は本当は経済学部に行こうかと思ったそうです。
しかし、、、はなっから、、、
理科系は嫌いだったのに
薬学部に入ってので、なんども、、、相談を受けました。
二年の本科に移ると、、、いつの間にか
彼女の姿は消えていました。
経済学部に移動したものと思っていました。
それからは4年以上合っていませんでした。
私は薬理学の教授の推薦で、
東京大学の医学部の基礎の教室に
当初は公務員として、勤務をはじめました。
寿退職する欠員が出来るというので、
その欠員する地位は公務員なので、
安定しているかな?っというくらいの心で
薬理の教授推薦なら、東京大学と言えども、、、きちんとした地位で
仕事も下さるだろうと、
寄らば大樹の陰みたいな、、、未熟な決断で勤務をはじめました。
そして、公務員の使用期間が3か月過ぎて、
正式に公務員の手続きに入る時、
寿退職する30過ぎのおばさんが、、
、破談になったというのです。
本人は、かなりヒステリックになっていましたが、
暖簾のように、私は、自分の仕事だけやっていました。
それからは、、、毎日のように
「私はここにきて長いから、調剤は出来ないし、、、
この仕事は止めたくないので、
あなたなら、22歳の若さがあるから、
ここを辞めて、私の退職予定が、撤回されるのに
協力してほしいのよ、、、
まだ正式には退職の手続きはしていないので
あなたさえ、、、止めてくれれば、撤回できるのよ」
目を吊り上げて、、、なかば脅迫であった。
しばらくは、、、ウンともスンとも答えずに、、、
自分の実験に没頭していたのですが、、、
毎日言われると、、、
「自分も30過ぎたら、、、
この先生のように、、、行き場がなくなるのかな~~~ 」
優秀すぎる周りの中に居るのも
考えものだと、、、カニ所が可愛そうになって来た。
だんだん、、、自分の薬剤師の免許を使えるように
公務員ではなく、
薬剤師としての実力をつけることの方が
「東京大学の、実験室」に居るよりは、
生きてゆくのには自分主体が有って、
良いかもしれない!?」
この女性のように、、、30過ぎて、
再就職に自信が無いという薬剤師は珍しい。
ここに居たら、、、実権家になってしまうのか、、、 と、
だんだん不安になって来た。
日大の薬理に就職が決まったとき、
私を迎えに来てくれた先輩に、相談しました。
「破談になろうが、、、ならないだろううが、、、
彼女は、貴方に辞めてほしいという権利は無いから
無視しなさい、、、」と
言われました。
そのように悩んでいるとき、、、
医学部6年生の学生と、、、
大学院生と、、、
3か月後に留学する博士とが
何を思ったか、、、知恵を下さった。
私の方が
「臨床の院内製剤を学びたいので、
私立医科大学の
臨床部の薬剤師の研究生になりたいので
今の研究が結果が出たら、移動させてください」
「 基礎実験の経験の上で、臨床に移って
実のある薬剤師を目指したいと、、、言えば、、、!
教授ともあろう人なら、、、ビジョンを大切にしてくれるよ」
なるほど、、、先輩にも傷はつかないし。
教授に、直々に、10か月後の退職を申し入れた。
彼女の雇用は繋がり、
10か月の間はは3人体制の実験室となり
和気あいあいと、良い実験の結果が出ました。
私たちのデーターをもとに、外国の機関からの実験費用も獲得でき☜
円満退職で、私は私立大学の医学部の院内製剤の研究生として
ブランクなしで通う事になった。
一か月後には、研究室の月給よりはるかに多い金額が支給された。
「良かった!、、、父が居なくても、、、私は生きて行ける!」
大学病院の正職員として採用されて、調剤業務をしっかりと身に着けて
実験室に居たことが、
処方箋の語ることの多くの意味が読み取れて
「実」のある調剤が、面白く感じる日々となった。
久しぶりに、薬理学の教授の先生の所に逢いに行きました。
その時、、、帰り道、、、白衣を着た「北海道からの麗人」に出逢った。
「思い直して、、、薬剤師免許とることにしたのよ、、、」と言う。
「経済学部より、理科系は時代とともに変化しないから
、、、いいと思うわよ!」
「そういう訳じゃないんだけれど、、、、結婚の花嫁道具として
薬剤師免許って、良いのでは。。。と思いなおしたのよ!」
彼女は、、、悪戯っぽく笑うと、、、
「卒業したら結婚するから!」
細い切れ目をキュート引き上げて、快感の笑いとともに
白衣に手を突っ込んで、実験室に戻っていった。
それからの日々は、、、私に関係なく、、
私の、母の所に遊びに来ていた、
母の母屋に泊まってゆくこともあった。
我が家には、
従兄の家庭丸ごと居候になっていた
戦後の事であるから、
叔父さんも、叔母さんも、母屋の一番いい部屋を占領していた。
女中部屋もあったし、、
、住み込み婦長さんの特別室もあった。
彼女一人が、
母と会話が弾み泊まって行っても、他山の石のごとく
「、、、そうなの、、、母の事よろしくね、、、」で
私は、勤務先に急ぐというすれ違いの知人で会った。
北海道では、、バンカブルな、、、半端ではないお金持ちのお家だと
彼女のアッシー君を買って出ていた同級生が教えてくれた。
もしかしたら、、、私の兄さんの彼女になるといいかもね、、、
母に言うと、、、「そんなんじゃないのよ!」
「考えることが、自由で、薬剤師になるというのもね、、、!
傑作なのよ、、、要するに文科系の広い視野なのよね!」
母は、話し相手として、ユニークで、面白いので
年齢を超えて、話友達だと言った。
彼女は、卒業して、、、北海道に帰って行った。
それから、二年半ほどたって、、、外科医と婚約して、
本人も、結婚相手の先生も、
母に電話がかかってくるようになった。
「母は、彼女の結婚式に、
お前に代表挨拶してほしいと言ってきてるよ。」
どうするの、?」と言うから
「叔父さん(女子大の教授)が家庭教師をしていた同級生も
一部上場の社長と結婚するから、
挨拶してと言われているのよ。」
「どっちへ行くの?」 。。。
「もちろん、、叔父さんの生徒のFちゃんの方へしゅっせきする。
彼女はね、叔父さんお教え子だけあって
早稲田の理工学部の生徒のような
社会に役に立つ人なのよネ。」
薬剤師になって、薬剤師はやっぱり調剤よね!っと、
ところてん突き出しの附属から、女子大進学を思いとどまり
一年浪人してまで、
物理化学担当の教諭だった叔父さんの家庭教師に未来の
薬剤師になりたいという夢をかけて
休まず勤勉に夢を実現した方へ、行くのが道よ!」
はっきりとした、、、社会に役に立つタイプに人でした。
一方、
北海道の彼女は、音楽家のお母さんとは
気が合うかもしれないけれど、、、
私からすれば、手に負えないほど、考えが自由過ぎて
挨拶の言葉なんか、、、浮かんでこないわよ。」
しかも、、、北海道に、、知人の為の、
挨拶の為だけに勤務先は休みたくない、
「 悪いけど、、、Fちゃんの結婚式の出席が先約だから
北海道までは、イクラなんでも行けないわ、、、」
断って、安心していた。
お祝い品を宅急便で送れば、
北海道まで行かなくて済む。
ところが、、、私の知らない所で、
結婚相手の外科医と
彼女と
私の母が、遠距離電話で
懇談の毎日の末、
飛行機切符から宿泊ホテルすべて、
先方が払ってしまって
母の所に送り届けてきたのでした。
母は、、、
「北海道は、こんなことでもなければ、、、行くチャンスは一生ないわよ!」
Fちゃんの方は、
叔父さんの受け持ちの生徒だから、
、叔父さんが出れば済むことよ。」
母は、遠距離電話の会話だけで、
彼女のお相手の外科医に
心をつかまれてしまったのかもしれない。
電話の声は、はきはきしていて、、、
きっとハンサムな、素敵な彼を
彼女は、お前に紹介して、迷って、、迷って遠回りした人生を、
一気に取り戻したことを、知ってほしいのだと思うわよ!
悪戯っぽい所が目立った末っ子だけに
負けてばかりはいられない!!、、て
立ち上がったのね!
私は、人生考えるなら、
条件さえ許すなら、、、
休学して、ほかの学部体験する方が
総合大学を使いこなしていると思うほど青春を謳歌してると思うけどね。
羨ましい自由な青春のできる、、、
リッチな女性が
北海道らしくて、、、雄大なおおらかさだと
素直に、出来る環境に生まれていることが、
「素敵」 に思っていたのが本音です。
北海道からやってきて、
友達だとおもっているから、
自慢できる旦那さんに出逢ったから、、、
おめでとうって、、、祝わってほしいだけなのかな?
行って、祝福してあげれば?
(彼女が私が留守の時も、母の部屋に遊びに来ていました)
ヒコーキの切符だって、ホテルの宿泊券だって、、、
送ってきているのよ!」
この時から母と、彼女夫妻と、当時は後輩だった主人とは、、、
私の頭の上を飛んで
大人同士のお話が成立していたのだと気が付いたのは
ずーと後からでした。
結婚して、留萌の何もない部屋で、、、吹雪と闘いながら、、、
勤務中の薬剤師を退職させるだけの蛮族は、、、どこの誰
明治生まれで。音楽大学に進学して、自分でグランドピアノを買える実力派の母
私は、母の娘だけれど、、、
母のアクセサリーでも、私物品でもないはずでしょう?
北海道の、未来の実家のマスオさん。
母の想いは
サザエさんのような家族を
見つけたと思ったのかもしれません。
未亡人になった母は
父の突然の死を受容できていない、、、!
仏壇には、湯気のあがった一汁三菜が
ミニ盆セットで備えてあるのだった。
父が生きていた頃は、お手伝いさんが食事を作っていたから、
母は子育ての時にも
おむつを洗ったことが無いという、、、
ワセリンを手に塗って、手袋をして
個室でお休みになるという、、、
明治生まれの医師の奥さんは、、、
そういう生活が、実際に出来ていたところ
戦争で、ぞん底になって、、、
再び、、東京に戻れたのだから、、、
「税制が、、、開業医に優遇されていたのでしょうね、、、きっと。」
卒業2年目の内科医が院長の開業医に
勤めてくれる外科医など居るわけはないことだけは
私にも解っている。
命を対象にする医師の仕事は、、、
組む相手は、、、勉強になる腕の良い先生と組みたい!
右も左もわからない、、、卒業2年目の内科医の兄と
組みたい先生は、この世に居るわけはない!。
ミイラ取りがミイラになるのもわからずに、、、
母と兄の、焦る心のままに
目下の我が家に都合のよい人になるしか
道は開けないように思えた。
相手の外科医の卵も、
年老いた両親を東京に置いているから、
やがては帰ると、断言していた。
私は、銭形平次の、欣也ちゃんのような
華のある人が好きだった。
真夜中に、
明日の手術の「イメージトレーニング」をしながら
どこにでも、ひっかけるところが有れば、、、
糸結びの暖簾を作っている
閉鎖された空間で、
サザエの会の中の人のように
自分の世界を持っていて
しっかりと、、、蓋をしている外科医の卵には
手の施しようが無かった。
母は、、、15年間ぐらいは、、、
動物園のゴリラの飼育係になったつもりで
ひたすら,、、習性を学び、
相手のすることを、メモを取るつもりで、
思考過程を把握してからでないと、、、
妻も、患者の一人のように、医の色眼鏡で見ているから
「わかりました、、、」と言って、自分流を少しづつ
実行あるのみだからね、、、と母は言った。
普通の男性のように、、、奥さんの尻に惹かれて
上手に家事をさぼる知恵は無いからね!
大変な時は、通いのお手伝いさんを頼みなさい。
母は毎月私にかかる生活費を送ってくれた。
あたりまえですよ!!!
現役の薬剤師として働いていた私を
退職させて、北海道に、外科医を迎えに、
結婚を承諾したのは、、、母ですから。
外科医を迎えに、、
北海道に、、、行って、
30歳代にはとうきょうに、帰ってくれば良いのですね!。
主人として母が選ぶにあたって
次男であること、
帝国興信所の結婚調査に問題が無かった事、
父上が、何代も続いた田舎の開業医の長男で
医師を嫌って、教育関係の仕事に携わっていた事。
会社の、入社条件のような
砂を噛むような、、、失礼な、、、身辺調査に
私は、、、いよいよ、、、結婚に絶望を感じた。
前後して兄貴は、明治記念館に
結婚相談に行った。
相談の電話が、、、じゃんじゃんかかってきた。
大学の教授からは
我が家では太刀打ちできない富豪の息子さんを
紹介してくださった。
釣り合わなければ悲劇が起ります。
プライドだけは高い母も、兄も、
お金の世界では,、、勝てる相手ではありません。
結婚後のお誘いにも、応じられるレベルをはるかに超えています。
女24歳、、、なんで、、、こんなに、、、
よってたかって、、、リンゴをたたき落とすような
精神的ランボウをするのでしょう。
薬剤師の24歳は、
ま、、、真っ青な、、、リンゴyです。
一人前になるまで、、、30歳まで、、、
腕を磨きたいから、、、邪魔をしないで欲しかった。
プライドの高い母を、、、どうやって、、、
子供たちは、、、守ればよいのだろう。
音楽家の母の、スポンサーの役割も
、、、父は果していたのだから
コンサートはどうなるの、、、
50人のお弟子は、、、閉業したおばあさんのもとに
今までのように、、、通ってきてくれるのかしら、、、
高校生の、、、優秀な弟は、、、医師になると
小学校の時から決めているようだし、、、
卒業2年目の内科医の兄は、、、
電車のつり革が握れないほど、、、
緊張で、憔悴し始めた。
解りました、、、なんだかんだと言いても、、
薬剤師の実力の解らない医師の家の考え方は
私がお荷物なんですね。
未来に置いて、、、発言権があるとか、、、
医師のダンナさんを連れてきて、、、兄の代の開業に
プラスになるなら、、、小姑の存在を許すという訳なのかな?
学生結婚した兄には
すでに長女、長男も生まれていた。
私が邪魔なんですね、、、存在そのものが、、、
父が生きていてこそ、居場所が与えられていたのですね、、、
兄貴には、目下、薬剤師の妹を、抱えるエネルギーが無いという事なのですね。
使用人だと、使える相手なのですか?
いろいろな権利があるからね、、、男社会は
お金が無いのは、、、首が無いのと同じですか?
家を継いだ以上、、、確かに、、、私は目障りかもしれない。
わかりました。全部、、、放棄するという印鑑を押して、
私は北海道に旅立ちました。
家も無い、、、車も無い、、、
車の免許は持っていないが、、、医師免許がある、、、無一文の医師。
奨学金が、、、家賃の60倍もたまっていた。
私は、まず、、、奨学金を一括返済した。
ストーブを部屋の中で焚くという、、、恐怖で、
母は、一生分の前払いで、火災保険をかけて札幌から、
帰って行った。
主人には20インチのカラーTVをプレゼントして、
「お風呂が無いなんて、、、考えられないから、、、
ほくさんバスオールを入れて、
出るときは、老いてゆくからと、大家さんに了承をとった。
1700円の家賃のAPに
20万円以上のバスオールを買ったのでした。
20万円あるのなら、、、風呂のある所に入居できるじゃないの!?
「旦那が、気に入ったAPは、ダメ出しをしてはなりません!」
お母さんの母屋に、家族で帰ってくるのですよ!!
父の突然の早逝が引き起こした
戦いの見えない、、、静かなる、、、陣取り合戦なのかもしれない、、、。
ヒューヒューと、虎落笛の中で、
エックス軸の学生時代とは違って
y軸のゼロ点を下降し始めた現実を恐怖でとらえていた。
主人になった外科医の卵は、母と取引をした。
やがては東京に帰る日の為に
東京に帰る時には、
私の母の、父の残した医療施設に入って
兄弟従兄、、、同志の医師たちと
バンカブルな未来に向かって、、、
戦争で失った総合病院のような
病院を造り、
地域に貢献するという
実現可能な未来の夢と引き換えに、、、
病院設立委員会「淡交会」と書いた
お茶会のような名前の名刺を、兄は、私たちに渡した。
未亡人医なった母の娘は「橋」になる道を歩き始めた。
北海道は、、、私自身の「実」のある出逢いではなくて
「愛」は見当たりませんでした。
。
北海道の留萌の冬の中に
置き去りになったような生活の中で、
かび臭い布団は、湿気でしずくが垂れていた。
天井も、押し入れも、、、水滴だらけ、、、!
これが、、、北国特有の「冬のスガ漏れなのだ。」
おりからのオイルショックで、ストーブには石油が入っていなかった、
両隣の独身の新米医師の部屋はあったかそうで、
マイナス27度のその日も
スキーヤッケを着て、湿った布団を膝にかければ、
体感温度は0度~5度ぐらいの間のように
何とか、、、寒さの痙攣はオサマッタ。
「心の冬の取引は、父が早逝したというエポックが、、、
白鳥座のブラックホールの底の見えない暗黒だった。
マイナスエネルギーが引き起こした。。。そろばん計算だとも思えた。
こんな計算で、未来の開業の医師スタッフを
確保するのは間違っている!」
兄は言った、、、「付き合っても、付き合わなくても同じだよ
医師は、医師を続ける条件しか考えない
特に外科医は、、、「愛」が邪魔な
「技術に走る頭脳の方向性」の
考え方の先生が目立つ。
父もそうだった。
頭脳は技術を駆使する指先に存在すると、、、兄貴は言いたいのか?
薬剤師は、どちらかと言うと、データーを大切にするから、
客観性のある判断に走る。
オレオレ言っていたら、、、老人と、小児の薬の量は
一歩間違うと、、、死に至る。
つまり、、、嫁になるものから見れば、、、
「自分しか愛せない医者バカに見えてしまいうるという事だよ。」
それだけ、命を預かる仕事は、患者さんに集中するから
家内は、付き人を得たぐらいにしか考えていない。
結婚したって、、、「愛なんか期待するな!」
そのエゴな行動が、悪意でなければ、
妻になるものの心得として
「医師をすること」を全力で台所から、、、サポートしなさい。!
「医師をするという事を続けること」は、
他を振り返る時間のない結果だと
認識しなさい!
、自分の時間を捧げて、サポートに徹しろ!!」
(勝手なことを言ってくれました。)
確かに、、、母が音楽と言う自分の生き方しか喜びを見いだせないという
二本立ての我が家では、、、父は54歳で、、、早逝した。
兄貴の言葉であるが、、、
内科医の兄貴自信が、
妹から視ると
「自己愛の塊で、ペットへの愛と、人間への愛が区別点くのか心配なぐらいです」
「 頭は胃カメラと、患者さんと、早期がんの発見しか
考えられない脳に見えた、」
しかし、、、5時には起きて、靴音が聞こえたその姿は
努力に免じて、私のできることをせねばならないだろううと
理屈抜きの、抜き差しならない、、、感情が先に立った。
私には、ゲーテの「スミレ」の詩送って来た未来がどうなるか?
青春の情熱家のファンのなかまも居てくれる。
それに控えて、、、
会っても居ない、、、付き合っても居ない、、、
父の看板に収まってくれるからと言って
「愛」より取引の「合理化されたづ脳の外科医」と
結婚する気は、、、さらさらなかったが、、、。
先輩夫婦が新婚旅行に旅立つと
北海道の結婚式の後は、
北大を案内すると言ってくれるのだった。
北大の銀杏並木も視たかったし、、、
蛍雪時代に出ていた、、、ポプラ並木も視たかった。
その場限りの好意として、先輩御夫婦の顔でも立てることは
やぶさかでは無かった。
薬剤師の仕事は、休みをとる分の
作り置きした頓服薬が必用だった。
総合病院だったこともあり、
各病院の科ごとに
深夜に起こりうる病状の、医師から請求された場合の
処方の割り出しと、対応引き継ぎの作成で
真夜中のオーロラ便になってしまった。
幼馴染の歯医者さんが、真夜中の空港は女性1人より
男がいた方が安全だからと言って
母に頼まれたからと、、、空港まで送ってくれた。
24歳の独身薬剤師って、、、ホント、、、単純です。
「実学だけに、理にかなった言葉には弱い。」
「北海道からは、、、思いっきり美味しい地酒でも買ってくるからね!?ありがとう!。」
私は、内心真夜中の深夜便は初めてだけに、、、
歯科医の幼馴染のお兄さんの申し出が
ありがたく思えた。
今までの空気のような感情と違って、、、
別の心がふっと芽生えた思いで、、感謝した。
遅咲きの青春の真っただ中で、、、
自分の将来が北海道の留萌だなんて、、、
考えの外の現実の中で
一人前の外科医に成ろうとしている、、、なりふり構わず、、、
研修時代を、雪に埋もれて
自分しかない?
??狂気にも通じる、
自分しか見えない外科医の卵が
身近で、
まるで
、ホッキョクグマがオーロラの中に向かって行くような
妻とは名ばかりの外野の私に、、、
遠ざかる、、、白い、、、ホッキョクグマのように
厳寒の冬の中で、「傍観者でありながら、、、」
吹雪で先が見えない外野席で、
主人となった新米医師と、
現実の、、、真冬の中で
先の見えない試合を観戦するという、、、結婚の出発だった。
春になって札幌の拠点のAPが
階下のプロパンガス爆発で
火事になり、焼け出されたが、
修理された風呂のないAPに帰って来た。
きな臭くって、、、住めたものではなかった。
私は、後輩の家を訪ねて、、、
「 せっかくの月下氷人をしてくださったご縁ですが
北海道の厳しさにはついて行けませんので、、、
御顔をつぶすようですが、、、離婚したいと思います。」
主人の先輩の外科医は、、、「月下氷人だなんて、、、
紹介はしたけれど、、、まさか、、、
東京の開業医の娘さんで、現役の薬剤師勤務中の
妻友人が、北海道で結婚するなんて、、、
僕たちは、、、紹介しただけで、、、まさか、、、ホントウニ
本当に結婚することになったときは、、、びっくりしたぐらいですよ、!」
北海道の暮らしを知らないお二人だから、、、
一緒に東京に帰るのかと
そう、、、思ったぐらいで、、、。
結婚離婚は大人同士の先生方の範疇であって
、僕たちは、、、何もしていませんよ。」
傍から、、、奥さんになった友人が言った。
「 まじめで、冗談通じない人だから、、、悪戯は止めなさいって、、、」
先生の方はまじめな人だから、、、悪戯を真に受けて
、、、主人が
履歴書書かせたものだから、、、
お見合いと勘違いして、、、
あなたの阿蘇山頂の写真は、
私が無断で主人に渡してしまったから。
ご主人は、気に入ったのでしょうね、、、
野生っぽい写真だったから。」
先生は、貴方のお母さんに、[直談判]したのだと思うわよ。
あなたのお母さんと、話し合ったのだと思うわよ。」
あなたのお母さんが、
亡くなった主人が若くなって、、
、 帰ってくる気がしたって、」、言っていたから
お母さんの為に、もう一度、札幌で、1人暮らししてから
決めても、、、遅くないんじゃないの?
それでも、、、無理なら、、、止めることはしない。」
「 いつまでも留萌には、居ないと思うから、、、
ついて行かないで、、、しばらく札幌で、1人で暮らしたら?」
そうかもしれない、、、
それから、、
現実に帰ってから、決めてもいいかも、
火事ですっ飛んだ🚻も床も、修理されて、、、きな臭さの残るAPに戻ると、
こんなところに、1人暮らしなんて、、、
焼き鳥に成っちゃう、、、
母が北海道まで来て、
デパートであつらえて、かけて行った
ブルーの基調の豪華なカーテンは、
下半分が焦げて無くなっていた。
。
私はその足で、実家のある東京に帰ってゆきました。
冬の留萌に、、、完全に敗北しました。
立ち直るまでには、、、3か月以上かかりました。
学生時代の独身クラブの仲間たちが
やってきてくれて、、、
「真逆のハワイへのツワーとって、皆でハワイに行って、出直そうよ!」
工業大学に進んで、PC.のプロになって独立して、
キャリアウーマンの親友が
高校時代に誓った私たち!
「結婚に流されない独身主義を思い出して!」と言った。
結婚式には出席してくれたときも
「あなたも、、、結婚するのね、、、残念!」などと、、言っていた。
冬が、、、
北海道の冬が、、、
眼を覚まさしてくれたのよ、、、
私は、高校時代の親友たちと、
ハワイに出発することにした。
ノンフィクションドキュメント、、、いつか続きを書きますね
ご清聴有難うございました