花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

天に自然に、成り行きに謙虚になって、勝手に動くウイルスを見つめる

2021-04-17 04:29:03 | Weblog

 

    

                                                                     

               日本の医療に復活と、

             追い付き追い越せのパワーは

         がんセンターに患者としてかかっていた私が

         受付で観たインフォメーションは

       世界の人々への「各国語で対応のカウンター」でした。

東南アジアの

在る国の御姫様も検診にみえられていて

    弟が担当していたので、、

      私は、待たされるのかと思っていたら、

        お姫様はどなたかに頼んで

          予約時間の通りに検査をしてくれました。

      国際的な受付空間でした。

   弟は日本では「CT??何ですかそれは?」

    研究の始まったころは、

       がんを診断する専門医師でさえ  

           CT開発の黎明期には

    診療が終わってから、

      話を聞いててくれるところから始まったと 

   初期のころは落胆して、、、ぼやいていたことも、、、覚えている。

       

  (北海道で見た弟の新聞記事に

        父と主人の祝辞を隣に置いたつもりでコピーした新聞です)

        朝日がん大賞とか,、たいそうな評価をいただいたそうです。)

                 ハーバード大学への道も開けて

             弟はCT画像の開発や、

           へりかるCT開発チームのメンバーとして

      がんセンターの検診研究の分野の長に

              任命されたた様だッタ。

       アメリカの学会発表の時は

          がんセンターで、

         内視鏡の指導医を許された兄が

           弟のアメリカの学会発表を聴きに

           アメリカまで行き、弟の発表会場会場にて

            合流したと言っていた。

 

      

           

********************************

   

 

           多すぎる毎日になるだろう、、、。

 

           「もう、、、今までのお兄ちゃんと違って

          、、、自分の事だけ考えて生きるから!」

 

              「皆自分で生きろ!」

 

            「母はお兄ちゃんが責任を持つから

       各人大卒したら。。。皆出てゆくように、、、」

 

     家族全員の「財産放棄の書類」に兄嫁が実印を取りに来た、

     「実印は無い」と言うと、、、

      勝手に実印をつくからと言った。

        それには答えられないので、、、代わりに

              三文印を押した。

 

     父が居なくなるという事は、、、

      私の居場所がなくなるという事だと

           気が付くのが遅すぎた。

                 反省しています。

           

          私立医科大学時代の独裁者???兄貴

       富国強兵時代に生まれて、戦地の近くの病院で育っているので

         終戦のまぎわに、弟2人、妹一人を、、、現地で亡くしている。

        PTSDが在るのかもしれない。

        戦後生まれた私も、、、弟も、、、「何とかなる!」

    「物事は、、、起きてから考える、、、一拍休みが入る性格だが、、、」

 

                               

     兄は神経質で、、、場合の数を読みすぎて、臆病な神経質なとこが有った。

      全財産は、圧を継ぐ者に一任して、、、合流させてもよいが

       母は、1人で、、、7つの部屋を使っていた、

        ピアノは3台あった。

         

           私の部屋は、、、取り上げられた。

        日本の女性は、、、本当に、、、男尊女卑だと言われるが、、、

    兄よ!、ブルータス、、、お前もか、、、!

          ギャグを言っているばあいでは無かった。!

 

       

      ともかく、、、弟は兄とは違って、

      人格も円満で、陽気で、考えも骨太で、、、頼もしかった。

      弟と、、、兄とが、、、ひっくり返っていたら、、、

       私は、ピンチの時こそ、、、

            役に立つ人間だと

                解ってくれたとおもいますがね~~~!

        姉の私にはとても尊敬さえできる努力家だった。

 

    し

            

            

         

     50人のピアノのお弟子を抱えていたので

     年金の無い時代、、、

     晩年は3万円の老齢年金とか言ったかな?

     支給されるように、成ったので

     病気をしても大丈夫だと、、、気が楽になったと

    言っていたそうです。

     人の世話になる事が

        自分を許せないという

         自立心の強い母でした。

    その母が、、、どういう訳か、、、

    晩年、、、北海道に娘を閉じ込めたのは

     自分んが悪かった、、、と繰り返していたそうです。

    個人的とは言え、、、地域医療に貢献できるまで

     父が早逝して

     毎日来ていた患者さんが150人だから、

       周り300メートルの住民の為に

          地域貢献できていたのですから、、、

            突然の早逝は、小さな地区とはも申せ

       「医療崩壊が起きる寸前の救急事態だったわけですから、、、」

 

        北海道でも、九州でも、、、実家が東京で、

          実家に帰るという医師が居たら、

       娘を嫁に出して、父の後を継いでもらおうと思うのは

      無理からぬことだと思います。

明治生まれで、国立音楽大学を卒業して

東京都で初期の、女性教師として勤めた母の気性は

明治生まれには稀有なる

   「自立した女性」だったと思います。

私ごときが、、、かなう相手ではありませんでした。

音楽家とか、、、芸術家に、、、勝てるわけはありません。

                                                                       

 

彼女たちは、、、「麗しき蛮族」です。

母を、、年取ってから、、、原野に放すよりは

兄は、、必死で、、、母の、、開業医の奥様から、、、

 「開業医の母上、、大政所」と言うステータスにすり替えて

     母が年老いて世に出ることを防ぎ、、、

ピアノ教師の席に座らせ続けたのかもしれません。

 

   私にとって、、、「蛮族」だった者が見えてきました。

 

芸術家が、医師と結婚すると、、、

    医師の方が、、、

      培地になるという事かもしれません。

母にも、、、弟にも、、、主人にも

私は敗北を認めます、、、が

兄は、、、強そうに見えますが、、、

 

         

 

「お母ちゃんのオッパイ」を離れなかったのは、、、

 

    兄だった子もしれないと、、

一人笑いが出てしまった。

 

         パラドックスな意見が出てしまいました。

 

日本の女性は、、、男尊女卑に甘んじて見えますが、、、

終戦の戦後を知っているから、、、

    強く出れない男性を、前に出さないと

      世界の国に合流していただきたいから

誰かが負け組になって、

      サポーターに回らないと

医師をすることの、

     ストレスが

        はけ口を詰まらせてしまい

    障害物が出来ると思えて

        supporterになるものは 負け続けることが、、、

           医師をすることの、サポーターとしての

 役目を果たすことかもしれませんね。

            

医師が柔くなってしまう事は、、、

半可通な世間に、、押しつぶされて

理解されようとする政治家と違う

     学者肌は、、、

   気が付いたときには、、、医療崩壊になってしまうのではと、、、

医学への貪欲さとは裏腹に

   サポーター次第で、、、

  医師の働きは

    方向づけられる可能性も

        秘めているのではなかろうか???

         

一部の特殊な医師は、、、

   医師をすることには

     スーパーな実力者ですが

 

   医師をすると言う事が、、、

   医師になる時よりも、、、もっと疲れると、、、

                  兄は言います。

   開業や、施設の維持や、

      医療機械や、薬品の購入や、、、在庫管理、、、

        医師をすることの、障害物競争のように

             税務署も、数字の出し入れだけで

     医療の実態はすべて時間が想像の倍以上拘束されている現実を

         経済的数字で考えてしまうと

           coronaの勝手に動くのに負けてしまうのと  

            似ているかもしれません。

        命との対面は、

お子様が生まれっ時の感激と緊張と興奮が

  ありますが、、、

    生命の分岐点で、働く医師の収入は

       大洪水の時、札幌から北見まで

           タクシーを飛ばして、、、

              ちょん切れた腕を縫いに走った若きにには

         医療費として患者さんが支払ってくれた倍以上を

        交通費に支払って、血管をつないできたことも

      あったのです、

        

   結婚後も

      主人とは、夕食を一緒に食べたことは稀です。

    準備だけはすべてにおいて、

     食べたいものを皿にとるだけにして

           食事はバイキングよろしく

         数種用意して

       自分で選んで、、

    1人で済ませて貰いますので、

    3蜜には程遠い  すれちがい食事です。

 

       すれ違いに行き来するように心がけています。

     医師は自宅に着いたときは、、、

    休みたい一心で

     やっとたどり着くのでしょうかね?

 

      私生活は、場所的には、、、すれ違いながら、、、

     いつも元道理にしておくだけです。

 

       胃袋の世話と、家庭運営は引き受けながら、

      必用な人になれたら

           それでいいと思う事で、、、

     空気のように、、、なれたかな???

 

         結婚すると、すぐに、、、次に続く奨学生の為に

          奨学金だけは一括返済した。」

         気持ちがすっきりして、、、心が豊かになった。

 

         大金ではあったが、、、良い使い方が出来て満足。

               

         そして札幌で見つけたアルバイトに勤しみ、

          風呂の無い

            16000円の木賃アパートに住みながら

         一番銭湯に通いながら、、、

            異文化の30年前の東京も

              こんなだったかもしれない等と、、思いながら

         誰もいない時間の

     銭湯の贅沢を独り占めした。

 

    やがて、、、外科に入局した主人、

      大きな科である、こんな大きな科で

        博士号を取得するのは

        2年や4年では無理だろうと

                直感で解った。

        無給医から、、、「医学博士号」を取得するまでの、

          冬場の留萌の断崖絶壁にある、

        古い寮生活が

      3か月ごとに、始まったのでした。

     1人の医師が、医局から、一人前と認められるまでの

    博士論文を書き始めて、

    7年目には、

   私は2人の息子の母となっていました。

         

       弟は、医学部を卒業して

       「がん回廊の朝」

        「明日への挑戦」

        「。。。   」

         外国雑誌ジャーマへの数ページは

         薬剤師仲間が、、、本を贈ってくれて、感激しました。

 

        そのころから、弟だけは、札幌まで来てくれて

         泊って行ったり、、、

        後日、総合大学の医学部の教授になられて、

          息子の事も知ってくださって、

          あの時の小さかった、子供が、、、と

          弟の友人として、泊まっていってくれた先生が

        主人とも交流があるようになり

          弟は本州と北海道の橋になってくれました。

 

            姉と言えども、、、月と鼈

            提灯と釣鐘ほど違う

 中学、   高校生の時は 、、似たり寄ったりの姉弟なのに、、、        

           社会貢献度の違いは

            弟の実績は新聞

        TVニュース、マスコミ、外国の医療雑誌、

            検索画面を通して知るのみだった。

 

           学者と言うのは、、、

        

           学会の参加の前に、、、

       ひょこんとやってきて

    サイズが,,同じの主人の背広を借りて出席

  帰宅後は、風呂に入って、

居間で寝てしまっていびき、、、

     息子達が帰ってきて

     狭い我が家は

    叔父さんが気持ちよく寝ている居間の

    向こうの部屋に行けない。

 

  息子達は、、、小さな声で、、、

 {叔父さん、、、起こすより、、

       、飛び越えるからね、、、クク、ク。。}

 

      子供たちは、、

      またいで通過。

      叔父さんが知っていたら、、、なんというだろうか??

 

    家族も、本人も、

  子供たちには

    新聞に出ていても、、、

     TVに出ていても、、、

      それは知らない、、、知らせない、、

     、一家族同様に、姉弟として接する。

 

     北海道に来た時ぐらいは、、、緊張の緩むように

      普通の家族である。

 

       この段階で、、、弟は、、、

      父の残した

「開業の自宅には戻ってこないことを悟った。」

                

    むしろ、、喜ばしい、ダイナミックな

      国と国との貢献が出来るので

       家族の誰もが、弟の社会貢献を望んだ。

 

 叔父さんを尊敬して同じ科を選んだ息子は、、、

       叔父さんは「神」の域だと追うが、、、、、

                追い付ける人ではない。       

  思い出しても、、、人生のピンチを、、、良く切り抜けたと振り返る。

     

    実家は父の居なくなった、、「内科」「外科」医院をどうするか??

    

             私抜きの、、、個人的規模の、

              医療崩壊を、、どうするか。。。

振り替えれば個人的な規模ではあるが、、

     、医療崩壊が小さな区域に起きたのだった。

         

    

 

  

 

 

 

 

 

           私が、北大の外科医と結婚したことで

              東京に住んでいる北大出身の医師を

              アルバイトに来ていただくことに成功したり、、

 

               

 

    、その博士号は、、、当時としては誰もやっていない

                血管のバイパスの実験で、

                  

                  今は禁止されている、、、

                 犬を使って

                実験に開けくれました。

        何十年後になって

  平成陛下の手術に役立つ基礎の分野の

   貴重な,、、価値のある実験だったとも知らずに、、、

 

            「汚い白衣なんかで、、

              白衣で帰ってくるなら!、、、

             離婚するか、、」

            アパートの階段に塩を撒いて

                 、、、腹が立ったのを

                     記憶から消し去れないのです。

                 私のストレスは、、、」 

                どこにぶっつけたらよかったのか?!!

 

              後日、、、何年も経って、

         順天堂の教授をされていた先生が、、、

           陛下の手術に成功されていた時

         「 新聞に出ていた人体の

            血管のバイパスの解剖図が

  主人の博士論文の解剖図と同じなので、、、感動しました。」

           

    実験で、汚れた白衣で、帰ってきて、、、

      家庭を黴菌で汚染する気か!!!

     後々までの、、、離婚するのしないの、、、と

  夫婦げんかの種だった、、、あの時の実験が

   博士論文を読んでいてくれた内科医が葉書をくれたそうです。

 

   人知れず、、、誰も気が付かない

  基礎の分野で、、役だったなんて、、、

  執刀された外科医は、、、

この世の花、、、華、、、

    ❀だけど

 主人は根っこの一本に成れたのだから!!

 

     もう、、夫婦げんかの時は

  白衣の汚さを知らない無給医は、、、無給で居ろ!なんて

      もう言わないと決めました。

 

   そのことがあってから、、、

   保健所で、行き場の亡くなった、、、

  可哀想な犬を

   何十頭も使った実験だったので

 犬の供養をして、

  この件は一件落着しました。

 

 

一人の医師が、、、何事もなかったように

  手術は成功ですよ、、、と

 

商品なら、眼でみえますが、、、

  助かった命の値段は

 莫大な価値があるのですが、、、

   患者さんは、、、

  日本の患者さんは、、、

     何故????

 病院にお金を払わなければいけないのだ?

    日本の医療制度って

   感謝して、自分の命の値段を知り

   政治が、国民の医療保険を考えてくれたから

 医療費は安いのですが、、、

命の値段と

  命を救えるようになるまでに、

  医師の来し方にかけた時間の値段は

知るべきですよね。

 

 

 

  

   

父母と、兄の3人が住んでいたという伊豆の住宅の写真です。

    母を守り切った、、、母が80歳を過ぎて亡くなる直前に

    閉院した。

 

       閉院しましたと、、、閉院の病院の写真と  

        新規に勤務する

        亀田病院の事が書いてあった。

     人生で、一度はこうした総合病院で、医療の贅沢を出来たらと

      常日頃から思っていた、。。。

     亀田病院の原点は、父のよく知っている慈恵会医科大学の

     同窓の先生であったと記憶している。

     アメリカナイズされて、昭和の終わりごろ

     すでに、、、コンピュータで院内情報はネットされており

     薬剤部も「コドス」と言う名称でよばれていた電子カルテを結ぶ

   オーダリングがすでにあったのを、記憶している。

  日本の最先端の国際的な感覚のすごい病院だと、、、

     私は、、、千葉の現地に見学に行ったことも思い出す。

 

    こんな素敵な病院の指導医として再出発で来た兄は

      苦労も多いだろううが、、、時代が時代なら

     こちらの勤務の方が、、、

    胃カメラ一本の、、、兄には向いていると、、、安心した。

 

         胃カメラの指導医として

        千葉の亀田病院に勤務していった。

     開業と言う、、、個人経営の、

     継続の難しさが身にしみた傍観者の私だった。

 

         時代の波を乗り切れなかった実家は

              閉院して無くなったが

 

              兄の長男坊が

             女医さんと結婚して、

           院長をしているクリニックに

            糖尿病専門医の開設者として、

               存在しているから、、、

        世代交代して、、、長男の長男が、、、全く別の場所で

         クリニックを開設しているという事が

          パソコンの検索で解った次第です。

 

      結婚式にも呼ばれる事も無かったし、、

          開院式も知らなかった、、、

         

          実家の生き残りに、、、

       何一つ実績のなかった私には

      

   

      おばさんが居たことに気がついたら

        何かで出会うかもしれないし、、、

   

       よく、、相続は争族と言われるが、、、

        何も主張しなくても、、

       、権利があるという事だけで

        弾き飛ばされる、、、

      男尊女卑の日本を体験したような、、、?

 

        日本て、、、女性にかまっていたら、、、

       男たちは生きて行けないという

      

       医師は、、医師になった者を中心に動かねば

       本当の、、、医療崩壊が起きるからかもしれません。

      

   こんなに多くの患者さんに慕われた父

     

 

       

  

            

チコチャンなら、、、炎出し、、、

   {どこみてんだよ~~~ボート視点じゃないよ~~~}

     どうでもいいことを見ている私は、、、チコチャンに怒られるよね!、

   医師の家、、丸ごと、、、理解されてないのが、、、

         解っていただけたでしょうか?

          

     無くなる直前の父と散歩に出る時、撮影しました。

     父の努力を見続けてきただけに、、、     

医療費は高くないと、、、私は思うのですよね、、、

   日本の医療は、、、医者の皆さんの

   使命感で成り立っているのかもしれませんね

     

医療崩壊だけは、、、一人一人の、、、真剣な国民の

個人的な「コロナ対策」への協力が必要だと

76歳の婆ちゃんは、、、本能で感じる物が有ります。

   日本をコロナの感染から救えるのは

    一人一人のマスク着用、、、

    手洗い、、、、

     環境の清潔と換気と

3蜜を避けて、時には二十マスクが必用かと

マスクをして手洗いを、励行しましょうね!!!