小学校の頃「道程」という詩を習った。
僕の前には道は無い、、、
僕の後ろに道は出来る、、、
敗戦で被災地さながらのダメージを受けた時代であった。
日本の国民は、すべからく「道」が見えなかった時代のことであった。
マスコミの「発言の自由」を盾に、喧々諤々の文字が飛び交い、
土砂降りの中を、担ぎ屋?闇市、
パンパンと呼ばれる開き直った女性たちの開業?
東京の下町には「通常の呼び名は『パレス』」という
2階建ての校舎のような、宿舎が並んでいたゾーンもあった。
あまり日本人には馴染みの無かった「食用蛙」の調理屋?さんのような
子供の私にはショックなシーンが見られた。
かたや、試験の無かった東大時代とは大違いで、
生き残りのために、学問しかないと、、、立ち上がった戦後であった。
東大以外は目指せないエリートの出現!
「正解」という不思議な答えがあった時代のことである。
吉田首相という、背の小さな巨人が現われて
新聞記者の、発言に「バカヤロウ!」といって有名になった時代である。
吉田首相は「偉い人」だと、
大人たちは私に言った。
湘南の海のそばの屋敷から、
車で東京の国会議事堂まで通われているとも、教えてくれた。
この頃、祖父は、カリフォルニアからの帰国組みで
日本人街を開拓した実兄が、アメリカに残り、
戦争は「家族も兄弟も分散させた時代であった。」
アメリカの教育をマスターした祖父は、
疎開先で、押されて町長や、校長や、村長さんなどを引き受け
当時の混乱した戦後の「リーダー」として、
敗戦から立ち上がる為に、資財をなげうって、連日の任務に当たっていた。
山奥に電気を通すために「ダム」の建設にもかかわった。
戦地で、敵味方無く、ひたすら、傷病兵の治療で明け暮れた父も
祖父の要請で、ダム工事の村に疎開して言ったのでした。
政治オンチの私には、
与党は野党の絶大なる内助の功で
国会が成り立っていると思っていた時代であった。
自由民主党が、子供心にも、支持してゆかねばならないと
思ったのは、
吉田首相が激動の戦後の首相になられて、
国会は「大人たちが、つかみ合いのけんかをしていた時代」に
存在感を示した、小さな巨人であった。
その意思を同じくする党員の「早川」さんと言う議員さんが、
山奥の電源確保やら、ダムを作るとやら、
村の何軒が沈むとやら、、、
子供たちの間では、喧々諤々、、、親の意見の受け売りで
喧嘩になったこともあった。
結果的にダムは出来上がり、山奥のランプの生活は
電化生活に発展した。
我が父の診療施設にも、母は数台の洗濯機を買い入れ
村の人たちは「洗濯物を山のごとく抱え」順番待ちの
おしゃべりが始まった。
井戸にはモーターを設置し、水をくみ上げる水道も設置した。
「井戸端会議」の幸せの時間をゲットした村の母ちゃんの間では、
湯川博士のノーベル賞の話に花が咲き、
「洗濯機を発明した人にも『ノーベル賞』をあげるべきだとはしゃいでいた。
一方、ダムの為に水が濁り、鮎が取れなくなったとボヤクいた。
国会はこの頃、子供たちの目には「喧嘩場」に映った。
吉田首相は、道程の詩のごとく、
僕の前に無かった道を、
バカヤロウ!と叫んで、
国民を啓蒙し、
自分の前に道を創って言った人だと思っています。
ラジオから聴こえてくる吉田首相の言葉の締めくくりには
「臣 吉田茂」という言葉があった。
「おじいちゃん、、、オミ、、、って何のこと?」
質問したことがあった。
玉音放送から、吉田茂、、、その後、池田さんの「麦飯発言」は
流行語になった。
戦後の貧しい日本の生活を知っている私たち世代の人間は
よくど、、、ここまで立ち直ったと思うのですが、
それ故に、日本は「うぬぼれてはいけないと思うのです。」
今の日本にとって、
野党は、与党のよき女房役を勤めるべきであると思った。
時代は数年さかのぼり、民主党が政権をとる前の
小泉さんの「喧嘩上手な雄弁を思い出します。」
コトバ道理、、、??いったん自民党は野党になりました。
TVの幕末の徳川慶喜を演ずる「ハンサム」の役どころと
重なるものを感じながら
日本の位置というか、世界の中の座標のような、漠然と感じたい場所に
導かれるように、行って見たくなった場所が洞爺であった。
かって、世界のサミットの開催された洞爺湖の近くのホテルに一泊した。
ホテルが立派だとか、サミットに使われたホテルであるとか、
マスコミ的に誉めるのは同感であるが、
羊蹄山、洞爺湖。中島、弁天島 観音島 饅頭島 などを初め、
洞爺湖が眼下に拡がり、
雲がすぐ目の前で降り積もってゆくような雲海が、
神々しい。洞爺湖のあたりを、ゆっくりと見渡せば、
有珠山も、昭和新山も地球の誕生と思えるような煙が、
黙々とたっていました、
日本の政治家の争いは
むなしく思える景色である。
地球は生きている!
世界が一望できるロケーションをとったここは
圧倒的な美しさと、
雄大さと、スケールの大きい眺望のホテルであった。
なにも言葉が見つからない。
「ロケーションの大切さ!」
この一点において、この地にホテルを建てた方は
「道を創った」、、、世界のサミットが晴れの日であったなら、
地球の誕生から壮年を眼下に眺望できただろう!
私は、刻々と変化する光のマジックの中で
影の面白さが、洞爺湖の命を魅せてくれた気がしました。
阿部さんという、世界の方々と並んでも
素晴らしい品と若さと、ポテンシャルのエネルギーをお持ちの首相が
外交を、力いっぱい、
美しい日本を目指して、広げていられるのですから
マスコミはもちろん、応援団という影が、
日本の政治に命を吹き込むと思うのでした。
政権争いではなく、票取り合戦の、点取り虫の国会議員では
政治は命を失います。
大病院が、基幹病院として、
人々を生かしていくビジョンが捻じ曲げられて、
経済的な、儲けに走るのなら、
医療という命も、
ビジョンに燃えた若き医師も、
「命の無い医療活動」に、やがて夢を失い
TV画面のような、光だけで、影が無い、画面を、
食い入るように見つめる大衆が、
どんどん増え続けるとおもいませんか?
魅力的と思う感性が、世の中を謬時ってしまうのかも知れませんね。
「儲け」という影の無いTV画面のような、匠の心を金で買い取るような
不自然な、生き様だけが、むなしく、思えてきたりするのです。
青春時代の映画に「宮本武蔵」という面白い映画がありました。
最近、NHKでTV放送がありました。
70歳を目の前にして、
しかもTVという枠のある映像でも、
感動が甦りました。
映画が娯楽の唯一の時代に世に出た作品には、
普遍の感動があります。
作品に匠の心のこだわりがあります。
画面や、影や、表情が、地上で見渡す洞爺湖と、
山頂から、雲海の視点で見る洞爺湖のように
この頃の映画は「光」と影の移動が、
心の襞のように、視聴者の創造を作品に同化する。
武蔵を演じる俳優も、
小次郎を演じる高倉健さんも、
対照的なコントラストで魅せる。
現在の作品のように、押し付けてこない。
観るものを吸込む。
ありきたりの実力でぐいぐい主張してこない。
すごい、、、トータルな見せ場で、
観る者を影と光と、
時間の魔術で作品に同化させてくる。
一切の解説も、せりふも無いシーンが、
もっとも雄弁で、しかも時を忘れさせる。
人間が人間であった頃の、「感性」に
光と影の変化で迫ってくる情感がある。
柔らかな光、分散する光、間接の光、
木漏れ日、障子の和紙に映る月光、、、
日本人の感性は、
「香り」『味』「光」「音」
「風や流れや、足音や、草の味」をはずせない。
政治も、トータルな日本人の感性の集合した合作であって欲しい。
政治オンチの私が、政治は語れませんが、
与党と、野党は本来、光と影のように、
一体となって初めて命が吹き込まれるとおもいませんヵ?
自分が生きるために、家の中を、
自分の使用物で埋め尽くし、
縄張りを張り合う夫婦が
良い家庭を築けると思えないのです。
見えるもので、埋め尽くし、権力で物事を進めると、
この、小さな島国の「面積、体積、資源、、、etc.」
二次元、三次元の計算で足りてしまいませんか?
微分も積分も、行列式も、軌跡も、、、私は
「音楽」や「自然の数多な音の風景」と一致することがあります。
過ぎし日のサミットの時、
洞爺湖の会場に、いつか行ってみようと思いながら、
やっと、その思いが実現しました。
予算の関係もあって、フランス料理は敬遠し、
14階のお蕎麦屋に行きました。
羊蹄山、洞爺湖、中島、有珠、昭和新山、雲海と空と、
パノラマの眼下の大自然に
蕎麦が、絶妙に似合う店内は、
柔らかな光のハーモニーに包まれて、
音の無い音楽であふれていた。
ロケーションの素晴らしさを、生かすも殺すも
「日本人の感性の総合力」だと思った。
ロビーに降りてくると、ロビーコンサート。
この地へのアプローチも、
観光道路を避けた洞爺湖の林の中を、
プレリュードのようにイントロが良い。
世界のVIPにとってのセキュリティも
自然の力で万全だと思えた。
何年もたって、世代交代したような、若者に混じって、
サミットキャビンの前に来た。
日本は、きっと生きてゆける。
世界の国々に認められることが出来る「感性」は抜群であると思った。
エルトンジョンの曲がかったと聞いている。このホテル。
日本の古い時代の感性は生きている。
古池や、、、かわず飛び込む水の音、、、
絶壁の寺の古池の「静けさ」という柔らかな光の中で
天然の音楽の調べの中で
かわずの飛び込む音は、、、
現在に至っては、視覚から入る音楽の静けさとなって、
雲界の調べとなって、
目から聴こえる。
胸から胸に直接聴こえたのではなかろうか?
あの時、、、
イマージェンシイスタッフとして、
外科病棟に泊まったまま
何日も帰ってこなかった夫を思い出す。
何事も無かった、、、、。
アフリカのスタッフが、多少体調を崩しただけで、、。
新聞を見ながら、待機していただろう見えない役割の泊まり。
帰ってこない夫は、妻の敵でもあった。
しかし、、、何日も、何年もたって、、、、
サミットの足跡を見ながら、
妻の座という「外野席」にもならない、
「場外」で
帰ってこない、夫をなじり、
野党のように
質問攻めにしたわが身を振り返り、
世界の中で認められた仕事をする日本は、
生きていると思った。
雑役に閉じ込められたような
「妻」という立場の作業は孤独であったが、
気がつくと、
息子たちは、医療一筋の夫の背中を追っている。
子供を産んでおいてよかった!
私が、やりたいと思った多くの事は、
きっと、孫、ひ孫、玄孫、、、が
時を越えて実行してゆくのだろう、、、、きっと。
洞爺湖が 夕日で赤く染まり始めた。
羊蹄山が頂上までくっきりと姿を現し、
生まれたばかりの昭和新山を見守っている。
あたりは紅の夕日が反射し「神々しい」
孫の時代にも、もっと未来にも、
永久に地球の誕生を忘れない政治を願いたい。
理想は美しく
主張ばかりの地方自治には、
教育と権力と、縦係の世襲が感じられるのは
私が、遅れているからだろうか?
「世襲制の権力が、新しい能力を閉じ込めてしまうという
落とし穴がある。」
世界に歩調をあわせた視点と、ロケーションに視点を併せ
、政治家は立って
世界の中の認められた日本として、
オキュペイションするためにも、
信用回復が国家の大事でしょう!
足の引っ張り合いはやめて、
原子力に脅かされる国土を、
天然の「エネルギー不滅の国家」に変えてください。
思えば、VM21のPCで子育て後、
40歳過ぎて、
北大で聴講生として、
仕事の感を復活させ、
PCを使った仕事に再就職してから、
何台のPCを買い換えただろうか?
周辺機器がつかえなくなる。
スピードが違う。
アクセスに制限が出る。
ワームだの、ニムダだの、ウイニーだの
爆弾メールだのが入り込む。
サポートが途切れる。
ノートンをダウンロードする
30年間PCという粗大ゴミを買い続け、
貯金は出来なかった。
大都市は、PCのように、
時代のゴミを製造しながら
発展と称して、高層化してきた。
電気は足りるわけが無い。
トータルナ総合視点で、
構想ビルの隣は公園にして
太陽をさえぎらない地下の世界でつなぎ、
林立する権力争いの戦場のような街を
地球上に置いて回る政治は、
世界一体となって、バランスを取り合って
計画的に地球の生命を尊重してください。
「もっと、、、光を。」
「終わりよければ総てよし!」
未来の地球の「命ある共存社会を祈っています。」
総合力で日本の良さを世界に認識してもらえる日が
参議院選挙の後は、期待しています。
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