小説の醍醐味は、読むことに想像が加わる。情景が想い浮かばなければ、物語の筋もわからない。作者の意図とするところが、理解できなければ、作品の面白みがないのだ。江戸時代と平成の今とでは、生活様式が全く違う。体験できない分、想いを馳せる。
大正時代生まれが少なくなって、昭和の初期頃が増えた。その頃の日本と、地方の暮らしや住居では、貧困と権力や富が差別を生んでいた。やがて日清日露戦争が起き、日本は戦争に勝つ。歯車はそこから狂い始めた。第二次世界大戦、大東亜戦争とも言う。
戦争を挟んでの暮らしは、楽しいことは皆無で、苦しかったり、哀しみの方が多いだろう。その時代を生きて来られた、というだけで感慨深いもの。お金があっても、食べ物はなく、闇米が密かに横行し、警察の摘発も激しかったそうだ。嫁入り支度ができたのだ。
祖母や母の話の中を、全部覚えてはいないが、鮮明な記憶で残っている。米泥棒も居たし、托鉢や乞食もうろついていた。夜は、懐中電灯だけで、外には決して出なかった。その代わりに宇宙には、満天の星が瞬いていたもの。明日の天気は、それで知れる。
自然の恵みを感謝し、捨てることはなく、畑や田に入れていた。その頃の農業は、全てが手作業で、相当にきつかった。田植えも稲刈りも、家族総出で行っていた。親の云うことは、不平があっても聴かねばならずで、手伝いは当たり前であった。懐かしくも複雑。
時代は進化したかもしれないが、原発の危険性は増すばかり。憲法も、国民不在で突っ走る。戦争へとは行かない、その保障はどこにあるのか?沖縄の辺野古への移設も、県民を置き去りにしての、一方的な解釈をする。こんな横暴は、絶対に赦されないこと。
一度首相になって、出来なかったから、チャンスをくれと駄々を捏ね、祖父の志を何としてもやり遂げる。そういうことは、家庭内で遣ってくれ。国民の真意を無視しての、議席が多いからと遣ることではない。これが、学歴もまともな大人のすることであれば尚更。
ジャックと豆の木。毎年、少しづつ新芽が出て育っている。置いた場所を、動かせないと言うのが好いとか。