小満 光熱ともに旺盛となり、陽気天地に満ちる、という意味で、小満と言う。毎年、五月二十一日頃である。リエさんの手術、無事に終わったかしら。脛というから大丈夫とは思うが、弁慶の泣き所をぶつけた。こういうことってよく体験するんだ。
子どもの頃には、珍しい物が食べれたり、ちやほやとしてもらえるので、病気になりたかった。歳を重ねるてくると、健康であることが有難い。医者には、可能な限りかららず、枇杷葉茶で治したい。民間療法とはいえ、その効果には眼を瞠る。
あらゆる症状に対し、処方が書かれている。然し、枇杷葉の効力を信じて、毎日飲むことは難しい。殆んどの人が三日坊主で終わる。手術や薬に頼り、自分が持っている治癒能力を軽んじる。或いは、即効性を急ぎ、却って結果を悪化させる。
若い時には考えられなかったことも、其々の年代になれば、自然と解かってくる。反面、病気にはなりたくもなし、好きなことをして過したいもの。体の内には、様々な病気の原因があり、死ぬまで表に出ないか、偶然何かで出てしまうかだろう。
でも。自分の体である。怒ろうが泣こうが、事態は好転しない。それなら、きちんと向き合って付き合い、治すことよりも仲良くすることだろう。枇杷葉は、あらゆる症状に効果があり、自分の納得次第で、良くも悪くもなっていく。諦めない気持ち。
祖母が自己流で遣っていたことは、遠くは民間療法での治療法で、覚えているだけだ。祖母の時代には、無医村であったことも影響が深い。効果が違うと言われるのには、自然からの力を頼む時、心底から祈り、願わないからではないのか。
どんな物にも命があり、人間だけが勝手に使っているが、天知る地知る、吾知るで、感謝の心がなかったら、回復もおぼつか無い。援けてもらうことを祈り、回復すればお礼を言うことで、宇宙の摂理に溶け込める。枇杷葉は特にパワーが強い。
きらん草。いつの間にか生えて繁っていた。先日の天気続きに、蟻に遭遇したらしく枯れてしまった。