箸の日。お箸は、どの材料で作ったのが、使い易く長持ちするのか?子どもの頃には関心が少なかったが、軽くて手に馴染む箸を、つい探してしまう。南天の箸は、諺でもあるように、難を転じることから高価でもある。割り箸も、端材から作るとはいえ、一度きりだから勿体ない。竹が長く使えるが黴ることも。
昼食には持参している箸は、ふなっしーのだが、これは重い。用途が様々で、選び切れないのもあるが、山に咲く躑躅の箸には、祖母との想い出が重なる。春休みの一日は山に行くことであり、焚物をして山を守っていた。自持ちの山は直ぐ側でも、割り当てられた山は、遠く時間もかかる場所にあり、一日仕事。
昭和30年代には、贅沢どころか、貧しい暮らしの日々で、倹約・節約を通り越した、自給自足の頃である。百姓には、一日も休みがなく、子どもだからと言って、遊んでいる訳にはいかない。1時間以上の道を行き、帰りには焚物を積んでの疲れた身体である。山菜は自由であったから、蕨を始めとする食材は豊富。
昼飯は、焼きお結びでおかずは漬物だけである。箸など無いに等しい。手掴みは行儀が悪いと思う祖母は、山躑躅の枝を器用に切って削り、箸を作ってくれた。山の神さまへの断りを言い、切っていたのを思い出す。三隣亡には絶対に行かないので、家での作業になる。祖母との月日には、貧しさばかりが想える。
激務を終えて帰宅。自宅が近づくにつれ、月の姿が観える。久々の月であるので、感激してしまう。山の連なりに、三日月が浮かんでいる。何という美しさだろう。地球から眺めていられる歓びだけでいい。人間の欲深さには止め処ない。太陽系に集まり周っていることにも驚く。ハワイにこれ以上望遠鏡は否だ。
棲む場所があって、暮らしていけることを、祖母は祈り感謝していた。戦争のことには触れたくなかったようだが、見知らぬ国に散った息子を想う哀しみには、誰もを寄せ付けなかった。金杯も症状も欲しくなく、息子の無事な姿であり、亡くなっているとしたら、遺品や遺骨をうけとりたかった筈だ。戦争は駄目。
どの枝にも、花芽が咲き出した。あちこちから漂う匂いに圧倒される。心地よさも一入。