平日の休日は、静かでのんびりと出来るのが好い。余程特別なことが無い限り、出掛けることも無いしで、一息つける。無論の事、図書館は休みであるのは残念。公共の施設なので、大概は休日なのも不便だが、慣れてしまえばそれなりに。宮部みゆきさんの新刊は、昨日の内に借りに行った。
新聞の投稿に、薬の残ったのはどうするのか?と言うのがあったが、個人的には効果が薄れるのではないか、と思っている。尤も、還暦を過ぎ、古稀近くなったら、枇杷葉のお陰で、健康はこの程度だと自覚した。従って、薬は無論のこと、医者に行かないし罹らないので、薬の増えることも。
仕事を辞めた時点で、保険証も返す考えでおり、何かあればと言うが、それも寿命であろう。延命を初めから拒否する者でもある。永らえたところで年金は減る一方だし、拘わりも持ちたくないので、出歩かない。枇杷葉での暮しで充分なので、贅沢も節約もしない。あるが儘の物で遣って逝。
以前、身体中をオーラに包まれていると言われたことがある。介護の仕事に就く前に面接に行った所で、視えたことを話していてのこと。自分では目立とうと想うことはないが、そういった特殊な力が、自然と出てしまうのだろう。ステーブン・キングのキャリーにある。制御が難しいことも。
枇杷葉をしながら、触ると解ることもあり、我が家を訪れる者で、生死が分かれたりすることも。心の中は、誰にも知れることはないが、時々不意に聴こえる。夢に視たことが、実際に起こることをみせたりする。広島の原爆の様も、経験したことはないのに、突然フラッシュバックするのだ。
それには、相手の内面に入り込んでしまうことにある。黒い闇が襲いかかってくるのだが、もがいてもあがいても抜けられない。掴みどころのない不安定さに、声も出ない。恐怖の極限に達して、そこから解き放たれるまで、心に写ってくるものが、鮮やかに視える。その瞬間の騒めき空気も。
日航機の事故の時にもあった。宮部みゆきさんの著作、特に時代物に惹かれてしまうのは、輪廻転生を強く感じるからだ。物語にする力も何もないが、その世界に往って還ってきたことが残っている。我が家の枇杷葉に、天の波動が宿っているのも、守ってくれているのも判る。説明不可能。
南天は、野鳥が啄んで種を落とし発芽する。煎じての服用には、腹痛等に効き目がある。