私のカメラ変遷史3
ワルツ写真コンテスト最優秀賞推薦の写真。
ワゴーフレックスによる作品。
以来、より写し易いカメラ、解像力に優れたカメラと次々に買い替えて行った。
マミヤフレックス
マミヤフレックス二眼レフカメラ。
世界に類を見ないというレンズ交換式の二眼レフカメラだった。
このカメラにも早速飛びついた。
ワイド、標準、望遠の三本のレンズを持ち、長い間使った。
ゼンザブロニカ
その内に6x6判一眼レフカメラ、ゼンザブロニカと言うカメラが発売になり、マミヤを処分、このカメラを購入。
勿論このカメラもレンズ交換式。
このカメラはスイス製ハッセルブラッドと言うカメラのコピーのようなカメラだった。
シャッターを切ると、反射ミラーが跳ね上がり、写真撮影が出来、フイルムを巻き上げると、反射ミラーが元の位置に戻ると言ったカメラだった。
一眼レフの利点はファインダーで見たままに写せると言う事だ。
現在のカメラでは当たり前の事だが当時としては画期的な物だった。
一方、35ミリカメラも6x6判のブローニーカメラに負けずに進歩していた。
35ミリカメラは現在のコンデジの形に似たものが普及型として進歩していた。
高級35ミリカメラもニコン、キャノン等のカメラが進歩し、レンジファインダー式の高級カメラが普及しつつあった。
ニコン
これらのカメラはレンジファインダーによって距離を測定、自動的にセット出来るようになっていた。
勿論レンズ交換式。
その後、一眼レフ35mmカメラが旭光学より、アサヒペンタックスなるレンズ交換式のカメラが出現。
このカメラもシャッタを切ると反射ミラーが跳ね上がり、フイルムを巻き上げると元に戻ると言ったものだった。
このカメラも購入。
初期アサヒペンタックス
その後、このカメラはクイックリターンミラーを搭載。
クイックリターンミラーとは、シャッターを切るとミラーは跳ね上がり、撮影が終わると自動的に元に戻ると言ったものだ。
このカメラも世界初だったと思う。
勿論、このカメラに買い替えた事は言うまでもない。
アサヒペンタックス
その後、各社がこの方式を取り入れ現在の形になった。
この様に戦後のカメラの発達につれてフイルムカメラを次々と買い替え、カメラの発達とともに生きて来たようなものだった。