私のカメラ変遷史2
中学(旧制5年制)4年生になる年から新制高校3年制に変わり、新制高校1年生になった。
高校在学中に、リコーカメラより日本初の二眼レフカメラが発売された。
当時の大学卒の初任給が4千円前後の頃で、カメラの価格は確か7500円位だったと思う。
日本初の二眼レフカメラと言う事でプレミアが付き、12000円位した。
二眼レフカメラは距離合わせが自動に出来、ピンボケが無くなった。
このカメラは、ボデーはブリキ板のようなちゃちなボデーだった。
父に10000円を借金して、このカメラを購入。
ピンボケが無くなるだけでも最高にありがたかった。
その後,1952年にワゴーフレックスと言うカメラがワルツと言う会社から発売された。
これはドイツ製のローライフレックスと同じような形をした本格的カメラだった。
価格も23000円と少々高かったが、リコーフレックスを売り払い、残高を父から借金して購入した。
この頃、国内では懸賞写真が大流行だった。
カメラの宣伝、企業のPR、観光名所等、毎月2~3件の募集があった。賞金は当時としては破格な物で、一等賞金5万円はざらだった。
中には10万円と言ったものもあった。
大学卒の初任給が4~5千円くらいの時代だった。
そんな中、ワゴーフレックスの発売元から、ワゴーフレックスで撮影した写真コンテストがあった。
早速購入したワゴーフレックスで友人の妹のポートレートを撮影し応募、見事に最優秀賞を獲得、賞金5万円と副賞商品3万円相当を手にした。
この賞金で父からの借金を返済した。
この時から写真運が付いてきたようで、懸賞写真に頻繁に入賞するようになった。
注・大学卒初任給は記憶が曖昧のため、違っていたらご容赦下さい。
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