エノケン、ロッパと並び称された喜劇俳優古川ロッパ(1903~1961・緑波とも名乗る)。元々文藝春秋の映画雑誌の編集者だったが菊池寛だかの後押しで芸人になったという、インテリ芸人。生粋の喜劇人だったエノケンに対し、ロッパは旦那芸だったと評される事が多い。それまで声色といわれた物真似芸に声帯模写と名付けたのは、この方。軽演劇団「カジノフォーリー」で一躍寵児となったエノケンに対し、ロッパは「笑いの王国」を結成して対抗。ココの文藝部にゃ菊田一夫がいた。
太っちょで食に対し並々ならぬ執着を持ち、戦中戦後の窮乏生活の中でも、なんとか美味いものを食いたいというあがきは、晶文社の「ロッパ昭和日記」や「悲食記」に詳しい。
僕らはまったく輝ける時代を知らない訳だが、敗戦後4ヵ月後に作られた斉藤寅次郎監督の「東京五人男」で、その伸びやかな歌声を聴くことができる。この映画、無残な焦土となった帝都を舞台に「え~い撮ってしまえ!」とやっつけた作品で、あちこちのまだ煙がくすぶるような焼け跡や雑炊食堂などの現実の行列があり、非常に興味深いのだ。古川ロッパ、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松(ノンキ節で人気、戦後初のタレント議員になった)、柳家権太楼の5人それぞれの戦後の厳しい暮らしぶりが描かれている。バラックの青天井のドラム缶風呂に入ったロッパが子供に歌って聴かせる。
お殿さまでも家来でも お風呂に入る時ゃみな裸
裃脱いで刀も捨てて 歌のひとつも浮かれ出る
何にも無くなってしまったが、空からはもう焼夷弾はもう落ちてこない、やっと抑え付けられた生活から解き放たれた、自由な心持ちが伝わってきた。音程もしっかりしてるし、伸び伸びとしたクルーナーだ。「ちょいといけます」なんてノベルティソングの録音もある。岸井明もデブで美声。中性脂肪と美声の関係って何かあるのかな。
戦後は病気とそれまでのケンカイな性格がたたって、急速に忘れ去られていく。エノケンが脱疽で脚を失ってからも、トンボの切れる義足を…と死ぬまで「ドタバタ」を追い求めていたのに対し、ロッパはそこまでの執着はなかったように見える。そこもまた旦那芸たるゆえんか。
ロッパは戦後、「劇書ノート」の中だったと思うが、戦時中の軍歌の中にはいいメロディを持つものも沢山あり、戦意高揚のために作られたものとして一様に葬り去るのはいかにも惜しい、なんとか再生する道はないものかと記している。 まことにそう思ふ。
リキパレス。本当に夢のようです。
あのときで力道山30回忌でしたっけ。
あの大和田町のリキパレス跡、今はどうなっているのでせうか。
ニューラテンクォーターといい、本当にギリギリで昭和の名所旧跡を巡礼したことになりますな。
思えば低予算の中でも、勝手な理由つけて、好き勝手やってましたね。
「オホン…」というロッパの咳払いが聴こえて来ます。エノケンの「テヘッ…」に対する「オホン…」ですな。さすがは出自が男爵家です。
やっぱ殿様芸だよなぁ~。