マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

甘いのぉ、東京の玉子焼き

2012-05-30 04:09:27 | Weblog

玉子はつづく・・・こちら東京築地場外、「つきじ丸武」の玉子焼き。

テリー伊藤の兄貴のアニー伊藤が継ぐ家業の玉子屋さんだ。

こちらや「松露」など、界隈に20軒ばかりの玉子屋さんがあって、
今も築地土産として人気である。





関西人は知らぬかもしれないが、東京にだし巻きは存在しない。
というか、だし巻きは京阪神などごく一部にしか存在しない。

だし巻きはないが、むろん玉子の味を引き立たせる為に、だし自体は使われる。

昆布だしが主体の関西に比べ、鰹だしが主体。昆布はほぼ使われない。
それには関東-硬水 関西-軟水という水の差がそうさせるとも、
独身男性の職人が多かった江戸では、濃厚なパンチの利いたものが好まれ、
まったりした昆布だしでは受けなかったというのもあるかもしれない。


それにしても、この玉子焼き、かなり甘い・・・。


なに、これはこれで美味いんですよ。大根おろしにお下地かけて、
そいつをのせたりして食べると、ご飯のおかずになる。
でも1個かせいぜい2個で十分。
甘いものがキライではない私が言うほど甘い。


実を申すと実家の玉子焼きは甘かった、しかも、ぷんと胡麻油の匂いがした。
あれはスカイツリーがある周辺で育った親爺好みだったのである。
たぶん東京には、甘味がごちそうだった時代の名残が生き続けているのだろう。
こういう東西のちがいみたいなものは、大事に残したいと思う。
日本中おなじになるのはご免こうむる。


東京の玉子焼きを語る時、またいでは通れないものがある。
東京北区王子。飛鳥山は桜の名勝地であり、滝が流れ、庶民のリゾートだった。
そこにはキツネもいて、稲荷信仰も盛んだったらしく、こんな絵が残される。





江戸の田舎だったわけで、そこに目端のきくお百姓がいて、掛け茶屋などを始めた。
茶だけではなく、客の所望に従って酒やら料理も出すように。
京都南禅寺「瓢亭」だって、同じようなものだろう。

そのうち、「扇屋」は料亭として城下に知られるようになり、
料理屋番付にも上位でランクインするようになる。江戸のみしゅらんだわいな。





幕末の頃、英国人に教わったというのが扇屋名物「釜焼き玉子」。
玉子15個を使い、釜の上には鉄板を置き、その上にも炭を置いた。
こうして、じっくりと上下から蒸し焼きにしたというのだが、
これってダッチオーブンのつもりではなかったか・・・。





今や江戸東京の料理屋は、京料理に席巻されてしまい、
江戸に鳴り響いた「八百善」も失礼ながら風前の灯。
「扇屋」も数年前に360年もの歴史にピリオドを打ち、
今は、王子の自社ビルの前の掘立小屋で玉子を販売するのみ。





その釜焼き玉子がこれ。15代目主人は「そりゃ築地の玉子焼きの方がきっと甘いですよ」とのこと。


しかし…食べてみると、これがまぁ…築地もぶっ飛ぶ、バカあま加減!
砂糖だけぢゃなく、みりんと酒をたっぷり使っているのだろう。こりゃお菓子!


土産として知られたというから、各地の大名たちをあっといわせるために、
贅沢な鶏卵と、贅沢な砂糖を合わせて焼き上げたのだろう。
甘味は何よりのご馳走で、田舎の大名たちをへへ~っといわせるのはたやすいことだったろう。


さらには宴席で饗された料理に高級武士は手を着けず、酒食になぞ興味ないぞという顔で、
自分の屋敷へ持ち帰ったであろうと考えられる。 大小を置いた家長は家族を集め、
やにわに折を開かせて、ひときわ胸を張り、玉子焼きを取りだしたはずである。
酔った親爺が持ち帰った、深夜の寿司折みたいなもんである。


砂糖はまた保水性があり、たっぷり使うことで防腐効果も備わった。
土産にもってこいだった。玉子を使ったものを考えてみてくれ、
宮崎飫肥の玉子焼き、長崎の鶏卵素麺、・・・みな一様に甘い。


それにしても歴史を顧みず、スパッと料亭をやめてしまうとはな。
この辺が東京のあきんどの潔さなのかもしれぬ。
このジワ~ッとした甘さの中に、ふと江戸の昔に思いをはせたのである。
エールを送っておきたい。「扇屋がんばれ!料亭再興の日を待っているぞ!」
お前は何サマだ!といわれるだろうが。


 


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