日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

朝が来た!

2010-03-05 08:20:52 | Weblog
 おはようございます!
朝方まで起きていて、「起きれるかなー」と心配したけれど…
考えてみれば、遅番なので、ちょっとだけ朝はゆっくりでした。
出勤準備の後、新聞を読んで、お茶するくらいの時間的余裕もありそうです。

それでは、辛いこと、哀しいことも 生きていると、日々、たくさんあるものですが、
そんな時は深呼吸して、気分を切り替えて乗り切りましょうね。

すず
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ハピマミ介護日誌 ~マミィの場合~

2010-03-05 03:16:08 | Weblog

 現役時代、バリバリの教師だったマミィは、整理整頓が得意で、人当たりがよく、温和な人だった。 

 「あの時代の教師は今とは違い、権限が有ってね…子供たちは勿論、親からも尊敬されたものよ。親の言うことは聞かなくても、先生の言うことならバシッと背筋を伸ばして聞いて…。先生にお任せしますって、多少叱ったからといって、文句を言いに来る親もいなかったわねぇ」

教師を辞める前、マミィは時々新聞を広げてはそんな話をしたものだ。戦後すぐの混乱の時代。私達になんて想像も出来ない時代だったのだろう。自宅から毎日お弁当を持ってこれる子は幸せだったという。

 「お弁当の時間になるとね…いつのまにかね、すーっと消えるように教室から出ていく子が数人いたの。最近は、日の丸弁当だーなんて言って、白いご飯に梅干をバカにする人が多い時代だけれど、当時は白米なんて、毎日食べられないしねぇ。お弁当を持ってくることも出来なくて、教室に居ずらかったのでしょうね。熊本は他県に先駆けて給食が始まったから、全国からよく見学者が来たものよ。あぁ、これで全員、同じものを食べられる時代が来たって、嬉しかったわねぇ」

マミィから、もう何度も何度も聴く話になった。戦時中のことは、あまり話したがらない。それでも戦後の話は良く聞いた。優しさの中にも厳しさがある女性だったが、退職前の数年間は、ほとんど学校の様子を語らなくなってしまった。今にして思うと、家庭内暴力、そして校内暴力が世間をにぎわしていた頃だ。マミィにとっては限界だったのかもしれない。ちょうどその頃、「登校拒否教論」という新聞記事を職員室で先生達が広げて話題にしていたっけ。私もマミィを訪ねて職員室へ行ったことが何度かあった。マミィは疲れ果てていた。元同僚の先生だったようだ。相当、ショックだったのだろう。当時はまだ、「うつ病」という日本語もメジャーにはなっていなかった時代。今にして思えば、心が疲れていたんだ…その教師も。そしてマミィも。あの頃からだった。マミィの精神の中で、優しさと強さのバランスが壊れていったような気がする。言うべきこと、正しいことは、はっきりと言う、そんな姿勢で教壇に立っていた筈のマミィの心の変化だった。

 マミィは確かに教師だった。それは、勤務時間を終え、学校という枠を出たあとだってそうだ。教え子に限らず、親から子供が不当な扱いを受けていると感じたら、黙ってはいられない人だった。どこまでも教師。そして出逢った子供達全員に母親的視線を向ける人。マザー・テレサのような万人の母親であり、教師だった。マミィはそんな役割を持ってこの世に生れて来たのだと思う。たとえ一生、結婚することがなかったとしても。教師になってはいなかったとしても…だ。

きっと神様は、マミィが持って生まれた 「この世に生を受けた子供たちす・べ・て! の母親的役割」 をこなした上で、誰かの妻…つまりはパピィの妻になり、姉の厚子と私、チビ子を授かり、実際の母親になることも そつなくこなせると判断したのだろう。

 でも…神様。 ちょっと誤算があったかも? だよ。神様に文句を言うつもりはないけれど、パピィはあの通り、ちょっと我儘だし、厚子だって怖いっ! きっとマミィには荷が重すぎたのだ。 万人の母親でいることと、私達のような俗の世界の家庭を持つことを兼任することが…。 それに、今の時代の教師は辛いと言っていた。混乱の戦後の方が、経済的には貧しくても、人の心に、世間に、があったて!!!!!私が思うに、神様はマミィに役割を多く与えすぎたのだと思う。マミィはきっと、マザーテレサであるべきだった人なんだ。 私たちがもっと我慢すれば良かったのかも。ううん。姉は言いたいこと言っていたけれど、私は理解していたつもりだ。マミィは私達だけのマミィじゃない。クラス45人分の…退職前は、40人分の母なのだ…幼いころは、そう言い聞かせてきた。自分自身に。ちょっと寂しかったけれど。

 晩年のマミィは、何かを言いかけては 言葉を飲み込むことが多くなった。

「何? 何なの? 言ってみてよ!」

厚子ネェがいないとき、そっと聞いてみる。でも、マミィは首をかしげて 魂が抜けたように、ほほ笑むだけだった。今日も流れる我が子殺し、幼児虐待のニュース。

「よそのウチのことだから…」

何も出来ないもどかしさ。通報すれば、児童相談所から親元へ行く。だが、子供がその場で保護されることは、ほとんどない。その結果、親はもっと虐待する。

(こんなニュース、マミィに聞かせたくないな…。校内暴力の時代より、更にヒドイ事になった世の中なんて…。あの時代に騒ぎを起こしていた中学生以下の世代が今、主な親世代になっているのか…。認知症で何も分からなくなっていて、良かったのかもしれない。色々考えてしまって、今夜は眠れないよ、マミィ…)

つい、さっきまで、落ち着かずに暴れていたマミィ。 自分の感情を抑えなくなった分、嫌だと思ったら、言葉ではなく、つねる、ひねるといった行動で表現するようになっていた。暴れるだけ暴れたら、マミィも疲れたのか、眠ってしまった。そんなマミィの髪をそっと撫で、独り言のように枕元で呟くと、んん…とマミィがうなった。どうしたのだろう。体位を変えてあげると、掛け布団が湿っている。枕も…。これって…涙? 私は何も言えず、絶句したまま その日は朝を迎えてしまった。

 

本当に…今、何時? 明日、仕事なのに眠れないね。昨日、流れた2つの虐待死の哀しいニュース…救える命は救いたい。今度、生まれ変わったら、心の故郷になってくれる大人の元に生れてきてほしい。ご冥福をお祈り致します…。

 

 

 

いつだか分からないけれど、続く…。

すず 

 

(このお話はフィクションです)

 

 

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