先月、NHK・Eテレで放送された特集番組について書いた。衝撃的だったのは、昭和20年8月15に夕刻、つまり、戦争が終わったその日に沖縄を目指し、飛び立っていたことだった。父が宇佐市出身で私も2歳まで過ごした場所だが、ほんの5年程前まで、ここにかつて宇佐海軍空港隊が存在していたことすら知らずにいた。ましてや、終戦後に特攻を決行するなど今の価値観からは考えられない! 何故? という疑問に答えは出ないものの、当時の人々に多少なりとも近づけるのが、今回ここにご紹介する書、『宇佐海軍航空隊始末記』だ。著者は、大分県宇佐市生まれの今戸公徳さん。著書の中で冒頭、開戦前のノモンハン事件も含め、第二次世界大戦に至る経緯を大まかに記してくれているため、分かりやすいと思う。
著者は多くの資料にあたっているだけではなく、戦争を知る世代として当時の様子を回想しつつ、特攻隊員の達筆な遺書や日記、特攻前日の様子を綴った生き残り特攻隊員の寄稿文等も多数引用している為、胸に迫って来るものがある。
著者自身、宇佐航空隊があった場所の近くで幼少期を過ごし、後に通行証を手に家業を手伝い、海軍兵学校卒の飛行学生たちが練習実用機で訓練している姿も目にしたそうだ。尋常小学校の頃は爆音がすると空を見上げ、学友と共に興奮している。宇佐空に零戦は無かったそうだが、初めて飛行中の零戦を見た際の様子は… 子供も大人も最初はイケイケドンドンで、どちらかと言えば煽る側だった側面も伺える。政府が悪い、軍が悪い、国民は騙されたという戦後史観で生きてきた。しかし物事はそう単純ではない。平和が当たり前という感覚だった昭和後期に生まれた自分達の世代の男の子達も、軍艦や✈に憧れてプラモデルを作ったり…皆が皆、そうではないにしろ、そんな”男子クラスメイト”の様子も多少は知っている事から、著者が子供だった昭和17、8年頃、村の男の子達にとって、「兵隊さん」は どれほど羨望の的だったことか!。NHK特集の中でも、特攻隊員の近所に住んでいた男性が、そんな村の様子を伝えていた。この著書も、それを裏付ける。
しかし、戦争末期、戦況が悪化していくにつれ、次第に変化していく村人の心情、そして戦後になって180度変わった価値観の中で、周囲の目や空気に苦悩する特攻隊員の残された家族の様子も伝えていた。テレビが伝えたのは、独りの特攻隊員。戦死された方の数だけ、関わった人も含め、数えきれない物語がある。著書は いくつもの物語を伝えてくれる。マフラーを編んで旅立つ”君”に贈った大和撫子。(現在、他の男性と結婚し、北九州市小倉にお住まいだとか!) 或は見送ったおばさんの計らいで日本人形を手渡され、たすきで背負い、「童貞のままいきます」と特攻の空へ散って行った17歳の若者…
埋もれかけた『宇佐航空基地から飛び立った特攻隊員』という負の歴史を掘り起こす努力を続けている地元の人もおり、その代表が平田崇英さん。遺跡保存にも力を入れ、学生など若い世代に語り継がれているそうだ。特に宇佐出身の自分の親戚に読んで欲しいと思う。
P.S. この本は、父が図書館で見つけてきました。