わが苑に梅の花干る久方の 天餘利ゆ支乃流連くる可毛
わがそのにうめのはなちるひさかたの あめよりゆきのながれくるかも
拙ブログでは、新元号『令和』が発表されたあと、その典拠である万葉集の、
梅花の歌の序文(漢字)と歌数首(かな)を書きました。
本歌は、当時大宰府の師(そつ)で、
本歌は、当時大宰府の師(そつ)で、
本歌が詠まれた宴の主人である大伴旅人の歌です。
“かな”だけのものは4月21日にアップしていますが、
今回は“漢字かな交じり”のものを書いてみました。
書道としては、前回と同じく、半切に書く前、A4コピー用紙縦方向1/3の中で、
鉛筆であれやこれやとデザインする楽しみから始めました。
素人なりに特に意を用いたのは次の諸点です。
この歌の主題は“令和の梅の花”、なかでも中心は“花”、
したがって“花”の字の周辺は、できれば空白をつくりたいなあ、と。
下(しも)の句の区切りもいいようだし・・・。
左右の行の対照において、出来るだけではありますが、
上半分の左右には“漢字”と“かな”が相対してくるように、
また、上半分の右には“密”な、左には“疎”な字を、
下半分はその反対で、右が“疎”な、左に“密”な字をそれぞれ配しました。
歌意からして、下への軸線の流れ(散り方、流れ方)は重要、
左右の下半分は微妙に変えつつ呼応させたり・・・のつもりです。
もう一つは“掠(かす)れさせ方”、いいかえれば“淡への移り方”です。
今回は同じ墨を含ませたものを、右上から左の“乃”まで、
途中掠れさせながら、一気に書いています。
掠れ方については、杉岡華邨先生の半切作品をあらためて見直しました。
そこには筆が割れたのをコントロールしながらのものあり、
あるいはグラデーションをつけながらのものすら、ありでした。
また、一昨日、自分が書いたものを、知り合いの奥様(書家の方)に
見ていただきました。
その奥様から、2行目の上の部分は(も)“見せ場”になるので、
“渇筆でもっと大きく”との、それはありがたいお教え。
“見せ場”・・・どこかで読んだような気がし、
高木厚人先生の教本を読み直しました。
大字かなでは、視線が行きやすいのが“左右中央の少し上より”。
ここに第1の見せ場をつくるように、と(そのあと第2、第3のポイントを)。
本作、この部分を修正してのアップであります。
いやはや!この道の遠さ・深さを感じた次第でした。
[追記]
上の修正した書と自分の説明文を見ていただいた奥様先生から、
貴重なご指導を賜りました。
まずは“左上部分”の“見せ場”について。
奥様先生のお教えは更に突っ込んで、
“右上が玄関口”だとすると“左上は奥の間”に当たるとのことでした。
初めての概念です。幽玄の間の空間ということでしょう。
殆ど独りで(先生無しで)やっていると、
こういう次元の話は全く分かりませんでした。
これからこの部分を書くときは、相当意識して書かねば、と教えられた次第です。
もっとも意識しても書けるものではなく修業あるのみなのでしょう。
ほかに奥様先生からは、
2行目3番目の“利”は右最初の“わ”と似ているので“り”がいい、
また、2行目の最後は1行目よりやや上でおさめた方がいい、とも。
以上、うれしき限りのお教えでありました。
歴史に残る書家は、天賦の才の上に厳しい修業でブログ作者が苦労、工夫されているような作品を作っていたのでしょうか。
いずれにしてもこの書から寒い中にも温かく匂い立つ梅のかおりを思い起こしました。
コメントを読んでいる途中で、左右上下で密と疎とあったものですから、墨の濃さもそれで変えているのかと思いましたら、一筆で乃まで書かれたとのこと。大きく納得です。
何れにしましても、全般のバランス、筆の流れはお見事だと思います。