秘すれば花なり
父・観阿弥の跡を継ぎ、能を大成させた世阿弥の言葉です。(半切1/2大)
齋藤孝先生は、世阿弥のこの言葉について次のように解説しておられます。
“「花」とは舞台の見せ場、さわりであり、観客が面白がるということだ。
客の好みは千差万別だ。
相手と状況に応じて打つ手を変えろ、工夫の秘密を悟らせるな、わからないように趣向を変化させよ、
というのが世阿弥から後継者へのアドバイスだ。
したがって「秘すれば花」とは、
一般的に解されているような、秘密にすれば効果的という奥ゆかしさや謙虚さの強調ではない。
観客の反応に命がかかっている能楽者が世を生き抜く戦略的思考の宣言である。
また世阿弥の「風姿花伝」そのものが、当時は家の秘伝であった”とも。
昨年教室で初めて能面を描いた折(「能面を描きました」2023.5.29付拙ブログ)、
能面の見え方の不思議さに感じ入りましたが、
それを演じる方たちには、更にとてつもなく深くて厳しいものがあるようです。
そして、世阿弥は「風姿花伝」の中で「能の元祖は秦河勝(はたかわかつ)で、自分はその末裔である」と
述べていることを今回初めて知りました。
下で述べます古代の日本とユダヤの関係を調べている中で、です。
この秦氏一族は応神天皇のとき、弓月の国(今の新疆ウィグルあたり)から日本へ渡来し帰化したユダヤの人たちで、
秦河勝は聖徳太子にも仕えた一族の中心人物です。
下で何回も引用させていただいている田中英道先生は
「能の起源と秦氏」(田中英道氏 大倉源次郎氏(能楽 小鼓方)共著)の中で、
能という日本文化とユダヤ系との深い関りについても詳述されています。
イヤハヤでありました。
[補記]
古代における日本とユダヤの関係(前編)
長くなりましたので、前編・後編に分けて記します。
日本とユダヤの関係につき、日本の開国以降を扱った前回(2024.1.15付拙ブログ)に続き、
今回は、古代における関係を探ってみたいと思います。
昨年末、『日本とユダヤの古代史&世界史』(田中英道×茂木 誠共著)(ワニブックス)
(以下、田中・茂木本と)なる本に出合いました。
同本を開いた1ページ目の写真は千葉県柴山古墳の「ユダヤ人埴輪」から始まります。
ユダヤ人そっくり、いやユダヤ人そのものの埴輪です。
そして続く「まえがき」(茂木氏担当)は次のように記しています
・主に関東地方の古墳から多く出土する「武人埴輪」が、
正統派ユダヤ教徒のファッションとよく似ているが、偶然かもしれない。
・諏訪大社でかって行われていた儀式・・木に縛りつけた少年を神官が剣で刺す所作を行うという奇祭が
『旧約聖書』創世記の「イサクの燔祭(ばんさい)」とよく似ているが、偶然かもしれない。
・稲荷神社などの赤い鳥居は、
『旧約聖書』出エジプト記の「過越(すぎこし)」・・門柱と鴨居を羊の血で赤く塗った話とよく似ているが、偶然かもしれない。
・・・以下、“似ているが、偶然かもしれない”例示が数件続きます。
本著は両氏の対談形式で進められ、この種微妙で複雑なテーマをド素人の自分にもそれなりに理解できるよう、
解りやすく書かれており、全編を通じ、今回も正に目から鱗の連続でした。
古代において、日本とユダヤはこんなにも関りがあったのか!と。
実は本著、昨年末に、2023年12月発行の5版ものを入手しましたが、同年7月が初版とのこと、
ほぼ月単位で版を重ねていたことになります。
ユダヤ側の著書もと思い、次の著作を読みました。
「ユダヤと日本 謎の古代史」(M・トケイヤ―著 箱崎総一郎訳)、
「日本・ユダヤ封印の古代史」(ラビ・マーヴィン・トケイヤ―著 久保有政訳)(以下、著者をトケイヤー氏と)、
「失われた十部族の足跡」(アビグドール・シャハン著 小久保乾門訳 杣 浩二監修)(以下、著者をシャハン氏と)、
「月の裏側」(日本文化への視角)(クロード・レヴィ₌ストロース著 川田順三訳)(以下、著者をストロース氏と)
なども参考にさせていただきました。
今回の記述は田中・茂木本を主にし、ユダヤ側を添えながら、著者の皆さんのご所論を紹介する形で進めさせていただきます。
自分の記録の側面もこれあり、かなり長くなります。お許し下さい。
目次
(〇 △ ☆ ◇の順です)
〇三者(田中・茂木本、トケイヤー氏、シャハン氏)の論点の特徴
〇古代日本・ユダヤの関り(主に田中・茂木本から)
△「5波にわたるユダヤ人の渡来」
△縄文時代の日本文明とユダヤ人の渡来(第1波)
☆縄文時代にあった「日高見国」
☆出エジプトと第1波、スサノオと出雲
☆神話の「出雲の国譲り」は天孫降臨や神武天皇即位より前に
☆縄文後期に寒波が到来、民族の大移動(東から西へ)
△日本の建国神話と失われた10支族(第2波)
☆シャハン氏が最も断定的
☆トケイヤー氏の所論
☆田中・茂木本、特に田中氏の説として
◇二つの天孫降臨
◇二人の神武天皇
△徐福、秦氏、蘇我氏(第3波~第5波)
☆徐福伝説(第3波)
☆秦氏と巨大古墳時代(第4波)
◇渡来の経緯
◇秦氏が残したもの
◇トケイヤー氏の秦氏の見方
◇シャハン氏の秦氏の見方
☆キリスト教・ネストリウス派としての蘇我氏(第5波)
〇ユダヤ人が日本に定着した(できた)理由と彼らの弱点、残された謎
〇「世界における日本文化の位置」(ストロース氏の講演)(小要約に代えて)
表記の仕方:同一対象であっても呼び方が違う場合もありますが、原則的には引用する著作での表現にしました。
本論に入ります。
〇三者(田中・茂木本、トケイヤー氏、シャハン氏)の論点の特徴は次の通りです。
先ずは、おおまかなところからです。
△田中・茂木本
・日本人の祖先はユダヤ人であるとの意味の「日ユ同祖論」は間違い。
・記紀における国造りは西日本が中心になっている。
出雲の国譲り、天孫降臨、神武天皇東征のいずれも、
縄文時代栄えていた関東、東北を束ねる東国(日高見国)の勢力が西日本を支配する、その過程の構図。
高天原は、海外でも天でもなく、鹿島神宮(茨木)、香取神宮(千葉)、または筑波山の地域にあったと。
ここからの天孫降臨は九州と大和の2か所であった。
出雲の国譲り、天孫降臨、神武天皇東征のいずれも、
縄文時代栄えていた関東、東北を束ねる東国(日高見国)の勢力が西日本を支配する、その過程の構図。
高天原は、海外でも天でもなく、鹿島神宮(茨木)、香取神宮(千葉)、または筑波山の地域にあったと。
ここからの天孫降臨は九州と大和の2か所であった。
・大陸からのユダヤなどの渡来者が、遠くオリエント方面から日本に波状的に渡ってきて、
祖先の日本人もこれを受け入れ、活用し、次第に同化していった。
・日本の神話にも、歴史上の事実としても影響は与えているが、天皇は血筋により天皇になられており、
ユダヤ人は、補佐役に徹している。
△トケイヤー氏
(ニューヨーク生まれのユダヤ人。イェシヴァ大学卒行後、1968年来日、日本ユダヤ教団のラビ(教師)となる。滞日10年。現在は米国に住む。
「ユダヤと日本 謎の古代史」は様々なところで引用され、古代史に興味のあるものの間では必読書とも。)
・日本とユダヤには様々な類似点がある
(神社と幕屋 お神輿と契約の箱 神官の服と祭司の服 両者の三種の神器などなど)
・そもそもアッシリア捕囚で10部族が祖国から追放されたのは、
彼らが偶像神に心を寄せ、真の唯一神の裁きを受けたから。
・10部族の中には、至高神から生まれた子孫を祭る宗教もあり、
日本神話で最初の神から次々に神が生まれてくる構図に似ているのもある。
・またある部族(エフライム族)においては、
・またある部族(エフライム族)においては、
天孫民族の父祖であるニニギノミコトとイスラエル民族の父祖であるヤコブの周辺(兄弟や親子)には
酷似した対応関係がみられる。
・天皇家についても、日本の天皇は単なる王ではなく、大祭司としての役割を持っているとし、
・天皇家についても、日本の天皇は単なる王ではなく、大祭司としての役割を持っているとし、
天皇家には、古代イスラエルの10部族の血、とくに王系の血が流れているのであろうか、としている。
△シャハン氏
△シャハン氏
(1933年生まれ。イスラエルの教育家、文学者、歴史家。専門はホロコーストとユダヤ人蜂起。
ヘブライ大学で哲学博士の学位取得、現在アリエル大学で軍事史を講じる。)
・失われた10部族の足跡を追って、みずからアフガニスタン、中国、インドなどを訪ね、
中でも古代における日本との関係の研究に多くの時間をさく。
・元々が一つの民族で日本とユダヤは兄弟である、とする。
・日本への第1波は北ルート(第2波は秦氏)で、日本の記紀の神話上も歴史的事実としても、
・日本への第1波は北ルート(第2波は秦氏)で、日本の記紀の神話上も歴史的事実としても、
渡来したユダヤ人たちは日本を占領し、定住し、
(旧約聖書をルーツとする)神道の大祭司としての天皇家を設立した、とする。
〇古代日本・ユダヤの関り(主に田中・茂木本から)
△「5波にわたるユダヤ人の渡来」は次の通り
第1波 BC13世紀 出エジプト|縄文時代・日高見国・スサノオ
第2波 BC722年以降 アッシリア捕囚と失われた10支族|日本建国
第3波 BC3~2世紀 秦の始皇帝・徐福と3千人|秦氏各地に渡来
第4波 3~4世紀 弓月国から秦氏2万人|応神天皇が受入れ
第5波 431年以降 エフェソス公会議・ネストリウス派|蘇我氏
(「日本とユダヤの古代史&世界史」(田中英道×茂木 誠共著)p47から)
△縄文時代の日本文明とユダヤ人の渡来(第1波)
☆縄文時代にあった「日高見国」
・記紀の建国神話には西日本がほとんどで、東日本には触れられていない。富士山のことも出てないことは不思議なこと。
縄文時代は遺跡からも明らかなように東日本(関東、東北)が栄えていた。
・太陽信仰と祖先信仰を中心とする「日高見国」という古代国家で、
高天原は鹿島神宮(茨木)、香取神宮(千葉)、または筑波山の地域にあったと。
・鹿島神宮は、列島の東端にあり、神社も日の出を拝む構造になっている日本最古の神社。
主神はタケミカヅチ(武甕槌大神)で、出雲の国譲りの交渉に当る共に
神宮近くに「高天原」との地名も残っている。
☆出エジプトと第1波、スサノオと出雲
・BC13世紀頃、モーゼが率いた「出エジプト」の流れのユダヤ人が日本にも渡来したのが第1波
・彼らは、後の神話でスサノオ役となる人物とそのユダヤ人グループで、
出雲は国譲りをするまではその一族が支配していた。
・神話では、スサノオもアマテラスと同様、高天原で活躍していたが、
暴れ方がひどく高天原から追放され出雲をはじめとした葦原中国(日本列島)へ。
・7世紀に編纂された古事記の編纂に関わった稗田阿礼も太安万侶もユダヤ民族の歴史や古代ギリシャの神話などにも通じており、
スサノオのような異形な人物も実在したから神話の中に入れたと思われる。
☆神話の「出雲の国譲り」は天孫降臨や神武天皇即位より前(BC7世紀以前)に
・出雲の国譲りは、歴史的には関東・高天原(日高見国)勢力による統一事業。
・後に鹿島神宮の主神になるタケミカヅチは、アマテラスの命を受け諸国平定に回っていたが、出雲への「国譲り」の交渉の任を。
スサノオの血を引くオオクニヌシ(大国主)は息子たちに聞いてくれと丸投げ。
兄はあっさり降伏、弟タケミナカタ(建御名方神)も抵抗するが敗北し諏訪盆地に逃走。
その後、出雲の人々は諏訪へ移住させられ、国譲りは完了。
父のオオクニヌシはアマテラスに国譲りの代わりに巨大な神殿を建てることを要求
⇒これが当時としては巨大な出雲大社となる。(日本人の発想をこえる)
一方、諏訪大社(出雲で敗れたタケミナカタを祀る )では、
「イサクの燔祭(ばんさい)」に似た行為(冒頭例示参照)や
御頭祭(75頭の鹿の頭(剥製)を捧げる奇祭)が行われている(いた)
☆縄文後期に寒波が到来、民族の大移動(東から西へ)がこの国譲りやのちの天孫降臨などの神話につながる
△日本の建国神話と失われた10支族(第2波)
・・・失われた10支族の日本への渡来と天孫降臨の建国神話との関り
☆シャハン氏が最も断定的
・「日本占領」との小見出しのもと“・・・北ルートを採った10部族の軍勢の最初の者達は、
日本神話に登場する人物スサを隊長とする先遣隊と共に、BC660年頃に日本へ。
・・・スサの孫が短期間を支配したが、その後列島の一部の支配は、
スサの姉妹であるアマテラスの孫の手に移った。
新支配者は、この支配権の譲り受けをきっかけにして、新天地の占領と定住を本格化させた。
彼の後、BC585年頃、神武という指導者を先頭に、北ルートの大軍勢が、
老人、女性、子供たちを引き連れてやってきた。
彼は日本全土を占領し、日本の天皇家を設立した。
ここまでは全て、日本に押し寄せてきた10部族の第1波である。
・・・・彼ら第1波の人々や子孫は、後代の人々の記憶に、
聖なる地イスラエルからやってきた神の子として深く記憶されたのであろう。”
☆トケイヤー氏の所論
シャハン氏ほど断定的ではないが、10部族の中で、一神教に対する考えが違う(厳しくない)部族、
あるいは日本での神話とその構図が酷似した部族を紹介することで日本への関与を強く滲ませている。
彼は、10部族の中の一つ「バウル宗教」は、至高神エルからバウルが生まれたとしており、
日本神話の最初の神「アメノミナカヌシ」(天之御中主神)から次々と神々が生まれていった構図と似ている。
・(ある日本人学者の指摘として)日本神話に登場するニニギノミコト周辺のことと聖書に記すヤコブ周辺のことが
酷似した対応関係にあるとしている。
天孫民族の父祖であるニニギノミコトとイスラエル民族の父祖であるヤコブとの間、
それらの子・山幸彦とヨセフとそれぞれの兄弟関係、
更にその子・ウガヤフキアエズとエフライム(10支族のうちの1つ)の間、
更にその子4人達とその中の一人であるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)とヨシュア(カナン征服))の間
・・・の諸関係である
☆田中・茂木本には特に田中氏の説として、
◇二つの天孫降臨
縄文後期の寒冷化に伴い東国から西国に民族の移動があった。
そのころアッシリア捕囚からのユダヤ人も日本へ渡来した。
前述の出雲の国譲りや天孫降臨の神話はこの民族移動に合わせてできたもの。
なかでも天孫降臨は、歴史的に見れば、関東から西国への遠征で、
以下のように、九州と大和の2か所で行われた。
ニニギ(瓊瓊杵尊)の孫イワレビコ(神日本磐余彦尊)(のちの神武)東征神話のなか、
大和の地で激しく抵抗するナガスネヒコ(長髄彦 ユダヤ人豪族)が発した次の言葉がポイント。
「お前たちは天孫族だというが、われらの主君ニギハヤヒ(饒速日命)も天孫である。よって国は譲らない」と。
その後ナガスネヒコは主君のニギハヤヒにも見捨てられ、殺されてしまうが、
このニギハヤヒの登場で、
ニニギの九州降臨とニギハヤヒの大和降臨の2か所での天孫降臨があったことになる、と。
この際ニニギは海路、鹿島から鹿児島へ、ニギハヤヒも海路、香取から大和へそれぞれ降臨し、
ナガスネヒコに支配されながらではあるが、ニギハヤヒによる大和統治が出来ていたところに、
後からニニギ系統のイワレビコが東征、神武天皇に即位して日本全体を治めることとなる。
一般には、ニニギが九州の高千穂に天から降りてくることを、天孫降臨というが、
「大和盆地にも降りた」というところが重要だと田中氏は指摘されています。
◇二人の神武天皇
田中氏は、初代神武天皇と第10代崇神天皇には
「はつくにしらす すめらみこと」(最初に国土を統治した天皇の意)との同じおくり名(和風諡号)がつき、
かつ、お二人には「神」という名が入っている(外に15代応神天皇の三人)ところに着目。
イワレビコ目線で書かれた記紀神話では、
ナガスネヒコに支配されていた時代は書き残せなかったかもしれず、
イワレビコは第10代崇神天皇で、
最初のニギハヤヒの天皇とのイワレビコの天皇・・・二人の神武天皇・・・がいたとされ、
この田中氏の説は、茂木氏によれば歴史学会の主流派の考えを覆すものだと。
・・・以下、第3波以降は後編で(3.11予定)・・・
次週(3.4)は、所要により休ませていただきます。
日本文化は昔は「秘すれば花なり」であったのでしょうが、最近は如何に自己主張するかに重点が置かれているように感じます。
日本とユダヤとの関係においては驚きました。
何処の民族の文化文明も他の民族との何らかの関係があって発展してきたのでしょうが、こんなに関係しているとは思いませんでした。
後編が楽しみです。
日本の風習とユダヤの「よく似ているが、偶然かもしれない。」の事例は目にしたこともあり、研究者も多いのでしょう。
古事記に登場する神々とユダヤの失われた10部族の神々との関連性を解説されているのは興味深いです。
出雲の神々は訪ねたことがありますが諏訪大社の御頭祭などの奇祭は見たことがありません、色々解説していただいた後現地を訪ねることができると楽しいかもしれないです。