古稀からの手習い 水彩ブログ

人生の第4コーナー、水彩画で楽しみたいと思います

梅の香を袖に移して留めては・・・(高野切第一種(巻第一)を拡大臨書)

2023-02-20 07:02:17 | 書道
よみひとしら須
むめの可をそて爾う徒し天とゝめては 者るは春くと无可た美ならまし
読み人知らず
梅の香を袖に移して留めては 春は過ぐとも形見ならまし

高野切第一種(以下「第一種」とも)の拡大臨書を続けております。(半切縦略9/10大)(全部をおろした小筆使用)
古今和歌集巻一春歌上の46番歌です。
時季にあわせて梅の歌を書きました。
変体仮名が入ると??ですが、漢字を充てれば何となくわかったような気分になります。


ところで、仮名書道の最高峰とされるこの第一種は、一体誰の手によって書かれたのか。
今回はこのテーマについて、平安三蹟の一人・藤原行成(以下「行成」とも)との関係を探りながら
記したいと思います。
自分の勉強と記録を兼ねたやや細かい内容となりますが、お許し下さい。

高野切の練習を始めたころのある日、「角川 書道字典」(仮名の部)を見ていましたら、
次のことに気づきました。
ある字の出典に「高野切第一種」のそれがあり、
そのすぐ後に「大字和漢朗詠集切」(伝藤原行成)が続き、
この二つの字には、よく似た風情というか “気脈通じるもの”を感じたのです。
たとえば、あ、か行の2行の中だけでも、
あ(安)、う(宇)、お(於)
か(加、可)、き(支)、け(計、介、遣)、こ(己)
・・・などなど、多くの字でその同じ気脈を感じるのです。

「大字和漢朗詠集切」は、当時できた和漢朗詠集をやや大きめの字で書かれたものの切(きれ)で、
行成の筆と伝えられています。

角川の字典では、この二つの出典が相前後して配置され、その上あまりに似ているので、
第一種もあの行成と何らかの関係があるのではないか、と俄然、興味が湧いてきました。

そこでかって拙ブログ(2021.3.8付)でも取り上げた
「和様の書」(2013東京国立博物館等編集)を見直しました。
そこでの「大字和漢朗詠集切」の作品の解説を読んでびっくり、
何と、「筆跡研究の結果、この切は高野切第一種の筆者と同筆と明らかにされた」とありました。
両者は、角川の字典で感じた気脈どころではなく、第一種の筆者の方に纏められていたのです。

それでも「伝藤原行成」となっていることから、
行成と第一種の関係の解明は捨てがたく思い、あらためて
今回お手本の「高野切古今集[第一種]」(二玄社)を読み直してみました。
監修者・小松茂美氏は、巻末最後の最後の方で次のように記されています。

「…もしも、想像をたくましくすることが許されるとすると、
あるいは、この第一種書風は、女性の手ではなかったか。
歌合せの清書に乞われて筆をとった、名流の血筋をうけた藤原行成の女(むすめ)の手に、
それを推すことができないであろうか。」と。
第一種の監修を担当されるほどのお方が提起された大胆な説であり、
しかも行成との関係を示唆されており、二度目のびっくりでした。

因みにということで、今回ウィキペディアも調べてみましたが、そこでは、
「(第一種の)筆者については藤原行成の子の藤原行経とする説が有力だが、確証はない。」
となっていました。
(藤原行経は行成の三男、公卿、能書家 1012-1050(享年38歳)和様の書に彼の作品は見当たらず?)


どちらも“推定”ではあるものの、『第一種は行成の子供が関係している(かもしれない)』
ということのようです。

素人なりに、角川の字典で感じた“気脈通じるもの”から、
結果としてではありますが、第一種と行成の関係の、貴重な「推定」があるのを知り、
ひそかに満足している自分でありました。 
今回も長文、失礼をば!


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2 コメント

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Unknown (mori)
2023-02-20 07:20:41
作品は相変わらず筆の走りと言い、バランスと言いお見事の一言に尽きます。
説明を読んで
色々深めていくと、研ぎ澄まされた感覚で感じたことと、色々想像したことが一致しているかも知れないというロマン、堪らないでしょうね。
私なんかからすると全く異次元の世界ですが、感覚的には何となく分かるような気がします。楽しみながら頑張って下さいと応援するしかありませんが。
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Unknown (サガミの介)
2023-02-20 08:05:23
作者の探求心には敬服するばかりです、
説明にある「…もしも、想像をたくましくすることが許されるとすると、この第一種書風は、女性の手ではなかったか。」との一説に興味が湧きました。
筆跡鑑定の多くの要素に「筆圧」や「勢い」などもあるようですが、女性でも三蹟・行成の書が書ける、男女の差がないとの想像ができるということですね。
作者の書、特に平仮名にいつも感じる「優美さ」は清少納言の書を模写されても輝くものではないかと感じたりします。
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