古稀からの手習い 水彩ブログ

人生の第4コーナー、水彩画で楽しみたいと思います

これぞ書道における奥行き感というお手本を臨書 : 六月や 峰に雲おく あらし山

2016-03-14 06:33:51 | 書道

六月や 峰に雲おく あらし山(芭蕉)
(高木厚人先生の教本から臨書 半切1/3)

ここ数週間“奥行き感”なるものにこだわってまいりました。
昨年高木先生の“大字かな”関連の教本で、書道における奥行き感とか立体感という言葉に初めて出会い、
書道にもこんな概念があるのかと驚きもし、新鮮さを感じたことでした。
しかし、今一理解できずにおりました。
しからば墨絵でその雰囲気を探ってみようと、富士山の雑木林、そして松林とこれを試してきました。
そしてあらためて教本を読み返しました。
これらを通して、ほんの入り口でしょうが、書道の奥行き感とはこんなものなのかな、と感じております。

教本には色々な箇所で奥行き感について触れられていますが、この一枚を書かせていただきました。

“峰”を遠く高くに置き、全体としてみた各行の配置や流れ、余白のとり方、
そして墨の濃淡・潤渇、太細など大いに参考になりました。

また、あらし山の“あ”の字。
角張ったその力強さ、そして“あ”の中の各画線が“峰”に集中しているように見えます。
これも計算されてのことでしょう。
かって、ルノアールの“ピアノによる少女たち”を模写しました(2011.06.02付拙ブログ)が、
その原画は背景のカーテンまでを少女たちの真後ろで束ねて、絵全体を彼女たちに集中させていました。
自分はこのカーテンを結ばず、無神経に、縦長にシャーシャーと書いてしまい、
逆に集中するということはこういうことかと勉強になりましたが・・・。

更には何気ない“や”の字の右肩下がり。
これも作品全体の奥行き感を出すとともに、この部位だけでも見事なバランサ―役を果たしているのでしょう。

書道の専門家の方にとられては、何を驚いているのだと思われるかもしれませんが、
私にとっては、奥行き感というものについて、大きなエポックとなる一枚でありました。

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1 コメント

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Unknown (mori)
2016-03-14 07:24:26
最初書を見たとき、「オッ」と思いました。それは今までの右上から、左下に行儀よく並んだ字を先入観として想像していたからです。最初の一字が始まる部分、それから余白、墨の濃淡全てが新鮮でした。次いでコメントを読んで、成程と驚きました。再度見つめてみてはるか遠くの峰に色の濃淡から字の始まる位置から余白から、更には字の形まで工夫されているのには驚きの一言です。
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