(藤原)興風
身は捨てつ心をだにも放(はぶ)らさじ 終(つひ)には如何(いかが)なると知るべく
(半切縦4/5大 画像処理にてフィルター掛け)
高野切第三種の大字仮名による練習を続けております。
あと数首お付き合いください。
今回何故この歌を選んだのか、それは書き出しの“美は春て徒”(みはすてつ)に
魅せられたからです。
なかでも自分にとっては、“美”と“春”はなかなか整えるのがむずかしい字なのです。
また、5文字それぞれの線の太細の対比や変化、
あるいは左にやや張り出したタテ線の流れがたまりません。
この5文字だけでも、大字での練習を何十回も繰り返したことでした。
歌中の“はふらさし”の意味などが分からず調べてみました。
古語辞典(三省堂)には、
“はぶらす(放らす)”の例歌として本歌の上(かみ)の句が使われ、
そこでは“出世はあきらめたが、せめて、心だけもうっちゃらかしにはすまい”との意とありました。
しかし、恥ずかしながら今度は“うっちゃらかす”の意味が分かりません。
どうやら“打遣かす”と書き、“ほったらかす”の意のようでした。
ということで、大まかな歌意は
(身を立てる)出世はあきらめたが、せめて、
(歌人の矜持という)心だけはほったらかすようなことはすまい、
自分の最後の行く末がどうなるかをしっかり見届けておかねば、
ぐらいのようです。
かって落ち葉にも様々な散り様(ざま)がある趣旨のことを書きましたが、
この歌もまた生き様、散り様を歌ったもののようでもあります。
[補記]
ここにきてオミクロン株が急拡大しているようです。
私が通っていた老人福祉センターでの二つの教室のうち、
書道は去年の半ばに閉鎖しましたが、
絵画の教室(小玉精子先生)もこの3月一杯で閉鎖となるようです。
メンバーはもともと高齢者、これにコロナが追い打ちをかけ参加者が激減してしまいました。
その閉鎖直前に計画されていた絵画展も中止となりました。
この二つの教室は、古稀を迎えた直後の2010年からお世話になっており、
それまで無手勝流でやってきていたのが、
初めて先生についての練習で、実に多くのことを教えていただきました。
また趣味を共にする仲間の方たちとも昵懇にさせていただくとともに、
皆さんから教わることも多々でありました。
教室の閉鎖は残念で寂しい限りのことで、あらためて武漢コロナを憎むものです。
拙ブログは続けたいと思っていますが、
絵画についてはモチーフを準備してもらえる貴重な場でしたので、
新しい教室(クラブ)を含めてこれから当ってみることとします。
何時も思うんですが、何かに秀でる人はやはりここと思うことへの集中力・向上心が尋常ではないと言うことです。
その前提に魅せられるとか好きになると言うことがあるのでしょうね。それがモチベーションになってその方向に向かわせるのでしょう。
コロナですが、この度の感染はすごい勢いですね。
色々な行事が中止になるのは止むを得ないと思います。各世代ごと多くの被害を受けていると思いますが、今が我慢のしどころでしょう。何時か克服できることを願っています。
ブログどうか色々工夫をされてお続けください。楽しみにしています。
オミクロンという風邪風に変化した悪魔、早く風邪に成り果ててくれればいい、と願っています。