題知らず 讀み人知らず
世の中はいづれかさしてわがならむ 行き止まるをぞ宿と定むる
(半切縦4/5大 画像処理にてフィルター掛け)
高野切第三種の大字仮名による練習を続けております。
今回はいずれも“知らず”ながら、歌題と作者名を書きました。
理由は二つで、一つは書道として、
この2か所と本歌中の計3か所で“し”の字による縦線のアクセントがつけられていることと、
もう一つは後に述べますこの歌の深い意味からです。
先ず書道の観点からは、作品は和歌だけでなく、歌題、作者名、詞書、
そして空白も含めた総合的なものであることを教えられました。
見開きで見るどのページも書家としての工夫が行き届いており感服させられました。
今回の“し”も、それぞれの伸び先の方向を微妙に変えながら、
三者の位置で絶妙に響きあっています。
また、主役である縦線を支える横線、斜め線、曲線の配置も実に効果的に見えます。
もう一つの歌の意味です。
実はこの歌、恥ずかしながら、上(かみ)の句の意味が分からず、ネットで調べてみました。
どうやら深ーい深ーい意味があるようです。
色んな方が解説をなされていますが、
[名歌鑑賞のブログ]様の2015.11.6付の記事に
本歌の解説がなされていたのを引用させていただきます。
歌意としては
“移り変わるこの世に変わらぬ我が家をもとめることは無理というもの。
足の向くままに歩いて行きどまったところを住まいにしよう”と。
(いづれか・・一体どこが さして・・指定して わが・・わが家)
同ブログ様の本歌に関する感想として
“人は自分の思うように人生が展開するとは限らない。
失敗したり、心配事があると思い詰めたりする。
その思い苦しむ人に、
“明日は明日の風が吹く、なるようになるさ”
と表記の歌は呼びかけている、と。
[名歌鑑賞のブログ]様には素晴らしい解説を教えていただきました。
あえて“題知らず”、“讀み人知らず”のこの歌を、
古今和歌集という我が国最初の勅撰和歌集に選んだ撰者の人たちも凄いし、
ここにアクセントを置いて書いた高野切第三種の書家の方も素晴らしいし、
数ある歌からこの歌を名歌の一つに選ばれた[名歌鑑賞のブログ]様もまた凄いなあ、と。
とここまで書きながら、あの一休禅師の次の言葉を思い起しました。
「心配するな 大丈夫だ 何とかなる」
禅師が自分の死に際し、お弟子さん達に、
“本当に苦しい時、困った時に開けて見なさい”
として残した封書の内容がこの言葉だったとのことです。
今回の和歌といい、一休さんの封書といい、
ともに人生の救いの言葉ですね。
「し」の響き合いは言われなければ全く気が付きませんでした。
「バランス」は何となく感じましたが、説明されて大きく頷いた次第です。
歌の意味で「移り変わるこの世に・・・」は、長男として生まれた自分を考えるときに、故郷のことを如何にしたものかと思い悩む助けになります。
作者の解説も納得ですが、“明日は明日の風が吹く”の「ケセラセラ」も共感できます、更に一休禅師の「心配するな 大丈夫だ 何とかなる」は改めて座右の銘にしたくなるような言葉です。
このブログは、作品による感動は勿論ですが、絵と書以外の解説で学ぶことが多いです。