(6)沼田平八郎の墓
途中まで戻ってR-265を北上して万福寺に向かう途中に墓所看板。
沼田平八郎は1581年に敗死し、沼田氏の祖・三浦氏が1247年に利根に
来てから334年の時を経て利根の支配者の座を降りた。1580年には
既に真田昌幸は勝頼の命によって沼田における北条勢力を一掃し、無血入城して
いたが、平八郎は翌年に再起を謀って沼田城奪還の兵を進めるが、蔵内城で
奸計によって倒されたのである。
墓のある場所は小沢城址となつている丘の上だった。但し、この小沢城は
沼田氏にとっては1405年から1519年までの114年間使用していた城なので
平八郎とは直接の関係は無い。因みに小沢城の後は幕岩城で13年、その後は
蔵内城。ここで早めの昼食と休憩。
(7)東石墨の道祖神
四つ角から北進、関越を潜った少し先で右折するとりんご畑の中に数基の
自然石に半肉彫りされた道祖神がある筈だったが、どう探しても見つからずに
断念。
(8)石墨大神宮
更に北上、分岐で左の道で石墨大神宮
二つの石宮に囲まれて道祖神
青麻神社の文字碑
隣に国指定天然記念物の「薄根の大クワ」、樹齢1500年と云われ、桑畑では
日本三銘木の一つとか。道脇に案内道標。
畑の中で巨大なクワの木。
(9)追母(オッポ)の薬師堂(西石墨)
大神宮から大きく左にカーブして四釜川を渡り佐山に向かう道に出ると
合流点の山手に案内板。
石段の上に、小倉百人一首に収められている和歌の作者・凡河内躬恒と老母白菊の
伝説に纏るこの「おっぽ薬師」は眼を治す薬師様。
石段の上の左右に地蔵菩薩や常夜搭
堂内には十王群が18基。この地域の十王思想の集約の筈だったが、苦労して
内部を写したら、もう一つ奥があって肝心のものは見えなくて残念。
追母薬師伝説
主役は平安前期の歌人で凡河内躬恒(オウシコウチノミツネ)とその母親の
白菊御前。凡河内躬恒の身分は高くはなかったが、古今和歌集の選者でもあり
36歌選の一人。小倉百人一首の29「心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花」の作者として著名。
伝説とはーーー道真が大宰府に流された頃、躬恒も上州三峰山に幽閉される。
息子の安否を気遣った母親は遥かな京から三峰に向かう。しかし、三峰を
目前にして石墨の地で力尽きこの世を去つてしまつた。躬恒は悲しんでこの
歌を詠んだと云われる。それを悼んだ村人が建てたのがこの薬師堂。
三峰山の名も躬恒(ミツネ)からとの伝承もある。
だが、舞台は遥かな昔、道真の左遷は901年、古今和歌集の選上が905年。
だから本人の生没年不詳と云っても、九世紀末から十世紀初頭の人。
関東では未だ平将門も暴れ出す天慶の乱より数十年も前の事。
(10)萬福寺
更に北上してR-265に合流して進むとこんな看板、何か沼田氏に関係かな?
東にはこんな山
そして萬福寺の道標で到着
閻魔と奪衣婆の一対
(11)十一面観世音岩窟堂・岩屋堂(上佐山)
少々疲労気味だが、もう一踏ん張りで北上して岩屋堂
ここも石段を登る
閻魔と顔の破損した奪衣婆
堂内の写真は良く判らない。
その他の石仏
(12)磨崖五仏
いよいよ本日の本命の金剛界五仏の磨崖。ところが全く案内板も無く、
尋ねるにしても人影も無い。兎に角、岩屋堂から東に向かって四釜川を
渡つた山の中とだけを頼りに探す事、一時間弱でお手上げ。
先ず最初は岩屋堂下手から細道で東に向かい、四釜川の河原まで
出るが案内書にある橋が見つからず引き返す。
更に橋を探しに北へ150m程、りんご園看板のところに東への林道。
それを辿ると確かに橋、その名は「赤岩橋」、
立派な林道で車を置いて来た事を悔やみながら0.5kも登るが
案内表示が一切ないので撤退。
帰途の途中で沢に降りる作業道跡、暫く辿ると岩が現れて期待するが
全く痕跡無し。
三度目の正直とばかり、少し下手の果樹園に続く細道へ。これも途中の
雑草の原で遮られて沢まで行かれず撤退。
諦めかかった時に丁度通りかかった軽トラに強引に止まって貰って
聞き出した。何でも地元では磨崖仏として環境を整備して文化財指定を
貰いたいらしいのだが、地主の方とどうしても話合いが付かず、
案内も道の整備も出来ないとのこと。
まず、岩屋堂の反対側の細道を別荘地の方に向かう。
踏み跡で沢に下りると小さな堰堤。そこから50m程、上流に遡ってから川を
渡る。橋はなく膝下までの流れを強引に渡って対岸の杉林の急斜面を登る。
やがて樹間に白い巨石が見える。付近の大岩は苔むして黒ずんでいるので
特に白が目立つ。かってはここが岩屋堂だったらしく履屋で覆われて
いたらしいし、祭礼もあって橋や参道が整備されていたとの事。
左脇下に破損した奪衣婆
五仏はこんな具合。
大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就を表す金剛界五仏で1708年の造立とか。
以上で本日の探訪は終了。走行距離105k。
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途中まで戻ってR-265を北上して万福寺に向かう途中に墓所看板。
沼田平八郎は1581年に敗死し、沼田氏の祖・三浦氏が1247年に利根に
来てから334年の時を経て利根の支配者の座を降りた。1580年には
既に真田昌幸は勝頼の命によって沼田における北条勢力を一掃し、無血入城して
いたが、平八郎は翌年に再起を謀って沼田城奪還の兵を進めるが、蔵内城で
奸計によって倒されたのである。
墓のある場所は小沢城址となつている丘の上だった。但し、この小沢城は
沼田氏にとっては1405年から1519年までの114年間使用していた城なので
平八郎とは直接の関係は無い。因みに小沢城の後は幕岩城で13年、その後は
蔵内城。ここで早めの昼食と休憩。
(7)東石墨の道祖神
四つ角から北進、関越を潜った少し先で右折するとりんご畑の中に数基の
自然石に半肉彫りされた道祖神がある筈だったが、どう探しても見つからずに
断念。
(8)石墨大神宮
更に北上、分岐で左の道で石墨大神宮
二つの石宮に囲まれて道祖神
青麻神社の文字碑
隣に国指定天然記念物の「薄根の大クワ」、樹齢1500年と云われ、桑畑では
日本三銘木の一つとか。道脇に案内道標。
畑の中で巨大なクワの木。
(9)追母(オッポ)の薬師堂(西石墨)
大神宮から大きく左にカーブして四釜川を渡り佐山に向かう道に出ると
合流点の山手に案内板。
石段の上に、小倉百人一首に収められている和歌の作者・凡河内躬恒と老母白菊の
伝説に纏るこの「おっぽ薬師」は眼を治す薬師様。
石段の上の左右に地蔵菩薩や常夜搭
堂内には十王群が18基。この地域の十王思想の集約の筈だったが、苦労して
内部を写したら、もう一つ奥があって肝心のものは見えなくて残念。
追母薬師伝説
主役は平安前期の歌人で凡河内躬恒(オウシコウチノミツネ)とその母親の
白菊御前。凡河内躬恒の身分は高くはなかったが、古今和歌集の選者でもあり
36歌選の一人。小倉百人一首の29「心あてに 折らばや折らむ 初霜の
おきまどはせる 白菊の花」の作者として著名。
伝説とはーーー道真が大宰府に流された頃、躬恒も上州三峰山に幽閉される。
息子の安否を気遣った母親は遥かな京から三峰に向かう。しかし、三峰を
目前にして石墨の地で力尽きこの世を去つてしまつた。躬恒は悲しんでこの
歌を詠んだと云われる。それを悼んだ村人が建てたのがこの薬師堂。
三峰山の名も躬恒(ミツネ)からとの伝承もある。
だが、舞台は遥かな昔、道真の左遷は901年、古今和歌集の選上が905年。
だから本人の生没年不詳と云っても、九世紀末から十世紀初頭の人。
関東では未だ平将門も暴れ出す天慶の乱より数十年も前の事。
(10)萬福寺
更に北上してR-265に合流して進むとこんな看板、何か沼田氏に関係かな?
東にはこんな山
そして萬福寺の道標で到着
閻魔と奪衣婆の一対
(11)十一面観世音岩窟堂・岩屋堂(上佐山)
少々疲労気味だが、もう一踏ん張りで北上して岩屋堂
ここも石段を登る
閻魔と顔の破損した奪衣婆
堂内の写真は良く判らない。
その他の石仏
(12)磨崖五仏
いよいよ本日の本命の金剛界五仏の磨崖。ところが全く案内板も無く、
尋ねるにしても人影も無い。兎に角、岩屋堂から東に向かって四釜川を
渡つた山の中とだけを頼りに探す事、一時間弱でお手上げ。
先ず最初は岩屋堂下手から細道で東に向かい、四釜川の河原まで
出るが案内書にある橋が見つからず引き返す。
更に橋を探しに北へ150m程、りんご園看板のところに東への林道。
それを辿ると確かに橋、その名は「赤岩橋」、
立派な林道で車を置いて来た事を悔やみながら0.5kも登るが
案内表示が一切ないので撤退。
帰途の途中で沢に降りる作業道跡、暫く辿ると岩が現れて期待するが
全く痕跡無し。
三度目の正直とばかり、少し下手の果樹園に続く細道へ。これも途中の
雑草の原で遮られて沢まで行かれず撤退。
諦めかかった時に丁度通りかかった軽トラに強引に止まって貰って
聞き出した。何でも地元では磨崖仏として環境を整備して文化財指定を
貰いたいらしいのだが、地主の方とどうしても話合いが付かず、
案内も道の整備も出来ないとのこと。
まず、岩屋堂の反対側の細道を別荘地の方に向かう。
踏み跡で沢に下りると小さな堰堤。そこから50m程、上流に遡ってから川を
渡る。橋はなく膝下までの流れを強引に渡って対岸の杉林の急斜面を登る。
やがて樹間に白い巨石が見える。付近の大岩は苔むして黒ずんでいるので
特に白が目立つ。かってはここが岩屋堂だったらしく履屋で覆われて
いたらしいし、祭礼もあって橋や参道が整備されていたとの事。
左脇下に破損した奪衣婆
五仏はこんな具合。
大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就を表す金剛界五仏で1708年の造立とか。
以上で本日の探訪は終了。走行距離105k。
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