![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/16/6f745260aa864b0854ce49a1ecedf897.jpg)
今日は外れないようにと願って期待のめがね橋だったが
肝心の橋に来ると見上げた限りでは紅葉は全くだめ、駐車場もガラガラ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/89/8c8078b2a3ae7be60fe6c6cf1f65898d.jpg)
あっさり諦めて熊ノ平へ走行するも沿道に紅葉皆無、
熊ノ平駐車場にも先行車一台のみのお粗末。
代わりに派手な通行止め注意板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/9289e07fbfd50aa89799de1fa4f8a8b1.jpg)
駅跡方面の山上に僅かに紅葉の気配があったので駅跡まで散歩。
駅跡には僅かに紅葉、植樹と分かっていても少ないながら
本日の貴重なお土産。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
ここまで来たからには別のお遊び。爺イの好きな史跡探訪?の
真似ごとに切り替え。
熊ノ平駅跡に立つと横川側に4本、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/e9/dc1bbbd34d055ae33015d20f8e2dfe3f.jpg)
軽井沢側に3本のトンネルが残って居る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/16/6f745260aa864b0854ce49a1ecedf897.jpg)
横川側
向かって左から新線上り線、次は新線下り線(旧線上り突っ込み線)、
その右が遊歩道の旧線の単線アプト道、右端は旧線下り押し下げ線。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
軽井沢側
向かって右から新線上り線(旧線上り押し下げ線)、新線下り線(旧線の本線)
旧線下り突っ込み線(保線路として利用)。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
何故トンネルが7本なのか?
アプトの時代と新線の時代にこの7本がどう使われたか?
を実感するのが本日のお遊び。
もともと熊ノ平は、単線であった旧線で上りと下りの
列車がすれ違うために作った場所であるが長い列車は
そのままではすれ違いが出来なかった。
そこで考え出されたのが、短いトンネルを掘ってスイッチバックの
要領で列車を動かす方式だった。(6)トンネルで横川から来た
下り列車は、軽井沢側の(1)の「下り突っ込み線」に列車前部を
入れて停車する。その間に、軽井沢から(2)を潜って来た
上り列車は空いた(6)に入って通過する。
その後に(1)で待機していた下り列車は横川側(7)の
「下り押し下げ線」へバックしたあと(2)の本線に戻って
軽井沢に向かうのである。
同様に(2)を出て来た上り列車は横川側の(5)の「上り突っ込み線」に
一旦頭を突っ込み横川側(6)から来た下り列車を空いた(2)から
通過させた後に(3)の「上り押し上げ線」にバックしてから
空いた(6)を通過して横川に向かうーーーという単線時代の姿が
想定できた。
そこで新線の時代はと云うと先ず(4)の「新線上り線」のトンネルが
出来たので(3)の旧「上り押し上げ線」は単なる「新線上り線」となって
ストレートで(4)の「新線上り線」のトンネルで横川へ進み
(5)の「上り突っ込み線」も「新線下り線」に変身して軽井沢側の
旧本線(2)が変身した「新線下り線」を使って軽井沢に向かったが
結果として新線の時代は(1)(6)(7)が不要になり(6)のみが観光用の
アプトの道となっている。
尚アプトの道になっている旧碓氷線は1963年にこの
碓氷新線の開通に伴って廃止となり1966年の碓氷新線
の複線化によって、熊の平駅も信号場に降格、
1997年の新幹線開通でその使命を終えている。
めがね橋より見える今は廃線の新線。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/76/ae56fef6aaa0f583801b369e5779fef7.jpg)
一旦、熊ノ平駐車場に戻ったが爺イの遊びは未だ終わらない。R-18は
現在熊ノ平ー軽井沢間が通行止め、紅葉時期でもないので車両の通行が
殆どない。そこで何時もは出来ない路傍駐車が可能なので国道から
見たアプトの道の一端を訪ねることとした。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
五連甲横坑
この横坑は6号トンネルが長い為、工期短縮を図って、
途中からもトンネルを掘るためのもの。つまり
トンネル出入口以外からも入れるように造られ、
掘削時に発生した湧き水や土砂などをここから外に出
したり、トンネル内に空気を送り込んでいた名残り。
という事で当てが外された憂さ晴らしの様な半日で
帰路のおぎのや釜めしも半分残し僅かに名物力餅を土産にして
帰路についた。
肝心の橋に来ると見上げた限りでは紅葉は全くだめ、駐車場もガラガラ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/89/8c8078b2a3ae7be60fe6c6cf1f65898d.jpg)
あっさり諦めて熊ノ平へ走行するも沿道に紅葉皆無、
熊ノ平駐車場にも先行車一台のみのお粗末。
代わりに派手な通行止め注意板。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e6/9289e07fbfd50aa89799de1fa4f8a8b1.jpg)
駅跡方面の山上に僅かに紅葉の気配があったので駅跡まで散歩。
駅跡には僅かに紅葉、植樹と分かっていても少ないながら
本日の貴重なお土産。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/49/67/a8fd26ca0a5f71e58cc851345665093d_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/f7/58e9c34d9c79c1669e0711bf2c83fec2_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/25/4c/c6f7da95bbe15ccd1846844a82bb584d_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/56/23b88f23f638d1bde5ed8aebee5ccdc9_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/57/48a815cc99d683ff89d9b6ad86e6da74_s.jpg)
ここまで来たからには別のお遊び。爺イの好きな史跡探訪?の
真似ごとに切り替え。
熊ノ平駅跡に立つと横川側に4本、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/e9/dc1bbbd34d055ae33015d20f8e2dfe3f.jpg)
軽井沢側に3本のトンネルが残って居る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/16/6f745260aa864b0854ce49a1ecedf897.jpg)
横川側
向かって左から新線上り線、次は新線下り線(旧線上り突っ込み線)、
その右が遊歩道の旧線の単線アプト道、右端は旧線下り押し下げ線。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/70/a565997f195ae3e339b044128976e3ad_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/b9/c2658eaceb127508d2445fcd459982db_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/ff/478c81c9070fb0ce4dac063c02267610_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/0f/b731e7ed3fa7ee10a2518281161e85a2_s.jpg)
軽井沢側
向かって右から新線上り線(旧線上り押し下げ線)、新線下り線(旧線の本線)
旧線下り突っ込み線(保線路として利用)。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/62/24/4a017ffeb3853d36f9ef20851e1d401b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/09/42da9f0ad2b4cc8ff67cab6a54859d61_s.jpg)
何故トンネルが7本なのか?
アプトの時代と新線の時代にこの7本がどう使われたか?
を実感するのが本日のお遊び。
もともと熊ノ平は、単線であった旧線で上りと下りの
列車がすれ違うために作った場所であるが長い列車は
そのままではすれ違いが出来なかった。
そこで考え出されたのが、短いトンネルを掘ってスイッチバックの
要領で列車を動かす方式だった。(6)トンネルで横川から来た
下り列車は、軽井沢側の(1)の「下り突っ込み線」に列車前部を
入れて停車する。その間に、軽井沢から(2)を潜って来た
上り列車は空いた(6)に入って通過する。
その後に(1)で待機していた下り列車は横川側(7)の
「下り押し下げ線」へバックしたあと(2)の本線に戻って
軽井沢に向かうのである。
同様に(2)を出て来た上り列車は横川側の(5)の「上り突っ込み線」に
一旦頭を突っ込み横川側(6)から来た下り列車を空いた(2)から
通過させた後に(3)の「上り押し上げ線」にバックしてから
空いた(6)を通過して横川に向かうーーーという単線時代の姿が
想定できた。
そこで新線の時代はと云うと先ず(4)の「新線上り線」のトンネルが
出来たので(3)の旧「上り押し上げ線」は単なる「新線上り線」となって
ストレートで(4)の「新線上り線」のトンネルで横川へ進み
(5)の「上り突っ込み線」も「新線下り線」に変身して軽井沢側の
旧本線(2)が変身した「新線下り線」を使って軽井沢に向かったが
結果として新線の時代は(1)(6)(7)が不要になり(6)のみが観光用の
アプトの道となっている。
尚アプトの道になっている旧碓氷線は1963年にこの
碓氷新線の開通に伴って廃止となり1966年の碓氷新線
の複線化によって、熊の平駅も信号場に降格、
1997年の新幹線開通でその使命を終えている。
めがね橋より見える今は廃線の新線。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/76/ae56fef6aaa0f583801b369e5779fef7.jpg)
一旦、熊ノ平駐車場に戻ったが爺イの遊びは未だ終わらない。R-18は
現在熊ノ平ー軽井沢間が通行止め、紅葉時期でもないので車両の通行が
殆どない。そこで何時もは出来ない路傍駐車が可能なので国道から
見たアプトの道の一端を訪ねることとした。
(画像左クリックで拡大、画面左上の左向き矢印で戻る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/02/366d0512ad1c57bb0c29e3d89484df93_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/76/f739d66885b3d59fe0cfd13fa8e2a5b5_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/50/96/4c1a19b4c32770b26e5ea4c6e2da6b27_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/cc/016ad40d2dd4a4fcc88d4d17a32bfda9_s.jpg)
五連甲横坑
この横坑は6号トンネルが長い為、工期短縮を図って、
途中からもトンネルを掘るためのもの。つまり
トンネル出入口以外からも入れるように造られ、
掘削時に発生した湧き水や土砂などをここから外に出
したり、トンネル内に空気を送り込んでいた名残り。
という事で当てが外された憂さ晴らしの様な半日で
帰路のおぎのや釜めしも半分残し僅かに名物力餅を土産にして
帰路についた。
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