クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

南牧・富士浅間山を東コースから H-23-4-30

2011-04-30 21:18:48 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
強風も収まった様なので南牧・富士浅間山へ。先日、下仁田の
富士浅間山に登ってから気になっていた山である。



この村は所謂「限界集落」と称される過疎高齢化日本一と言われる村。
最近の40年間で人口は70%も減少、平均年齢62.5歳、老齢人口割合57%、
幼少人口割合4.6%。2011-3現在の人口2410人。
下仁田市街地からR-45(下仁田上野線)に入り小沢橋を渡る。
対岸には寛政年間のやや小振りな常夜燈



その向かい合いには黒滝山への道標。ここからはR-202
(黒滝山小沢線)。



約2K弱で左側に南牧村ハイキングコース案内、車中から眺めた
限りでもマイナーの富士浅間山は真中下部に目立つ。



直ぐ先のカーブミラーに黒滝山は左折の表示。丁度大塩沢消防詰所
の角だ。



ここから約1.5K位で再びこの道標で左折してR-202と分かれる。



途端に村道工事中の看板でドキッ。すれ違いも難しい道幅の狭い
村道では通過は無理かな?と嫌な予感。



果たして1Kも行かないうちに工事現場の事務所。作業員が両手で
大きくXサイン。確かに重機の音も聞こえる。難しいUターンを
その作業員が替わって運転、集落まで引き返して下さいとツレナイ
お言葉。狭い村道は途中に駐車場所もない。何の事はない、分岐近くの
さっきの工事看板のスペースまで後退して駐車(9.40)。
ここで帰る訳にもいかないので傾斜の険しい村道を登り返す。
工事現場で地形図を示して予定ルートを説明、現場を外れている事を
納得してもらって工事跡を通過。現在はこの右手遥か上の山肌が
現場らしい。



蛇行する林道の真上から重機の音がするので崩落が怖くて走り抜け
二股分岐は右を選択、間もなく通行止めのゲートだが見なかった
ことにして摺り抜け。



その先は草茫々だが道幅はしっかりと保たれている。



この橋を渡ると元の方向に戻りそうなので試しに直進。



だが、100Mも行かない内に崩落で進行不能、橋まで戻る。



橋を渡って左岸に移ると遡行する道が続いていた。岩の間には
鮮明な動物の足跡。



やがて土砂が流されて岩が露出した場所、ガードレールはあつても
とても道と言える代物ではない。



最初の堰堤横を通過、この峠道は堰堤工事用の作業道となって
居るらしいから堰堤のある限り道形は残っていると確信。



落ち着いた雑木林の道が出てきて喜んだのも束の間、直ぐに崩落で
大荒れの沢歩きが多くなる(10.23)。



岩の切れ目に木橋、完全に腐っていて触っただけでも崩れそう。
右に廻って通過。



堰堤の銘板に依ると平成11年の工事、僅か10年余の間にこんなに
古ぼけるのかな?



再び、林間の綺麗な道。但しほんの僅かの区間。



又もや、崩落地帯になって堰堤も右隅の僅かの隙間を抜けていく。
何時もは尾根を外すな! で歩くのだが沢が深くてナビが沈黙した
ままなので今日は沢を外すな!で歩くほかはない。



前方に本日初めてのピンクリボン、人の痕跡なら作業用でも
何となくホッとする。



沢は益々の荒れ方、倒木多数で短足爺イは跨ぐのに苦戦。



沢の左右に人工の石垣、これも昔の防災措置かな?



沢が大きく分岐、右にはG氏のものらしいブルー紐、



左には赤テープ、どちらにするか暫く考える。



結局、前方に微かに見える鞍部風のものが峠と判断して
方向からして左の赤を選択。



あと、峠まで140M地点で隙間のない強烈な藪、何か山椒の様な
匂いが強い。右の小尾根に乗り上げて藪を敬遠して再び沢に下りる。



薄くなった藪の中で再び石垣。



そして待望の峠に到着、乗り越しはこんな感じで藪は薄い模様。
下底瀬から沢を詰めてくれば多分ここに到達するのだろう(11.18)。



大木の幹に標識が螺子止め、このタイプの表示の存在は何時も
有り難く思ってはいるものの、釘打ち・螺子止めは如何な物か?
疑問が消えない。ここで大休止。



目指す富士浅間山はこの稜線を辿って直線距離は僅か0.5Kとナビが云う。



歩き始めると直ぐにピークと見間違える様な大コブ。接近すると
正面突破は不能、右手の方が木の根の露出が多いのでそちらに
向かうと右側が切れ落ちて足幅一つのトラバースになる。
途中で竦んで硬直し進行不能。そろりそろりと撤退して反対の
東側に急斜面をトラバース。「最初の岩は左を抜けた」との「300山」
の記述を今頃思い出したが、あとの祭り。



120度以上の回り込みで漸く東稜線、下の方を見るとなにやら目印
多数。多分、そこが迂回道の出口らしいので帰路に確認することにした。



稜線に戻って南南東に進むと目の前にウンザリするような大コブ。



途中で気晴らしに斜面の躑躅。



途中に野鳥の卵が落ちている。中は乾いていないので極く
最近のもの。



地形図にもはっきり見える傾斜の緩い地帯を進む。



見慣れた何時ものブルー紐の目印が多数。



再びつつじのお出迎え。



やがて南北に細長い頂上台地に北端から到着。二つの石宮と
標識が一つ(12.15)。



標識には()で月形山とある。確かにこの辺は1889年に大日向・
六車(ムクルマ)と合わさって月形村。小沢・磐戸と共に南牧になったのは
1955年の事だ。



南から眺めたほうが格好が良いな。南からは稜線が上がってきている。
Aninecoさんは多分ここから来たはず。



三角点は三等で点名・千軒山 898.6m。石宮にも千軒と彫って
あつたような気がする。



展望は良くない。新芽が出始めたので邪魔になりこんなものしか。



標識のあった痕跡、明らかに峠のものと同じと思われるが
微かに残る断片から見ると螺子を外さずにそのまま引き
ちぎられたような感じ。



本日の爺イ。



昼食の後、十分休憩してから下山開始。往路の苦労が嘘のように
ルンルンで岸壁前、東に廻って往路で目印を見た迂回路出口を確認。
数種類のテープ目印とこんなものまで。



回り道はこんな具合の斜面に付けられている。一部、藪だが
さしたる問題も無く稜線へ。



出口(登りの入り口)に目印は無くこんな特徴のある木の根。
位置は峠から登り始めて僅かに60m位か? 入り口から直ぐが
藪なので気が付き難いかも。



峠への到着は13.16。ガクガクする膝を休めながら進路の藪を観察。
往路では小尾根に逃げたので下りは意地でも此処を突破するつもり。
左目にゲート状に赤テープがあったのでそちらを選択。



この選択は大誤算。直ぐに猛烈な竹薮、どう云う訳か全て倒れているので
進行に大苦戦。



竹薮を過ぎたら例の山椒の匂いの強い藪。斜面に逃げれば
良かったと悔やむが今更どうしようもない。



酷い藪を抜けてホッとする。



例のピンクリボンも現れてもう安心。



だが、下地は相変わらずのゴロ岩だらけ。



堰堤乗り越しを三回も繰り返して腐った橋の通過が13.58。
路傍に花が見える頃になると重機の音が響いてきて漸く帰着と
安心感。



工事事務所に挨拶して駐車場所目指して村道を下り
到着が14.27。近くの人に聞いたら数年前の大水害以来、
峠への道は人が全く通らないとの事、逆に沢の様子を
聞かれて苦笑い。どうやら本日も無事帰還でめでたし。

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