![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b5/778d647656f540c95bb9b0d48a90b765.jpg)
小野関三太夫氏の彫刻のある岩に到達した後の事を
書こうとしたら後半の約40分間の記憶が失われていたが
残された画像を見ながら「こうだつたらしい」との
推定が出来たので続編を綴ることにした。
人間の脳の中で、「新しい記憶」は海馬に、「古い記憶」
は大脳皮質にファイルされていると云われているが。
日常的な出来事や情報は、海馬の中で一度ファイルされて
整理整頓され、その後、大脳皮質に溜められていくらしい。
だが、ある条件の中では肝心の海馬に入った「新しい記憶」が
失われ大脳皮質に届かないとか。原因は疲労・ストレス
老化などだが爺イは全てに当てはまる。特に昨年に卒寿を
越えた身体能力では十分に起こり得るし、二月末に家族を
襲った不幸な出来事のストレスも未だ曳きづっている
かもしれないーーーという事でややいい加減な記事として
見てください。
到着して先ずは忘れないうちに本日の爺イ。(11.53)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a9/84c5cd8d7e5e55ed41515e1f34bbb12d.jpg)
ゆっくりと休憩しながら春の陽を浴びながら昼食後に
折角だから行者堂跡の広場から相馬山を仰ぐが折からの
黄砂の影響か薄い影のみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/39/6aec65c6dfd05a266bcd5bd6bbfc3152.jpg)
目の前の河原に別れを告げて帰路のスタート。復路の
楽しみは鷹ノ巣連山との鞍部の確認と後半のルートでは
モトクロス道を探る事。(12.25)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/56/f4dfbd29a6f431c7909d308263a4daa4.jpg)
鞍部の確認は「山はこれから」さんからのこんなヒント。
「笹原を緩やかに登りきって、杉・檜の植林地域に至った
所が、1042と鷹ノ巣山の峰筋、しいて言うなら「鞍部」に
なります。その先は植林地に沿ってほぼ平坦な道ーー」。
往路の歩行が極めて楽だったのは全体的に緩い下り道
だったから当然のことに復路は全て登り道。疲労を
警戒してゆっくり歩きながら条件に合う地点を探すと
植林地が始まる一寸手前で発見、下から見ると正しく
峠・乗越の景観が明白で左手に目印もある。いつか
こちら側から三山縦走でもやりたい。(12.38)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/48/b3bee06358a506d4d6a06cc043339444.jpg)
先に進むと突然植林地の中で道幅が急拡大してまるで
二車線の様、おまけにグリーンベルト替わりのように
センターラインに巨木が並ぶ。かっての荷駄の集積場か
峻嶮路を往復する人馬の休憩場所か? (12.41)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9c/11907f240f899c2b569c9d9870dfc521.jpg)
漸く大きな窪、かって巡視員さんと出会った所、暫く
足を休めてからここからモトクロス道探索開始だが
記憶は40分間消えているので残った画像からの推定。(13.10)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4e/fc8e3c562efab11808111a39e93cde34.jpg)
窪の延長の様な北への笹原の道に進む。かって巡視員さん
からこの先にもデ・レーケの堰堤があると聞いたのを
思い出しながら。(13.21)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c5/ca43f81967586173c5d4837fbc19ad8c.jpg)
似たような笹原が続くが下には道形がはっきりある。
但し頻発していたブルー目印は皆無、だがそれこそが
モトクロス道の証拠と感じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/55/2a2d93960ee45da4eb4d3d3d77488adb.jpg)
やがて堰堤の脇を通過、往路のA渓谷の上流で見たのと
同程度の規模。ここからやや左手に登った感じ(13.26)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/26/eb9023a72534d46912ed1523a8f7f4c0.jpg)
何時の間にか河原に降りていて明確に付けられている
車輪の踏み跡を辿っていた。もうB渓谷に入っていた?
こんな巨岩脇通過。(13.35)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/97/1c675058c0866134534bfef40da973ec.jpg)
左斜面に登って行き尾根跨ぎの感じて斜め左に進んだ
とーー思う。(13.38)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/21/e15a05d3e47915f2f5cabf63ed23a5a1.jpg)
暫らく笹原の道を辿ったら突然道が視界から消えた。
いや、消えたのではなく急降の道の上に立っていたのだが
驚いた事にそこは往路で眺めたモトクロス道。下には
何回も通過した丁字路がヒラヒラと目印付きで見える。
何のことはないモトクロス道を辿ったらB渓谷を越えて
榛名古道の一端に帰ってきていたのだ。(13.48)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/92/64110da9e2a53c7f8a2bc7ad74b7d9f9.jpg)
(ここからの記憶は正常だが(13.10-13.48)は記憶戻らず
推定)
急ぎ足でA渓谷に向かい右岸に渡る。(13.51)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/6a/ade1bf837732aa3faa0386e0ccb4f8e7.jpg)
こんな笹原の判り難い分岐二つは全て左選択。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ec/b4fb88cc4da5924d04872d1db9f7380a.jpg)
丁字路着でこれからの急登に備えて少し休憩。(14.11)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c5/af2353793f17cec817683de9ad274875.jpg)
蛇行する急登をゆっくり登って漸くふれあいの道到着。(14.30)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9b/03ac193c5aae29ff4ef5fd69d2a19ad5.jpg)
誰も見当たらない沼の原でスルス岩に別れをして
車中に戻った。(14.37)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/18/217ac59ae0f4fb0aa552d8633f6ebc73.jpg)
何れ機会を作って正気の状態で確認をしなくてはならない。
ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山
書こうとしたら後半の約40分間の記憶が失われていたが
残された画像を見ながら「こうだつたらしい」との
推定が出来たので続編を綴ることにした。
人間の脳の中で、「新しい記憶」は海馬に、「古い記憶」
は大脳皮質にファイルされていると云われているが。
日常的な出来事や情報は、海馬の中で一度ファイルされて
整理整頓され、その後、大脳皮質に溜められていくらしい。
だが、ある条件の中では肝心の海馬に入った「新しい記憶」が
失われ大脳皮質に届かないとか。原因は疲労・ストレス
老化などだが爺イは全てに当てはまる。特に昨年に卒寿を
越えた身体能力では十分に起こり得るし、二月末に家族を
襲った不幸な出来事のストレスも未だ曳きづっている
かもしれないーーーという事でややいい加減な記事として
見てください。
到着して先ずは忘れないうちに本日の爺イ。(11.53)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a9/84c5cd8d7e5e55ed41515e1f34bbb12d.jpg)
ゆっくりと休憩しながら春の陽を浴びながら昼食後に
折角だから行者堂跡の広場から相馬山を仰ぐが折からの
黄砂の影響か薄い影のみ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/39/6aec65c6dfd05a266bcd5bd6bbfc3152.jpg)
目の前の河原に別れを告げて帰路のスタート。復路の
楽しみは鷹ノ巣連山との鞍部の確認と後半のルートでは
モトクロス道を探る事。(12.25)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/56/f4dfbd29a6f431c7909d308263a4daa4.jpg)
鞍部の確認は「山はこれから」さんからのこんなヒント。
「笹原を緩やかに登りきって、杉・檜の植林地域に至った
所が、1042と鷹ノ巣山の峰筋、しいて言うなら「鞍部」に
なります。その先は植林地に沿ってほぼ平坦な道ーー」。
往路の歩行が極めて楽だったのは全体的に緩い下り道
だったから当然のことに復路は全て登り道。疲労を
警戒してゆっくり歩きながら条件に合う地点を探すと
植林地が始まる一寸手前で発見、下から見ると正しく
峠・乗越の景観が明白で左手に目印もある。いつか
こちら側から三山縦走でもやりたい。(12.38)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/48/b3bee06358a506d4d6a06cc043339444.jpg)
先に進むと突然植林地の中で道幅が急拡大してまるで
二車線の様、おまけにグリーンベルト替わりのように
センターラインに巨木が並ぶ。かっての荷駄の集積場か
峻嶮路を往復する人馬の休憩場所か? (12.41)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/9c/11907f240f899c2b569c9d9870dfc521.jpg)
漸く大きな窪、かって巡視員さんと出会った所、暫く
足を休めてからここからモトクロス道探索開始だが
記憶は40分間消えているので残った画像からの推定。(13.10)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/4e/fc8e3c562efab11808111a39e93cde34.jpg)
窪の延長の様な北への笹原の道に進む。かって巡視員さん
からこの先にもデ・レーケの堰堤があると聞いたのを
思い出しながら。(13.21)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c5/ca43f81967586173c5d4837fbc19ad8c.jpg)
似たような笹原が続くが下には道形がはっきりある。
但し頻発していたブルー目印は皆無、だがそれこそが
モトクロス道の証拠と感じた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/55/2a2d93960ee45da4eb4d3d3d77488adb.jpg)
やがて堰堤の脇を通過、往路のA渓谷の上流で見たのと
同程度の規模。ここからやや左手に登った感じ(13.26)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/26/eb9023a72534d46912ed1523a8f7f4c0.jpg)
何時の間にか河原に降りていて明確に付けられている
車輪の踏み跡を辿っていた。もうB渓谷に入っていた?
こんな巨岩脇通過。(13.35)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/97/1c675058c0866134534bfef40da973ec.jpg)
左斜面に登って行き尾根跨ぎの感じて斜め左に進んだ
とーー思う。(13.38)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/21/e15a05d3e47915f2f5cabf63ed23a5a1.jpg)
暫らく笹原の道を辿ったら突然道が視界から消えた。
いや、消えたのではなく急降の道の上に立っていたのだが
驚いた事にそこは往路で眺めたモトクロス道。下には
何回も通過した丁字路がヒラヒラと目印付きで見える。
何のことはないモトクロス道を辿ったらB渓谷を越えて
榛名古道の一端に帰ってきていたのだ。(13.48)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/92/64110da9e2a53c7f8a2bc7ad74b7d9f9.jpg)
(ここからの記憶は正常だが(13.10-13.48)は記憶戻らず
推定)
急ぎ足でA渓谷に向かい右岸に渡る。(13.51)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/6a/ade1bf837732aa3faa0386e0ccb4f8e7.jpg)
こんな笹原の判り難い分岐二つは全て左選択。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ec/b4fb88cc4da5924d04872d1db9f7380a.jpg)
丁字路着でこれからの急登に備えて少し休憩。(14.11)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c5/af2353793f17cec817683de9ad274875.jpg)
蛇行する急登をゆっくり登って漸くふれあいの道到着。(14.30)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/9b/03ac193c5aae29ff4ef5fd69d2a19ad5.jpg)
誰も見当たらない沼の原でスルス岩に別れをして
車中に戻った。(14.37)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/18/217ac59ae0f4fb0aa552d8633f6ebc73.jpg)
何れ機会を作って正気の状態で確認をしなくてはならない。
ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
往路(前記)の最大難所、B渓谷直前の抉れ沢を倒木の枝に掴まって降りて渡れるなら、荒れ古道の探索・踏破、まだまだ大丈夫ですね。
「スルス古道」は、A渓谷~スルス峠鞍部の間は、現行ルートでは、峠下が急坂過ぎて、荷駄馬には厳しいです。峠からはずっと東側へ回り込んで下るルートで、現在もその痕跡が続いています。笹に覆われていますが、辿ることができます。
(ワタシのブログでも書きましたが、この旧道を確定したいのです)難所はありますが、危険な箇所はないので爺様もお誘いしたくらいですが、単独行は避けた方がよいですね。
ちなみに、復路のこの記の堰堤の画像の堰堤は、往路の徒渉点の上流に見える堰堤(夕日河原7号堰堤)と同じものです。巨石のすぐ手前にも小規模の堰堤があるので、画像違いかも?(その小規模堰堤は、文献に残っていない番号のない「謎の石垣」と呼ばれていますけど)
この地域の「デレーケ堰堤」に関しては「見守る会」があって、夕日河原の堰堤巡りトレッキングが来月開催されます。県道25号R19付近に車を半分停めて置き、乗り合わせて松之沢🅿️へ上り、スルス峠から黒岩へ下るだけのコース設定です。
「黒岩の道」とほぼ同じルートを下るのですが、台地上でなく、B渓谷の沢伝いに下り、約8箇所の堰堤を見ます。
沢筋の笹原で道なき部分もありますが、メンバーは脚が強くない方が多いので、厳しいルートではありません。(ひたすら下ります)
関心があればお知らせください。
コメント有難うございました。少し判ってきましたので天気の良い日に再確認に行ってきますが無駄掘りへの近道を下って居るようでは古道を踏んだことには
ならないので何時かは東屋寄りの道を探したく
なっています。