クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎市内芭蕉句碑訪問 H-26- 7-1・2

2014-07-03 12:13:55 | 伝説・史跡探訪
毎日、「今日も大気の状態は不安定」の一言で六月の山行きは遂にゼロの記録。
七月になったので少し足慣らしのため市内徘徊と決めて二日間に亘って史跡探訪。
狙いは市内に二十箇所あると云われる「芭蕉句碑」を訪ねる事。

(1)八幡町・ 八幡宮の句碑

市内と言っても平成の大合併後の高崎は極めて広いので第一日は西部と北部。
R-18で西進して「八幡大門」信号を右折すれば正面が八幡宮。





駐車場は石段上にあるので其の侭、境内を探しても見つからない。場所は山門下の石段の途中で
上から見て右側の斜面。柵を乗り越えないと近づけない。



「ものいえは 唇寒し あきの風」1691年作。




(2)中里見・浅間神社の句碑



R-406に移って通称「くだもの街道」を西進。車道には神社の案内は一切ないので中里見地区で
右に「コメリ」、左にスポーツセンターが見えるのでセンター西の細道に入って果樹園の
中を進行して小さな浅間神社。現在の形は極めて質素だが碓氷郡十五座の中でも最も
格式の高い従一位浅間大明神。



「はら中や ものにもつかす 啼雲雀」1687年作。




(3)下室田町・大森神社句碑



R-406を其の侭進んで「室田信号」を右折してr-29 を僅かに東進、室田局の斜向かい。



駐車場脇に句碑。

「百年の けしきを庭の 落ち葉かな」1691作。



(4)倉渕町・全透院句碑



再び室田信号に戻りR-406で長い倉渕地区を西進。R-33との交差点の少し手前の水沼入り口
バス停の四つ角を右折、突き当りが全透院。倉渕東小の裏手に相当。



本堂左手前に句碑、上部の相当部分が破損欠落。

「古池や 蛙飛込 水の音」



十三仏(じゅうさんぶつ)が並んでいた。爺イも間もなくお世話になるので参考に記録する。
これは、十王をもとに日本で考えられた、冥界の審理に関わる13の仏。



























(5)榛名山町・黒門橋句碑



R-406を東に戻り室田信号を左折してr-211・r-33を北上して榛名山町に向かう。
途中でharuna3さんの主宰する八本木森林センターのアジサイが見頃なので一寸立ち寄り。




















更に北上して榛名神社から500m下の無料駐車場に駐車。



黒門橋近辺を探すが見つからない。



時間を掛けた探索の結果は橋から100m下の杉林の中に発見。表示物がないので
注意しないと見逃す。

「山里は 万歳おそし 梅の花」1691作。



(6)榛名山町・榛名番所句碑

榛名神社の参道を進み、



みやげ物屋の分岐を右下の道に進む。
やがて前方に丸太製の堰堤が見え、その手前に番所跡。



左の斜面に句碑。



「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」



(7)箕輪城址句碑

再び室田信号に戻ってr-29を東進、高浜信号を左折してr-137、白岩観音前を通過してr-26に
乗り換えて箕輪城址の搦め手口から二の丸駐車場。本丸を通過。
日本百名城の一つとか。



御前曲輪の東端の古井戸前。1927年に発見されたものだが長野氏歴代の墓石が発掘された。
推測では1566年の落城に際して長野氏の痕跡を隠したものとか。



その脇に句碑。



「夏草や 兵ともか 夢の跡」1689年作。




(8)引間町・妙見寺句碑



箕郷から下ってr-6に乗り換えて東進。高渋線バイパスで右折して南下。「辻久保」信号で
r-127で東進、塚田信号・引間信号を経て妙見寺。



本堂は高崎市重文。



左の妙見社脇に句碑。

「春もやや けしきととのう 月と梅」1693年作。




(9)菅谷町・滝の宮神社句碑



辻久保に戻って更に南進、「棟高東」信号を左折して直ぐの左側。



「名月や 池をめくりて 夜もすから」1686年作。




(10)日高町・共同墓地句碑



R-17を突っ切って井野駅脇を通過してr-135で群馬変電所東側。50m程東に離れた畑の中の
下日高北部共同墓地の中。H-17年に新保・日高地区の区画整理で現在地に移転したとのこと。

「涼しさや すくに野松の 枝の形」1694年作。




ここで第一日を終了。


第二日目

(11)高松町・もてなし広場句碑

もてなし広場東端に細長い池、



なずけて「飛竜の池」



その南端に句碑。

「初時雨 猿も小蓑を ほしくなり」1689年作。




(12)石原町清水寺句碑の一

聖石橋を渡って直進の突き当りが清水寺(せいすいじ)の石段下。「芭蕉の花の句碑」高崎市重文。

「観音の いらかみやりつ はなの雲」1686年作。




(13)石原町清水寺句碑の二

石段を上りきって観音堂前を左折して



右手の広場に句碑。

「草いろいろ 各々花の 手からかな」1688年作。



(14)石原町・小祝神社句碑



聖石橋方面に戻って石原町信号を右折、第一幼稚園看板の細道を左折。

市内最古の神社と聞く。





社殿左手前の看板の下に句碑。

「しはらくは 花の上なる 月夜かな」1688年作。



(15)寺尾町・館公民館句碑



其の侭、東進して館信号を右折、直ぐに川を渡って細道を進んで館(タテ)公民館。

「這い出でよ かひ屋が下の 蝦蟇の声」1689年作。



(16)吉井町・多比良普賢寺句碑



r-71で南下して吉井町、川内信号を左折してR-254らr-41に乗り換えて吉井インター方面。
上信越高速をクロスして多比良地区で普賢寺。



「清多芸也 難三邇塵那幾 夏能月 (清滝や 波に塵なく 夏の月)」1694年作。



(17)定家神社句碑



r-71を戻って城南大橋を渡ってR-17からr-12に乗り換えて上佐野信号を右折して西行寺や
佐野の渡し前を通って定家神社。



東端の鳥居のある小さな神社後ろの



築山に句碑。入り口右手にある万葉歌碑と紛らわしい。



「松杉を 誉めてや風の かほる音」1694年作。



(18)東中里町・火雷若獅子神社句碑



R-17に戻って東進、倉賀野信号を左折して若獅子神社。





「稲妻に さとらぬ人の 尊さよ」1690年作。



(19)新町・八坂神社句碑



R-17を更に東進、新町自衛隊前信号を左折して最初の信号角に誠に小さな八坂神社。



その右に句碑。「柳茶屋の芭蕉句碑」



「傘に おしわけみたる やなぎかな」1694年作。



(20)新町弁才天句碑



八坂神社前をr-131で西進、三月にはひな祭りで賑わう市街地を抜けて藤岡境の弁財天公園。





弁財天の脇に句碑。

「むすふより 早歯にひひく 泉かな」1689年作。



(21)下滝町・慈眼寺句碑



一旦、R-17に戻り倉賀野信号を右折して北上、下滝の慈眼寺。



本堂脇の樹木に覆われたところにひっそりと。



「木の下は 汁もなますも 桜かな」




以上で高崎市内芭蕉句碑の全て。群馬県内は196基が確認されているそうだが芭蕉本人は
この地に足跡を残しているわけではなく全て弟子たちの労作とか。
数基以外は重文指定ではないので標柱が無く、碑面の傷みが激しいので句の中の一字か二字の
判読で句碑と認識できる程度。二日間の走行距離160km。


デジブック 『高崎市内芭蕉句碑』


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5 コメント

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Unknown (蝶狂人)
2014-11-20 09:01:03
初めまして
先週の金曜日に貴ブログを参考にさせて頂き句碑めぐりをしました。
限られた短い時間内で見て回ることが出来お礼申し上げます。
ありがとうございました。
返信する
re;黒門橋句碑 (爺イ)
2014-07-05 08:00:31
haruna3さん
久しぶりに八本木で満開状態に出会えました。この句は芭蕉が故郷の伊賀で詠んだ
ものとされていますが並立する小振りの石碑
も判読不能ですが下記の弟子の連句が
三首彫り込まれている筈です。

山陰や夕日にぬるゝ秋の霜 雨什

きはむ木立のひまに薄月 如寉

つえしらへ大宮人のめてつ風 烏明


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re.木の下は (爺イ)
2014-07-05 07:48:28
egico-ikeさん
この句は伊賀上野風麦亭の歌仙の発句で
風麦は本名小川政任、通称次郎兵衛と言う
藤堂藩士。
慈眼寺が昔から桜で有名なので弟子が
ここに建立したのでしょうか。
返信する
あれは芭蕉句碑だったんですね (haruna3)
2014-07-04 19:00:03
お久しぶりです
「山里は 万歳おそし 梅の花」の碑!いつも通るたびに車から見上げて気になっていました。
正直お墓?と思ってましたが(笑)これで胸のつかえがとれました、ありがとうございます!
返信する
Unknown (egiko-ike)
2014-07-04 17:02:54
爺様、博識でいらっしゃいますね。 どちらかいえば小生も物知りの部類とうぬぼれていますがとてもかないません。 こんな場所をどうして特定されるのですか?
一番気に入った芭蕉句

木の下は 汁もなますも 桜かな

桜は花びらをさすのでしょうな。
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