クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

梅雨時の暇つぶし R- 1- 6-10

2019-06-10 16:02:51 | 榛名湖周辺
梅雨入り宣言の直後から当たり前の事ながら雨模様の日が
続いていて折角の月曜日も自宅待機を余儀なくされている。
で、何となく自分のブログで榛名周辺の古い山行記を読み返して
いたらとんだ勘違いによる誤認記事を発見した。
今から12年も前の2007年頃、爺イは榛名湖周辺の低山巡りが
面白くて何回も徘徊していた。五万石・獅子岳・伯耆山・
蛇が岳・臥牛山・p-1200m台地・高根などだ。

丁度、同じ頃に桐生・赤城が主だった故・川俣さんたちの
楚蘭山楽会さんが榛名に足を延ばし始め五万石訪問記を記事にしたが
その中の一言が話の始まり。それは
「榛名山系にはユニークな名前の山がある。五万石も山の名前としては
不思議で由来が気になるところだ」。これに爺イもharuna3さんも
参戦して「 五万石って何で五万石?」「五万石でも岡崎様は”
の五万石か」「高崎五万石騒動と何か所縁があるのかな~?」
とコメント欄は冗談交えて賑やかとなった。

そこで何回も五万石に行っている爺イは色々調べてこんな結論を
書いた。「五万石の由来、伊香保支所に問合せしましたが
支所の中には知っている人は居なく、「伊香保誌」にも
載っていないそうで継続調査との返事でした。小生の調査で
明治20年の記録に初めて伊香保村の小字に「湯中子・五万石」
の標示が見られますが、湯中子は山の位置とは一寸離れ過ぎ。
結局、山名の由来は不明ーーー」と。

この中での「湯中子は山の位置とは一寸離れ過ぎ」が大間違い。
今ならyahooの地図を見れば五万石の山は地名としての
「伊香保町湯中子」のど真ん中だと云う事は一目瞭然だから
五万石の山名は地名から、それも小字名から来ていると容易に
推定できる。どうして離れ過ぎと錯覚していたのかは自分でも
分からないが当時のパソコンのO.Sは多分WinXPで国土院地図は
見ていたがyahoo地図など市街地以外には使っていない。多分、
当時盛んに行っていた中之条方面から岡崎を通過して伊香保回りで
帰宅する時に榛名の北辺で湯中子の表示を見ていたのかもしれない。

更に付け加えると一般の記録では1889年(明治22年) 町村制施行に
伴い、西群馬郡伊香保村、湯中子村、水沢村の3村が合併し西群馬郡
伊香保町が成立と書かれてるから伊香保村の小字に「湯中子・五万石」
とは奇異に思うが渋川市の記録で町村変遷を見ると1889年以前に
既に「(伊香保村、湯中子村、水沢村)伊香保村」とされており
実態は三村は以前に伊香保村に統合されていたので伊香保村の小字に
「湯中子・五万石」とあっても不思議ではないーーーと云うのが
新しい結論でかっての誤認記事を修正し五万石の名は小字名から
来ていると思い込むことにした。
但し、本件は爺イの戯言という疑いもあり86歳でついにボケが
来たのかも知れないのであくまで「爺イの独り言」の取り扱い。
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