クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

今年も神成山のオキナ草 H-25- 3-30

2013-03-31 14:07:31 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
天候は良くないが明日は雨の予報なので三月最後のハイキングは神成山へ。
勿論、オキナ草が目当てだが花名の由来になっていると言う「白い雌しべが
羽毛状に伸びるところが老人の銀髪に喩えられる」の状態を見たことが
無いので確認したかった。
今日は試しに上信電車で南蛇井まで行って富岡アルプスと喧伝されている
神成山の九峰を確認しつつ宮崎公園に降りて神農原から帰ってくる予定。

無料で駐車できる南高崎駅に車を置いて8.43の下仁田行きに乗車。



この駅は無人駅だし電車はワンマン運転なので乗車券不要でバス並の整理券で下車時に
運転手に現金払い。
この路線20駅の内、7駅が無人駅というローカル色豊かなのんびり電車。



約50分、960円也の乗車で駅員の居る南蛇井駅。駅員も心得たもので10人ほどの
ハイカーを見て「オキナ草はこつちですよ! 当分電車は来ませんからゆっくり
見てください」と線路に降りて案内する。ここのは植栽ではなく自生だと強調。
全体はこんな感じでバラストの間にびっしり。



その幾つかを











お目当てのもの発見。これが老人の銀髪に擬せられる物らしい。
まあ、爺イの分身みたいなものだな。





一頻り見て回ってから半分雲に隠れた稲含山を背にしてR-48を北に向かって
歩き出す(9.45)。

大桁山への案内道標の角を右折して反対の東に向かい、高速下を潜って東進。
九連峰の一部を背後にした神成山の道標で左折して



曲がりくねって民家の間を進むと目印の「大サボテンの家」。



その角から細道を山手に上っていく。



西の方の曇り空には尖塔の様な鍬柄岳がうっすらと見えてくる。



やがて新堀神社の前。



例によって社殿の中。正面に扉が閉まっていて妙見尊像は見られないが



昨年は下の写真のように扉が開いていたので良く見えたのに。



左壁面に嘉永二年と伝わる算額。



右壁面には往時の社寺の様子を描いてあるとされる絵馬。



神社脇の登山道案内標柱に従って山道に入る。
登り道はやや傾斜のある蛇行道、破損した木枠段も残っているが滑り易い。



僅かの距離で吾妻山一段目、南に延びた棚にはベンチも設置してある展望場所。



再び岩混じりのザラ道を登って



鳥居の礎石跡のある二段目。
後続の団体さんが幾組みも追い越していく。何時も人気の無い山ばかりの
爺イも今日は観光登山客に揉まれそうでいささか勝手が違ってペースが
狂いそう。



登山道脇に咲いているミツバつつじを見ながら進んで吾妻山328.1mに到着。
ここは西宮吾妻山とも言われているらしく、東から数える九連峰のNO.9に
相当する。



山頂には大小4基の石宮があり夫々建立時期を示す名札付き。



正面の一番立派な一基。



団体さんが出発したのでこんなツツジを眺めながら山頂から急降。



直ぐ麓の極めて狭い斜面に50株ほどが植栽されている(10.42)。



厳重な縄張りの外側から何枚か。この先には数箇所も植栽地があると記録には
あるが何れも見過ごしたらしく見られたのは此処だけ。











この中にも爺イの分身が一株。



東進を続けると前方にNO.8のピーク、頂点から大きく下り道。



NO.7と間違えやすい小ピークがあるがこれは単なる稜線のアップ箇所。



これがNO.7の姿、左へのわき道が付いているが無視して乗り越え直ぐ下り。



前方にやや大きいピークが現れる。これがNO.6の山。



頂上は「打越の御嶽さん」と通称される所で「打越・板碑」とも案内にある。



ここでもこんなツツジを見ながら下って



やや距離を置いてNO.6と同じぐらいの大きい山に向かう。あれがNO.5。



NO.5頂上は東からの登山客で一杯。常夜燈や石宮などかある広い場所で休憩に
適しているからかな。石宮は北向き、そちらに側に御幣もある模様。





確かに北側には綺麗な稜線が延びているので多分、北の下丹生が表参道だろう。
ここは゛「打越の祠」とも云われているらしい。打越とは北の字名なのかな。



さて、滑り易い下りを経て前方のNO.4に向かう。



登りついたNO.4の頂上には通称・神成山自然博物館の標本箱が健在。
このピークは別名で宇芸神社跡と云われると聞いた。



この先は急斜面をジクザグに下りNO.3を越えていく。



途中には相変わらず枯れ枝の間にツツジが点在。
大きなNO.2に向かうと手前にY字分岐、



先行団体は左に行ったが直進にもはっきりと
道跡があり稜線から南への張り出しに向かっているのでそっちを選択。



突端には見張り台とか狼煙台でもと思ったが何も無くそのまま稜線に復帰して岩場。



頂上手前に五大竜王と石碑が一つ。



着いたNO.2は「神成山」だつた。北向きの御嶽大神の巨大碑。ここの別名は
「下鍛冶屋の御嶽さん」とか。鍛冶屋とは打越と同じく北の字名と思う。



三角点は上部が欠損しているが三等で点名・神事谷。



竜王ピークとも云われる頂上には石宮もあり「宇芸神社祠」と云われるそうだ。



南側の市街地を見下ろす位置に手製の神成山の標識(11.44)。



神成山を後にして振り返り。



暫くはなだらかな道が続く。



再び木枠段を下った所に里にある宇芸神社への下り道が分かれるが、ロープ
つきなので多分厳しい斜面下りだろう。



こんな道標を見ながら進むと



やや笹っぽい道になる。



左手に「神成城址」の看板、城址と言えば山頂のイメージがあるがここは
平坦場所。



古い看板で「タヌキの家」と書いてあるが何時の頃の話なのかな?



やがてやや複雑な四つ角、



宮崎公園方面なので直進して岩肌を登る。



さて、この辺から登山道から離れるNO.1へのマークがある筈と右側を注意して
歩いた積りだが結局発見できずに素通りしたらく見晴台の表示まで来てしまって
NO.1は断念。



見晴らし台は南に開けた岩場。



折角の展望台も曇り空で視界は薄ぼんやり。



脇に「姫天狗」の道標があるが謂れは不明。



この先で再びミス。在る筈の「宮崎の御嶽」さんと云われる「御嶽座主大権現」の
碑を見過ごした。去年の写真で。



笹薮の土手の上方に不動さま。




アナグマの道の看板は文字も消えている。



続けて普寛さん




不動さんと地蔵さん、地蔵さんの首が無い。





最後は観音さん。



登山道も終わって富岡西中の裏手を回る道。丁度テニス部の部活が終わった
らしいが父兄も付き添いで大変だな(12.29)。



約0.4Kで宮崎公園。



ハイキングコース案内図を見て反省しきり。
公園内は花盛りで休憩所は入り込む余地も無い。





旧茂木家住宅の見学、入場料100円なりで中に入ると係りの人が説明
ナレーションを入れてくれたので大助かりで解説をじっくりと聞く。



中の様子、柱材は手斧で多角形に仕上げられているのが珍しく柱材の組み方は
雄大で力強く中世の特徴を残していると実感。





公園を辞して神農原駅までぶらりと歩く。今日は人が多くてセルフを使う気に
ならずに本日の爺イはお休み。駅舎で相当の待ち時間をつぶして13.34発で
南高崎駅へ帰着。
帰路は一駅少ないので870円成り。10.700歩のハイキング、足先は未だ直らない。


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2 コメント

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Unknown (egiko-ike)
2013-04-04 17:50:31
こんにちは。 先日はご教授ありがとうございました。

南蛇井の駅におきな草が咲いているとは!!
驚きです。 「当分電車は来ないからゆっくり見てね。」との駅員の言葉には笑ってしまいますね。 茂木屋敷の近くの公園のおきな草は何度か見ましたが、また興味が湧いたので駅構内の貴重な花園を見に行ってきます。
そしたら私なりのブログの材料にしたいと思います。
返信する
オキナ草 (爺イ)
2013-04-05 06:24:57
上信電車のんびり旅もたまには良いものです。
昨日、念願だった熊倉山から焙烙峠のルートを
歩きましたが峠で焙烙峠の表示がなくて
残念でした。
返信する

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