![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/96/7e57c4bf2bc4dba133b7db1fa954f0ec.jpg)
(11)一茶の文学碑 高瀬屋跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/5d/02803793570f076bf80f17fb6e68f7f3.jpg)
車に戻って駅入り口信号の群銀に駐車。少し西へ戻った
県道に面して記念碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e8/c758af676d4a9a765f05d299c1f4fc24.jpg)
1810年、新町宿に泊った一茶は石灯籠建設の寄進を求められる。
懐中乏しい一茶は一旦は断ったが、遂に12文を寄付させられた。
「手枕や 小言いうても 来る蛍」
蛍とは多分夜半に依頼に来る者の提灯の事かも。
(12)行在所
群銀から東南へ一ブロック、公園の中。
明治11年の明治天皇北陸巡幸の折に新町に宿泊所を新設した。
総勢800名の大集団。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/aa/eb1cbf05149f48f66f89eb5fd514b893.jpg)
公園のバーゴラの天井には六つの言葉が刻まれ、
屋根の天辺には平和の象徴の折鶴。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/51/51189816cd9aecc10c45f2b789b5dce3.jpg)
(13)於菊稲荷神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a2/73905b9418a6ca0478e9c5d4ea04be2b.jpg)
車に戻って北進し稲荷神社へ北口から。1582年に北条氏が
稲荷に戦勝祈願したと伝わるが1758年頃の於菊の言い伝えから
何時の間にやら於菊稲荷神社。
1750年代、宿場の娼妓・於菊は宿場一の売れっ子だったが
病気になったら行灯部屋に押し込められる。町の人が哀れに思い
引き取って神社裏に小屋を建てて看病したら快癒したので、
彼女はその一生を神社への奉仕に捧げた。
奉納絵馬二枚、何れも新町の絵師によるもの。
石川梅英作の「武者絵」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/66/0418ca563edcfbc367d171ad05deaae1.jpg)
中央の若武者が右手一本で鎧武者を差し上げ、もう一人を
足元に踏み敷くという勇猛果敢なもの。
狩野美信の「遊女参詣」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c2/c86110524f8bad510564ebc91221f0a4.jpg)
遊女六人と妓楼の者が四名、当時の風俗が良く判る。
手水鉢石
1832年の作。「冰香」の刻銘は「大窪詩仏」のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/f4/a4033298b490bedd3caf9ebe7e7798f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b0/40af441ea717183b09d9959f3d82b7cd.jpg)
復元算額三枚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/dc/2188dc3bf6ac391a88815ed2fb10b405.jpg)
神楽殿
切妻・唐破風型の神楽殿で額の「太々神楽」の文字は永平寺
管長のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a4/6c7c8baa2822fa874923c9b80e03b4e5.jpg)
隣の公園に「群馬ボーイスカウト発祥の地」の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/85/a04f61d7f34c368425dacc04442f6926.jpg)
1922年、ボーイスカウトの前身である「新町少年義勇隊」が
発足し先駆的運動でボーイスカウトの黎明期を支えた。
(14)七区諏訪神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a9/967a05a49964ada21bd1e9cb423da444.jpg)
R-40を北上 最初の五つ角をななめ右へ。
元々は毘沙吐村に勧請されていたものだが、度重なる洪水で
現地に移設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/37/d1c2e54bff43a996fa4ba3311c0f59af.jpg)
川岸町沿革碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4a/77749ce7f18edc16502e31259100c53c.jpg)
1935年の建立で村移転の経緯と望郷の思いが記されている。
(15)七区龍光寺の「ゆるぎ薬師」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/0e/0b83830cd159c49d4fb823d14b78cfe1.jpg)
龍光寺境内にあって「ゆるぎ地蔵」と呼ばれている。
願いを聞き届けてくれるときには体を揺るがすとの
言い伝えがその名になつた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c5/ad27dfc67d53c84409c5b17b9ab7c426.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e3/4d350b0061a2f12b384c453f64b75a59.jpg)
右手に与願印を結び、左手には薬つぼを持つた薬師様。
与願印とは人々の願いを聞き入れて望む物を与えよう
とする仏の身振りの事。この寺は念仏講で著名。
(16)浄泉寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/73/b706d45cf2183567d16061b8b6e6e80b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ce/7ff0a156a27a4877e3b3c82273603d06.jpg)
土師清大夫(高智院勇雄義仰居士)の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b2/baaccbd408a225bc75233c99681acefc.jpg)
本堂西側、加賀前田藩の勘定方の武士、江戸への藩金の輸送中に
この新町宿で盗難に合い、責任をとって自決。1716年の事。
墓地拡張工事のとき裏の竹薮に埋もれていたのが発見され
現地に移設されたとか。
小渕湛水の墓
新町の1800年代の文化を俳句の分野で支えた一人で本業は医家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/33/f8279836d48ced71f4c43a4257091f29.jpg)
墓石の背面に「五十年 見てややさめぬ 花の夢」の
辞世の句が刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/16/3496387018f4088a1c187c30aeba7859.jpg)
この寺は大銀杏が名物だが、昨今上部の葉の付きが悪く治療中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/06/c126f6550c8881d9e31f0f29d0879ac2.jpg)
(17)五区諏訪神社
元は笛木村の鎮守で線路の南にあつたもの。1708年から現地。
北裏にある半分埋まった鳥居、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/68/171e51e47905ae0415fc6c45cbc50ead.jpg)
1732年の建立だか笠木の曲線が美しく江戸時代前期の石製鳥居の
特徴が顕著と評価されている。現在は神社の北裏に半分埋まって
おり、参道には新しい鳥居が据えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/96/7e57c4bf2bc4dba133b7db1fa954f0ec.jpg)
田口翁歌碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b7/25220118651fd12386b3c615e1fd067f.jpg)
かってこの諏訪神社を落合村の八幡宮に合祀する話が持ち
上がった。笛木村は反対し、この神社を村社に昇格させた。
その運動のリーダーであつた田口翁に対して社主が一首詠み
村の有志が歌碑を建立した。
「さる昔 合祀反対田口翁 その偉大さを 氏子に称えん」
穣州先生寿蔵の碑
新町が生んだ漢詩文の小林穣州は画家でもあり俳句にも
卓越していた。
明治39年に知己門弟が建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/85/91148da7d922ecf37eaede0b8e242a30.jpg)
祠と道祖神、繋杭
神社の北東の山ノ神台地と言われる所に祠に道祖神
その脇に一本の繋杭。洪水の度に砂河原となるこの辺一帯の
町村基準の杭で明治7年に従来の木柱に変わって設置。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f2/df64e6912c0ea313cb2c956ea6c28073.jpg)
(18)八坂神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/fa/77ef94e3a9289448c24898f6f32e4157.jpg)
公園の芭蕉句碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b0/04e34de9708d935895d778d294725634.jpg)
小渕湛水が中心で建立、かつては中山道の茶店の傍、
柳の大木の近くにあつたから「柳茶屋の芭蕉句碑」と云われる。
「傘に おしわけ見たる 柳かな」
公園の滑り台にギョッとさせるようなオオトカゲ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f2/c30c38a7cef2934ee97984aaf591ff0d.jpg)
(19)復元された常夜燈と道しるべ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2d/b74b59240b14fa223e15f64d0676459f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a4/224e083a9fd389fd8ccd11984da092c9.jpg)
R-17と旧中山道の分岐点にあり、1978年にライオンズクラブが
復元した。1815年作の元のものは高崎大八木に移設されている。
(20)明和観音
昭和15年に畑から掘り起こされた物。小林伊左衛門との関わりが
噂されていた。合戦碑の左隣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/52/c08976f065c049e5d192d77d08c851ee.jpg)
(21)神流川合戦碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/02/65d4d82fd836a34d8eb4c15de781b37d.jpg)
(22)元宮の跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/32/c8ad2eaa188af2d0b9774d7a54bf8946.jpg)
新町駅南の岡崎醤油のレンガ造りの八角の35m煙突。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/92/c89241865f79db5d2868bc5661edc7d1.jpg)
その脇に元諏訪神社の跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/58/c87c406181c6edd284c012c553d43883.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/46/433a8a104844940c4c6003b4010a18c8.jpg)
まだまだ、新町を全部歩いた訳ではないので中途半端だが
一先ずはここら辺で終了。
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車に戻って駅入り口信号の群銀に駐車。少し西へ戻った
県道に面して記念碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e8/c758af676d4a9a765f05d299c1f4fc24.jpg)
1810年、新町宿に泊った一茶は石灯籠建設の寄進を求められる。
懐中乏しい一茶は一旦は断ったが、遂に12文を寄付させられた。
「手枕や 小言いうても 来る蛍」
蛍とは多分夜半に依頼に来る者の提灯の事かも。
(12)行在所
群銀から東南へ一ブロック、公園の中。
明治11年の明治天皇北陸巡幸の折に新町に宿泊所を新設した。
総勢800名の大集団。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/aa/eb1cbf05149f48f66f89eb5fd514b893.jpg)
公園のバーゴラの天井には六つの言葉が刻まれ、
屋根の天辺には平和の象徴の折鶴。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/51/51189816cd9aecc10c45f2b789b5dce3.jpg)
(13)於菊稲荷神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/a2/73905b9418a6ca0478e9c5d4ea04be2b.jpg)
車に戻って北進し稲荷神社へ北口から。1582年に北条氏が
稲荷に戦勝祈願したと伝わるが1758年頃の於菊の言い伝えから
何時の間にやら於菊稲荷神社。
1750年代、宿場の娼妓・於菊は宿場一の売れっ子だったが
病気になったら行灯部屋に押し込められる。町の人が哀れに思い
引き取って神社裏に小屋を建てて看病したら快癒したので、
彼女はその一生を神社への奉仕に捧げた。
奉納絵馬二枚、何れも新町の絵師によるもの。
石川梅英作の「武者絵」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/66/0418ca563edcfbc367d171ad05deaae1.jpg)
中央の若武者が右手一本で鎧武者を差し上げ、もう一人を
足元に踏み敷くという勇猛果敢なもの。
狩野美信の「遊女参詣」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/c2/c86110524f8bad510564ebc91221f0a4.jpg)
遊女六人と妓楼の者が四名、当時の風俗が良く判る。
手水鉢石
1832年の作。「冰香」の刻銘は「大窪詩仏」のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/f4/a4033298b490bedd3caf9ebe7e7798f3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b0/40af441ea717183b09d9959f3d82b7cd.jpg)
復元算額三枚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/dc/2188dc3bf6ac391a88815ed2fb10b405.jpg)
神楽殿
切妻・唐破風型の神楽殿で額の「太々神楽」の文字は永平寺
管長のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/a4/6c7c8baa2822fa874923c9b80e03b4e5.jpg)
隣の公園に「群馬ボーイスカウト発祥の地」の碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/85/a04f61d7f34c368425dacc04442f6926.jpg)
1922年、ボーイスカウトの前身である「新町少年義勇隊」が
発足し先駆的運動でボーイスカウトの黎明期を支えた。
(14)七区諏訪神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a9/967a05a49964ada21bd1e9cb423da444.jpg)
R-40を北上 最初の五つ角をななめ右へ。
元々は毘沙吐村に勧請されていたものだが、度重なる洪水で
現地に移設されたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/37/d1c2e54bff43a996fa4ba3311c0f59af.jpg)
川岸町沿革碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4a/77749ce7f18edc16502e31259100c53c.jpg)
1935年の建立で村移転の経緯と望郷の思いが記されている。
(15)七区龍光寺の「ゆるぎ薬師」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/0e/0b83830cd159c49d4fb823d14b78cfe1.jpg)
龍光寺境内にあって「ゆるぎ地蔵」と呼ばれている。
願いを聞き届けてくれるときには体を揺るがすとの
言い伝えがその名になつた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c5/ad27dfc67d53c84409c5b17b9ab7c426.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e3/4d350b0061a2f12b384c453f64b75a59.jpg)
右手に与願印を結び、左手には薬つぼを持つた薬師様。
与願印とは人々の願いを聞き入れて望む物を与えよう
とする仏の身振りの事。この寺は念仏講で著名。
(16)浄泉寺
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/73/b706d45cf2183567d16061b8b6e6e80b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ce/7ff0a156a27a4877e3b3c82273603d06.jpg)
土師清大夫(高智院勇雄義仰居士)の墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b2/baaccbd408a225bc75233c99681acefc.jpg)
本堂西側、加賀前田藩の勘定方の武士、江戸への藩金の輸送中に
この新町宿で盗難に合い、責任をとって自決。1716年の事。
墓地拡張工事のとき裏の竹薮に埋もれていたのが発見され
現地に移設されたとか。
小渕湛水の墓
新町の1800年代の文化を俳句の分野で支えた一人で本業は医家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/33/f8279836d48ced71f4c43a4257091f29.jpg)
墓石の背面に「五十年 見てややさめぬ 花の夢」の
辞世の句が刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/16/3496387018f4088a1c187c30aeba7859.jpg)
この寺は大銀杏が名物だが、昨今上部の葉の付きが悪く治療中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/06/c126f6550c8881d9e31f0f29d0879ac2.jpg)
(17)五区諏訪神社
元は笛木村の鎮守で線路の南にあつたもの。1708年から現地。
北裏にある半分埋まった鳥居、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/68/171e51e47905ae0415fc6c45cbc50ead.jpg)
1732年の建立だか笠木の曲線が美しく江戸時代前期の石製鳥居の
特徴が顕著と評価されている。現在は神社の北裏に半分埋まって
おり、参道には新しい鳥居が据えられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/96/7e57c4bf2bc4dba133b7db1fa954f0ec.jpg)
田口翁歌碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/b7/25220118651fd12386b3c615e1fd067f.jpg)
かってこの諏訪神社を落合村の八幡宮に合祀する話が持ち
上がった。笛木村は反対し、この神社を村社に昇格させた。
その運動のリーダーであつた田口翁に対して社主が一首詠み
村の有志が歌碑を建立した。
「さる昔 合祀反対田口翁 その偉大さを 氏子に称えん」
穣州先生寿蔵の碑
新町が生んだ漢詩文の小林穣州は画家でもあり俳句にも
卓越していた。
明治39年に知己門弟が建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/85/91148da7d922ecf37eaede0b8e242a30.jpg)
祠と道祖神、繋杭
神社の北東の山ノ神台地と言われる所に祠に道祖神
その脇に一本の繋杭。洪水の度に砂河原となるこの辺一帯の
町村基準の杭で明治7年に従来の木柱に変わって設置。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f2/df64e6912c0ea313cb2c956ea6c28073.jpg)
(18)八坂神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/fa/77ef94e3a9289448c24898f6f32e4157.jpg)
公園の芭蕉句碑、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/b0/04e34de9708d935895d778d294725634.jpg)
小渕湛水が中心で建立、かつては中山道の茶店の傍、
柳の大木の近くにあつたから「柳茶屋の芭蕉句碑」と云われる。
「傘に おしわけ見たる 柳かな」
公園の滑り台にギョッとさせるようなオオトカゲ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f2/c30c38a7cef2934ee97984aaf591ff0d.jpg)
(19)復元された常夜燈と道しるべ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2d/b74b59240b14fa223e15f64d0676459f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a4/224e083a9fd389fd8ccd11984da092c9.jpg)
R-17と旧中山道の分岐点にあり、1978年にライオンズクラブが
復元した。1815年作の元のものは高崎大八木に移設されている。
(20)明和観音
昭和15年に畑から掘り起こされた物。小林伊左衛門との関わりが
噂されていた。合戦碑の左隣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/52/c08976f065c049e5d192d77d08c851ee.jpg)
(21)神流川合戦碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/02/65d4d82fd836a34d8eb4c15de781b37d.jpg)
(22)元宮の跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/32/c8ad2eaa188af2d0b9774d7a54bf8946.jpg)
新町駅南の岡崎醤油のレンガ造りの八角の35m煙突。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/92/c89241865f79db5d2868bc5661edc7d1.jpg)
その脇に元諏訪神社の跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/58/c87c406181c6edd284c012c553d43883.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/46/433a8a104844940c4c6003b4010a18c8.jpg)
まだまだ、新町を全部歩いた訳ではないので中途半端だが
一先ずはここら辺で終了。
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