![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/f0/7c7b694ae42f8fa1e259deaa3b20033d.jpg)
群馬マラソン出場のため東京から来ていた家族を朝方、敷島公園に
送り届けた。驚いた事に大渡橋の手前から渋滞が凄くて橋を渡り
きるのに20分強を要する始末。
帰宅後、予報に反して寒気も左程では無いので倉賀野武者行列の
見物。この行列行事の発祥は戦国時代に縦横に活躍した倉賀野16騎の
故事に由縁し1988年から始まっていて、群馬県内では小幡に次いで
古い歴史を経歴を持つ、とは参会者からの情報。
コースは倉賀野神社を発して下町の三叉路までとの事なのでR-121で
中間点のベイシアに駐車。目の前に「本陣跡」の記念碑。倉賀野宿は
中山道69次の宿場のうち、上州に入って新町宿に次いで二番目の宿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/6b/0120323c9044e7b18bf6ed9d799a2db0.jpg)
倉賀野神社に向って西に100m行くと、路傍に今度は脇本陣跡。ここには
面白い話が残っている。須賀喜太郎なる御仁が主人の頃、大作家「十返舎十九」
が泊ったがどうももてなしにご不満のご様子。部屋の「あんどん」に残した
のがこの一筆。「須賀すかと 銭は取れども 用足さず こんな宿屋に
なんで喜太郎」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/fb/2b120e261c9d3ac163bbe99889b814e0.jpg)
さて、この目印で左折すると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0b/c1584faccbf70984277686ca35252a99.jpg)
ほんの僅かで倉賀野神社。既に関係者が脇に大勢集まって準備中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ea/3bd0395c0706163978cbc6c72927b3b5.jpg)
肝心の倉賀野城址は近くだが、市街地化が進んで今ではこの碑だけに
なって居るので今日はパス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d0/9801819b033245200e0e704df49963ab.jpg)
10時になると全員が社殿前。神主と巫女さんが出てきて、型どおりに
「修伐・献撰・祝詞奏上・玉串捧尊・徹撰」と滞りなく神事が進行。
巫女さんが実際に笙を演奏したのには一寸驚き。普通はこの規模では
テープなのに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/f2/f448e8f8d0eb8f17863da1c4226b9cab.jpg)
その間、関係者一同、頭を垂れて極めて神妙。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/33/6758ef219a1a6c24a7f14948220ed514.jpg)
いよいよ出発。16騎武者が抜刀してエイエイオーの三連発。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f3/b90f9bd1260fe3fb0f33bf8421e7cd2c.jpg)
あれっ、一人足りないよ。どう数えても鎧武者は15人。こっそり
聞いたら「運悪く鎧が一つ破損していて揃わないから今日は15人」。
この倉賀野16騎の活躍は色々な書物に出てくるが、そのメンバー全て
について記してある物に爺イは出会っていないので、どうしても
それが知りたくて本日参加した次第。ここに来ればパンフがあると
思ったから。だが、この行事に関するパンフは作られていないと云われた。
そこで何時もの奥の手、じっと観察してディレクターさんを見極める
事にした。居た居た、見つけました。私服で何やら盛んに指示している人を。
感は違わず、このお方は倉賀野資料館の館長さん。16騎について根掘り葉掘り
聞き出して、絵入りリストを貰う約束を取付けた。それがこれ。
「騎」というからには当然に常時騎乗の侍大将の指揮官、実際の戦闘を
したのは各人に付けられた50名以上の足軽集団。武田24将図の構図似。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/4f/e6beb561b61c754fb55f2add822189b6.jpg)
名前を順不同で拾い出すと「金井淡路守・五十嵐紀伊守・源田主馬頭・
富田伊勢守・中島豊前守・須賀佐渡守・後川主膳正・坂井豊後守・
勅使河原備前守・金沢筑後守・細野対馬守・福田石見守・福田加賀守
細野但馬守・笠原源右衛門・市川太左衛門」で16名。
さて、行列のスタート・先頭はこの人たち。地元のお偉いさん集団。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/0a/97d05b9a8044e19f2bd9dce09192a80b.jpg)
倉賀野小のマーチングバンド。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e9/19e529c20892276c4c23577e4847e108.jpg)
鎧武者の隊列。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/14/52bf480da1f2f0c1430d3f4416b58a22.jpg)
やがて隊列は「安楽寺」前でR-121に入る。交通遮断はせずに巧みな
誘導で交互片側交通。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/18/d3d8ae44964bee0f4cd7973cddf1f60b.jpg)
この寺の背後にある「安楽寺古墳」は石室内部に
「七仏薬師」が描かれている事で有名だが、生憎の事にご開帳は12年に
一度だけ。普段は境内のこの碑を見るだけで我慢させられる。
眼病に功徳ありと信じられているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5c/68caa1b455a6eb334036e739c0c57407.jpg)
行列は粛々と東に向かう。沿道には人が多いが、観察するとどうやら
鼓笛隊の父兄が付いて回って写真やビデオを撮り捲っているのだ。
中にはバトントワラーの動作まであれこれと指示をしているお母さんも。
沿道に「高札場跡」。1711年のキリシタン禁令と1868年の「五倫の道」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/8a14c73684316cbfb970682def1bdb90.jpg)
中間地点のベイシアでアトラクション込みの40分の休憩、装備が
かなり重いらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/69/b60b25fc434f959f8e6b9c0132e8fd4d.jpg)
再び抜刀して気勢を上げ
再スタート。資料館に寄って館長さんから資料を戴いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/81/1f772fe33831f670b00920be8ea61769.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/33/533be61f4450af5e1e0f1c53afc2972b.jpg)
やがて終着の三叉路。ここは日光例弊使道の始点で道しるべ。
例弊使道は1647年から1867年まで221年間も毎年欠かさず
例弊使を迎えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f4/3158ba9a28ecea3eb190323a923b0966.jpg)
常夜燈の道しるべ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/32/724f0313df44f97dfa707dab2706c7c1.jpg)
常夜燈寄進者の中に著名な力士名。先ず雷電為右衛門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ce/251c21ca15e0510ff63734b4236d4972.jpg)
柏戸利助と雲早山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2f/9cef123857aa2108b67b3e8f4b183532.jpg)
この常夜燈は例弊使開始から170年後の1814年に五料の旅籠屋・
高砂屋によつて計画されたが資金不足で寄付を募つた。それに
応じたのが倉賀野に投宿した雷電他38名の力士や人気役者たち、
それらが台座に名を連ねているが判読は難しい。
その先に薬師堂、又の名を阿弥陀堂。中には真中に閻魔大王。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/4e/d85e471bf87b57d08209aab4364b3186.jpg)
向かって右が倶生神
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/70/ac398f5b8f569d9a208cd6e9d8d26822.jpg)
左に闇黒童子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/09/c5749484c4479d7e1bf84d0afb18a7ba.jpg)
本日の行列見物は終了(11.37)。館長さんに丁重に礼を伝えて倉賀野を後に。
倉賀野城盛衰は此方を参考に
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
送り届けた。驚いた事に大渡橋の手前から渋滞が凄くて橋を渡り
きるのに20分強を要する始末。
帰宅後、予報に反して寒気も左程では無いので倉賀野武者行列の
見物。この行列行事の発祥は戦国時代に縦横に活躍した倉賀野16騎の
故事に由縁し1988年から始まっていて、群馬県内では小幡に次いで
古い歴史を経歴を持つ、とは参会者からの情報。
コースは倉賀野神社を発して下町の三叉路までとの事なのでR-121で
中間点のベイシアに駐車。目の前に「本陣跡」の記念碑。倉賀野宿は
中山道69次の宿場のうち、上州に入って新町宿に次いで二番目の宿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/6b/0120323c9044e7b18bf6ed9d799a2db0.jpg)
倉賀野神社に向って西に100m行くと、路傍に今度は脇本陣跡。ここには
面白い話が残っている。須賀喜太郎なる御仁が主人の頃、大作家「十返舎十九」
が泊ったがどうももてなしにご不満のご様子。部屋の「あんどん」に残した
のがこの一筆。「須賀すかと 銭は取れども 用足さず こんな宿屋に
なんで喜太郎」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/fb/2b120e261c9d3ac163bbe99889b814e0.jpg)
さて、この目印で左折すると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0b/c1584faccbf70984277686ca35252a99.jpg)
ほんの僅かで倉賀野神社。既に関係者が脇に大勢集まって準備中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ea/3bd0395c0706163978cbc6c72927b3b5.jpg)
肝心の倉賀野城址は近くだが、市街地化が進んで今ではこの碑だけに
なって居るので今日はパス。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/d0/9801819b033245200e0e704df49963ab.jpg)
10時になると全員が社殿前。神主と巫女さんが出てきて、型どおりに
「修伐・献撰・祝詞奏上・玉串捧尊・徹撰」と滞りなく神事が進行。
巫女さんが実際に笙を演奏したのには一寸驚き。普通はこの規模では
テープなのに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/f2/f448e8f8d0eb8f17863da1c4226b9cab.jpg)
その間、関係者一同、頭を垂れて極めて神妙。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/33/6758ef219a1a6c24a7f14948220ed514.jpg)
いよいよ出発。16騎武者が抜刀してエイエイオーの三連発。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f3/b90f9bd1260fe3fb0f33bf8421e7cd2c.jpg)
あれっ、一人足りないよ。どう数えても鎧武者は15人。こっそり
聞いたら「運悪く鎧が一つ破損していて揃わないから今日は15人」。
この倉賀野16騎の活躍は色々な書物に出てくるが、そのメンバー全て
について記してある物に爺イは出会っていないので、どうしても
それが知りたくて本日参加した次第。ここに来ればパンフがあると
思ったから。だが、この行事に関するパンフは作られていないと云われた。
そこで何時もの奥の手、じっと観察してディレクターさんを見極める
事にした。居た居た、見つけました。私服で何やら盛んに指示している人を。
感は違わず、このお方は倉賀野資料館の館長さん。16騎について根掘り葉掘り
聞き出して、絵入りリストを貰う約束を取付けた。それがこれ。
「騎」というからには当然に常時騎乗の侍大将の指揮官、実際の戦闘を
したのは各人に付けられた50名以上の足軽集団。武田24将図の構図似。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/4f/e6beb561b61c754fb55f2add822189b6.jpg)
名前を順不同で拾い出すと「金井淡路守・五十嵐紀伊守・源田主馬頭・
富田伊勢守・中島豊前守・須賀佐渡守・後川主膳正・坂井豊後守・
勅使河原備前守・金沢筑後守・細野対馬守・福田石見守・福田加賀守
細野但馬守・笠原源右衛門・市川太左衛門」で16名。
さて、行列のスタート・先頭はこの人たち。地元のお偉いさん集団。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/0a/97d05b9a8044e19f2bd9dce09192a80b.jpg)
倉賀野小のマーチングバンド。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e9/19e529c20892276c4c23577e4847e108.jpg)
鎧武者の隊列。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/14/52bf480da1f2f0c1430d3f4416b58a22.jpg)
やがて隊列は「安楽寺」前でR-121に入る。交通遮断はせずに巧みな
誘導で交互片側交通。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/18/d3d8ae44964bee0f4cd7973cddf1f60b.jpg)
この寺の背後にある「安楽寺古墳」は石室内部に
「七仏薬師」が描かれている事で有名だが、生憎の事にご開帳は12年に
一度だけ。普段は境内のこの碑を見るだけで我慢させられる。
眼病に功徳ありと信じられているらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5c/68caa1b455a6eb334036e739c0c57407.jpg)
行列は粛々と東に向かう。沿道には人が多いが、観察するとどうやら
鼓笛隊の父兄が付いて回って写真やビデオを撮り捲っているのだ。
中にはバトントワラーの動作まであれこれと指示をしているお母さんも。
沿道に「高札場跡」。1711年のキリシタン禁令と1868年の「五倫の道」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/8a14c73684316cbfb970682def1bdb90.jpg)
中間地点のベイシアでアトラクション込みの40分の休憩、装備が
かなり重いらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/69/b60b25fc434f959f8e6b9c0132e8fd4d.jpg)
再び抜刀して気勢を上げ
再スタート。資料館に寄って館長さんから資料を戴いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/81/1f772fe33831f670b00920be8ea61769.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/33/533be61f4450af5e1e0f1c53afc2972b.jpg)
やがて終着の三叉路。ここは日光例弊使道の始点で道しるべ。
例弊使道は1647年から1867年まで221年間も毎年欠かさず
例弊使を迎えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f4/3158ba9a28ecea3eb190323a923b0966.jpg)
常夜燈の道しるべ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/32/724f0313df44f97dfa707dab2706c7c1.jpg)
常夜燈寄進者の中に著名な力士名。先ず雷電為右衛門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ce/251c21ca15e0510ff63734b4236d4972.jpg)
柏戸利助と雲早山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2f/9cef123857aa2108b67b3e8f4b183532.jpg)
この常夜燈は例弊使開始から170年後の1814年に五料の旅籠屋・
高砂屋によつて計画されたが資金不足で寄付を募つた。それに
応じたのが倉賀野に投宿した雷電他38名の力士や人気役者たち、
それらが台座に名を連ねているが判読は難しい。
その先に薬師堂、又の名を阿弥陀堂。中には真中に閻魔大王。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/4e/d85e471bf87b57d08209aab4364b3186.jpg)
向かって右が倶生神
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/70/ac398f5b8f569d9a208cd6e9d8d26822.jpg)
左に闇黒童子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/09/c5749484c4479d7e1bf84d0afb18a7ba.jpg)
本日の行列見物は終了(11.37)。館長さんに丁重に礼を伝えて倉賀野を後に。
倉賀野城盛衰は此方を参考に
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