クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

倉賀野城 16騎 武者行列 H-21-11-3

2009-11-04 05:14:30 | 伝説・史跡探訪
群馬マラソン出場のため東京から来ていた家族を朝方、敷島公園に
送り届けた。驚いた事に大渡橋の手前から渋滞が凄くて橋を渡り
きるのに20分強を要する始末。
帰宅後、予報に反して寒気も左程では無いので倉賀野武者行列の
見物。この行列行事の発祥は戦国時代に縦横に活躍した倉賀野16騎の
故事に由縁し1988年から始まっていて、群馬県内では小幡に次いで
古い歴史を経歴を持つ、とは参会者からの情報。
コースは倉賀野神社を発して下町の三叉路までとの事なのでR-121で
中間点のベイシアに駐車。目の前に「本陣跡」の記念碑。倉賀野宿は
中山道69次の宿場のうち、上州に入って新町宿に次いで二番目の宿。



倉賀野神社に向って西に100m行くと、路傍に今度は脇本陣跡。ここには
面白い話が残っている。須賀喜太郎なる御仁が主人の頃、大作家「十返舎十九」
が泊ったがどうももてなしにご不満のご様子。部屋の「あんどん」に残した
のがこの一筆。「須賀すかと 銭は取れども 用足さず こんな宿屋に
       なんで喜太郎」。



さて、この目印で左折すると



ほんの僅かで倉賀野神社。既に関係者が脇に大勢集まって準備中。



肝心の倉賀野城址は近くだが、市街地化が進んで今ではこの碑だけに
なって居るので今日はパス。



10時になると全員が社殿前。神主と巫女さんが出てきて、型どおりに
「修伐・献撰・祝詞奏上・玉串捧尊・徹撰」と滞りなく神事が進行。
巫女さんが実際に笙を演奏したのには一寸驚き。普通はこの規模では
テープなのに。



その間、関係者一同、頭を垂れて極めて神妙。



いよいよ出発。16騎武者が抜刀してエイエイオーの三連発。



あれっ、一人足りないよ。どう数えても鎧武者は15人。こっそり
聞いたら「運悪く鎧が一つ破損していて揃わないから今日は15人」。
この倉賀野16騎の活躍は色々な書物に出てくるが、そのメンバー全て
について記してある物に爺イは出会っていないので、どうしても
それが知りたくて本日参加した次第。ここに来ればパンフがあると
思ったから。だが、この行事に関するパンフは作られていないと云われた。
そこで何時もの奥の手、じっと観察してディレクターさんを見極める
事にした。居た居た、見つけました。私服で何やら盛んに指示している人を。
感は違わず、このお方は倉賀野資料館の館長さん。16騎について根掘り葉掘り
聞き出して、絵入りリストを貰う約束を取付けた。それがこれ。
「騎」というからには当然に常時騎乗の侍大将の指揮官、実際の戦闘を
したのは各人に付けられた50名以上の足軽集団。武田24将図の構図似。



名前を順不同で拾い出すと「金井淡路守・五十嵐紀伊守・源田主馬頭・
富田伊勢守・中島豊前守・須賀佐渡守・後川主膳正・坂井豊後守・
勅使河原備前守・金沢筑後守・細野対馬守・福田石見守・福田加賀守
細野但馬守・笠原源右衛門・市川太左衛門」で16名。

さて、行列のスタート・先頭はこの人たち。地元のお偉いさん集団。



倉賀野小のマーチングバンド。



鎧武者の隊列。



やがて隊列は「安楽寺」前でR-121に入る。交通遮断はせずに巧みな
誘導で交互片側交通。



この寺の背後にある「安楽寺古墳」は石室内部に
「七仏薬師」が描かれている事で有名だが、生憎の事にご開帳は12年に
一度だけ。普段は境内のこの碑を見るだけで我慢させられる。
眼病に功徳ありと信じられているらしい。



行列は粛々と東に向かう。沿道には人が多いが、観察するとどうやら
鼓笛隊の父兄が付いて回って写真やビデオを撮り捲っているのだ。
中にはバトントワラーの動作まであれこれと指示をしているお母さんも。
沿道に「高札場跡」。1711年のキリシタン禁令と1868年の「五倫の道」。



中間地点のベイシアでアトラクション込みの40分の休憩、装備が
かなり重いらしい。



再び抜刀して気勢を上げ
再スタート。資料館に寄って館長さんから資料を戴いた。





やがて終着の三叉路。ここは日光例弊使道の始点で道しるべ。
例弊使道は1647年から1867年まで221年間も毎年欠かさず
例弊使を迎えた。



常夜燈の道しるべ。



常夜燈寄進者の中に著名な力士名。先ず雷電為右衛門。



柏戸利助と雲早山



この常夜燈は例弊使開始から170年後の1814年に五料の旅籠屋・
高砂屋によつて計画されたが資金不足で寄付を募つた。それに
応じたのが倉賀野に投宿した雷電他38名の力士や人気役者たち、
それらが台座に名を連ねているが判読は難しい。

その先に薬師堂、又の名を阿弥陀堂。中には真中に閻魔大王。



向かって右が倶生神



左に闇黒童子



本日の行列見物は終了(11.37)。館長さんに丁重に礼を伝えて倉賀野を後に。

倉賀野城盛衰は此方を参考に

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