
杭一本の切り開かれた場所には標識三枚、珍しくも「新ハイキングクラブ」のも。
そう云えばG氏はこの雑誌の常連さん、それも本名での投稿者だったな。



ここで昼食・休憩(11.48-12.18)。南に見えるこの山は若しかすると子持?

本日の爺イ。

さて、いよいよお楽しみの四等三角点・滝合探し。場所はここから北北東280m
標高差約100m。北への稜線を降り始める。南西尾根と違って道標もロープも
無いから恐らく難しいルート。予想通り落ち葉の堆積が厚い急降。足が勝手に
流れてしまって軽アイゼンでの踏ん張りも全く利かずに僅かの間に二度も転倒。
こりゃ駄目だとさっさと諦めて出直しで下から登りなおす事にして下山開始。
620m峰からの下りで左下に川と集落、利根川かな?

正面の山はさっきの大平山だと思われる。

鞍部から登山道を下る途中に往路では気づかなかったこんな物、ケルン?

墓地脇に来た時、下まで行くのは面倒なので尾根を西に二つ跨げは三角点の稜線
なので墓石裏から強引にヤブに突入して斜面を西に向かう。杉林をつっきって
窪に向かったら何やら看板多数。「山菜栽培地立ち入り禁止」だつた。周囲を
見ると成る程、タラの芽とコシアブラの栽培地。諦めて駐車場所に戻る。
一休みして再スタート。今度は右の舗装農道に入りこんな炭焼き窯のような物を
見ながら山手に向かうと前面に三角点への尾根が垂れているが行き止まり。

ここで引き下がるわけには行かないので落ち着いて山手を観察すると畑の
先に何やら作業道らしき一筋を発見。

あぜ道を迂回して作業道に入り、窪に向かって登りだす。やがて伐採地で
行き止まり。この斜面を登って尾根に行く事に決定。

手付かずの尾根はヤブの塊で傾斜もきつい。だが距離はここからなら僅かに
160m位。焦らずゆっくり進む。やがてあと50m地点で右からの尾根が
近づいて来るのが見えた。そこにこんな標柱。

やつと交点に到着、だがあるはずの三角点は見当たらなく腰をおろして
休憩。

不精にも座ったまま周囲を観察すると荷鞍への登り稜線の真中に突起物発見。
こんな傾斜稜線途中の三角点は榛名の善棚三角点以来だ。(13.36)
四等 點名・滝合 522.99m 水上町大字下津字上師戸


全ての予定を達成してヤブ稜線を下って畑地に戻ると仕事中のご老人が吃驚して
話し掛けてきた。「どっから降りてきた? 道なんか無かったろ?」
「一服するかい?」と言われて畦に並んで腰を下して雑談。山の説明が
始まった。「このデカイのが三峰、肩のところの河内神社が見えるだろ」と言われても
良く判らないが「見えるよ」と適当にお愛想の相槌。

右の出っ張りは「とがみ」というから「戸神山」だろう。

左のは「大峰」と言われたが霞んで写真にならない。
続いて畑の説明、これは枝豆の畑。枝豆など畦に撒いとけば良いのかと
思って居たら何とも手が掛かる物だ。今後は感謝して食べよう。

今座っている、唯の土筆の生えた原と思ったのが「ワラビ」栽培地と
言われて慌てて立ち上がる。

お爺さん、(と言っても小生と同年輩だが)に別れを告げて駐車場所帰着(14.16)
農道をそのまま南に下って沼田の「東光寺」に向かうが途中で八重桜満開。

東光寺には入り口に開基とされる「発智為時」の供養搭の案内がある。

山門脇に駐車して山門に向かうと綺麗なチューリップ畑。

本堂左手の山道を少し登った墓地内に宝筐印搭発見。沼田市文化財。
説明板によると沼田氏三代目景盛の子、三郎景宗が発知地域に分家して
発智氏を名乗りその弟・為時が上川田城を築いたといわれる。


この寺の裏山が天狗山だがもう一回りする気力は無いのでパス。
おまけに家人が居ないらしいので名物といわれる本堂の5mの天狗面と
一本歯の大下駄も見られずに退去。後日又訪問予定。
少しさがつて小さな八幡宮、覗いてみたがご神体の丸石も伝説の尖った岩の
頭もハッキリわからず(15.02)。

これで全て終了、そのまま道を下って下川田でR-17に復帰して永井食堂に
寄ってからのんびり帰宅。
連勝はストップして残念無念。
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
そう云えばG氏はこの雑誌の常連さん、それも本名での投稿者だったな。



ここで昼食・休憩(11.48-12.18)。南に見えるこの山は若しかすると子持?

本日の爺イ。

さて、いよいよお楽しみの四等三角点・滝合探し。場所はここから北北東280m
標高差約100m。北への稜線を降り始める。南西尾根と違って道標もロープも
無いから恐らく難しいルート。予想通り落ち葉の堆積が厚い急降。足が勝手に
流れてしまって軽アイゼンでの踏ん張りも全く利かずに僅かの間に二度も転倒。
こりゃ駄目だとさっさと諦めて出直しで下から登りなおす事にして下山開始。
620m峰からの下りで左下に川と集落、利根川かな?

正面の山はさっきの大平山だと思われる。

鞍部から登山道を下る途中に往路では気づかなかったこんな物、ケルン?

墓地脇に来た時、下まで行くのは面倒なので尾根を西に二つ跨げは三角点の稜線
なので墓石裏から強引にヤブに突入して斜面を西に向かう。杉林をつっきって
窪に向かったら何やら看板多数。「山菜栽培地立ち入り禁止」だつた。周囲を
見ると成る程、タラの芽とコシアブラの栽培地。諦めて駐車場所に戻る。
一休みして再スタート。今度は右の舗装農道に入りこんな炭焼き窯のような物を
見ながら山手に向かうと前面に三角点への尾根が垂れているが行き止まり。

ここで引き下がるわけには行かないので落ち着いて山手を観察すると畑の
先に何やら作業道らしき一筋を発見。

あぜ道を迂回して作業道に入り、窪に向かって登りだす。やがて伐採地で
行き止まり。この斜面を登って尾根に行く事に決定。

手付かずの尾根はヤブの塊で傾斜もきつい。だが距離はここからなら僅かに
160m位。焦らずゆっくり進む。やがてあと50m地点で右からの尾根が
近づいて来るのが見えた。そこにこんな標柱。

やつと交点に到着、だがあるはずの三角点は見当たらなく腰をおろして
休憩。

不精にも座ったまま周囲を観察すると荷鞍への登り稜線の真中に突起物発見。
こんな傾斜稜線途中の三角点は榛名の善棚三角点以来だ。(13.36)
四等 點名・滝合 522.99m 水上町大字下津字上師戸


全ての予定を達成してヤブ稜線を下って畑地に戻ると仕事中のご老人が吃驚して
話し掛けてきた。「どっから降りてきた? 道なんか無かったろ?」
「一服するかい?」と言われて畦に並んで腰を下して雑談。山の説明が
始まった。「このデカイのが三峰、肩のところの河内神社が見えるだろ」と言われても
良く判らないが「見えるよ」と適当にお愛想の相槌。

右の出っ張りは「とがみ」というから「戸神山」だろう。

左のは「大峰」と言われたが霞んで写真にならない。
続いて畑の説明、これは枝豆の畑。枝豆など畦に撒いとけば良いのかと
思って居たら何とも手が掛かる物だ。今後は感謝して食べよう。

今座っている、唯の土筆の生えた原と思ったのが「ワラビ」栽培地と
言われて慌てて立ち上がる。

お爺さん、(と言っても小生と同年輩だが)に別れを告げて駐車場所帰着(14.16)
農道をそのまま南に下って沼田の「東光寺」に向かうが途中で八重桜満開。

東光寺には入り口に開基とされる「発智為時」の供養搭の案内がある。

山門脇に駐車して山門に向かうと綺麗なチューリップ畑。

本堂左手の山道を少し登った墓地内に宝筐印搭発見。沼田市文化財。
説明板によると沼田氏三代目景盛の子、三郎景宗が発知地域に分家して
発智氏を名乗りその弟・為時が上川田城を築いたといわれる。


この寺の裏山が天狗山だがもう一回りする気力は無いのでパス。
おまけに家人が居ないらしいので名物といわれる本堂の5mの天狗面と
一本歯の大下駄も見られずに退去。後日又訪問予定。
少しさがつて小さな八幡宮、覗いてみたがご神体の丸石も伝説の尖った岩の
頭もハッキリわからず(15.02)。

これで全て終了、そのまま道を下って下川田でR-17に復帰して永井食堂に
寄ってからのんびり帰宅。
連勝はストップして残念無念。
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます