![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/1c/8dede6dddd281968e24d3f12b5f2b6da.jpg)
自然園のクリンソウを見てから別の地域のももう少し見たいと
思ったが名所とされる「みどり市鹿田山」やフラワーパークは
やや行くのが億劫なので他を探したら西中之条の「オープンガーデン福田」
に咲いているとの情報で早速訪問。
伊香保経由で「岡崎」、r-35で西進して「植栗」から吾妻川を渡って
「伊勢町下」を左折し中之条中心部からr-53(中之条湯河原線)を
北上して親都神社の推定1kmほど手前のこの看板で現地着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/05/319934efd3c713e79be7bb04c52d42e6.jpg)
案内に従ってこの石段を登ると福田邸の玄関前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/8e/7770b9f865c3f4c240d179138417c60e.jpg)
チャイムを鳴らして訪問を伝えると「番号順にお進みください!
一番から十番まであります」と云われて左手の一番に進むと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/cf/e88fa7f3951e1789505a8bd30b5b2134.jpg)
そこにはいきなりクリンソウが咲き誇っている。第一印象は茎径が
極めて長い育ち振りで揃って四段まで花が付いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4a/f80b6ca181671206d5adbfe3e3ab1ee1.jpg)
山手の斜面には曲がりくねった遊歩道が設置され一回りするには
歩きでがあり数々の野の花とクリンソウのスペースがもう一面あって
十分堪能、休憩所で福田さんに飲み物を提供されたり来合わせた
地元の方と暫し談笑してガーデンを辞して近くの親都神社に向かった。
中之条クリンソウ
ここに来た理由は「拝殿に奇妙な扁額がある」と聞いて野次馬に
なっただけ。「道の駅」に駐車して県道を少し下って表参道から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/65/26efbe3cb5248849757ffe91af8a0767.jpg)
南に見えるのは方角からして榛名連山らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/90/7681d39123fdfb4b3c2bc27f038917d1.jpg)
舗装された参道を周囲の巨木を眺めながら登って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/76/6e7d8a99c2d487797b4ec7fd7b7cce01.jpg)
やがて享保十三年(1728年)建立と云われる鳥居前。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b6/d268ad778c655fb2473eebfa1b7ef6da.jpg)
急な石段の先には拝殿らしい建屋の屋根が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5a/039ea76817d44264d0a150e4e2857fb3.jpg)
これが拝殿。享保十一年(1726年)に村中でを修復したもので
木造平屋建て、入母屋、銅板葺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6f/080e15bd0b27e1169e567893c5abbd4f.jpg)
拝殿奥に続くのが本殿。元禄十二年(1699年)に大嵐で大破した
のを村中奉賀で修復をしたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/64/a86822f111911db93002c13adf5d85e7.jpg)
目的の扁額はこれ。薄れて読むのに苦労したが「正一位親都大明神」
で神社の扁額としては確かに珍しい。
享保十四年(1729年)明神様の御神位を頂戴する為に村人が出かけて
「正一位親都大明神」の称号を頂き古来からの七社大明神が改称
されたことに拠るらしい。
「親都神社」と改称されたのは五反田村中すべての神社が合祀された
明治十年(1877年)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/08/19a13ee1487b91d60dc47dfd27ca59be.jpg)
再び道の駅に降りると車道近くに樹齢約700年名物の「大ケヤキ」。
樹高15m、幹回り9.7m、根周り15.1ⅿ、で原町の大ケヤキに次ぐ県内二位。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/55/103b56037bd491463182a2db787f4555.jpg)
この他に「親都神社の境内木」として平成十二年(2000年)に
町指定天然記念物に指定されている杉・欅の巨木が56本も林立する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/35/3798b11f0d03a04bf60f7933af9818e7.jpg)
北に断崖の岩肌を見せる嵩山(789m)は死者の霊が山上に集まる
神聖な地・「霊山」とされてきた。
永禄八年(1565年)に武田軍に攻められた嵩山合戦で激戦の末に
城主・斎藤憲宗は自刃、城虎丸は「大天狗岩」から飛び込んで自決、
斎藤氏一族は婦女子まで自決し嵩山城は落城したという悲劇の山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/af/822d887aa139905a922474ee0bcb4902.jpg)
少し西に「嵩山三十三番観世音」の配置を刻んだ巨碑がある。
これは嵩山城落城の約百四十年後の元禄十五年(1702年)、
嵩山合戦で悲惨な最期を遂げた犠牲者を供養するために、五反田に
住み着いていた江戸の僧・空閑と地域の人々が、坂東三十三番の
観音像を山中に建立した。これが「嵩山三十三番観世音」であり
登山口を第一番目として、山北の池平の第三十三番目に至るまで、
山内に石仏が点在している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/39/03992f1b8efbddce52db8ea9eedb8196.jpg)
その近くに鳥居がありここが登山口、爺イも観世音を探して
何回もここから山に入っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/bb/7de8cb4aa1acdbc25a29b1bf5fd76b04.jpg)
なお、嵩山は「天狗の住む山」とも言われ、現在でも東の峰を
「大天狗」、中の峰を「中天狗」、西の峰を「小天狗」と呼び
それぞれ鎖場があるので面白い周回登山コースでもある。
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登山
26勝27敗 (06/04)現在 首位と9.5ゲーム差 四位 5位とのゲーム差 4,5ゲーム
思ったが名所とされる「みどり市鹿田山」やフラワーパークは
やや行くのが億劫なので他を探したら西中之条の「オープンガーデン福田」
に咲いているとの情報で早速訪問。
伊香保経由で「岡崎」、r-35で西進して「植栗」から吾妻川を渡って
「伊勢町下」を左折し中之条中心部からr-53(中之条湯河原線)を
北上して親都神社の推定1kmほど手前のこの看板で現地着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/05/319934efd3c713e79be7bb04c52d42e6.jpg)
案内に従ってこの石段を登ると福田邸の玄関前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/8e/7770b9f865c3f4c240d179138417c60e.jpg)
チャイムを鳴らして訪問を伝えると「番号順にお進みください!
一番から十番まであります」と云われて左手の一番に進むと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/cf/e88fa7f3951e1789505a8bd30b5b2134.jpg)
そこにはいきなりクリンソウが咲き誇っている。第一印象は茎径が
極めて長い育ち振りで揃って四段まで花が付いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4a/f80b6ca181671206d5adbfe3e3ab1ee1.jpg)
山手の斜面には曲がりくねった遊歩道が設置され一回りするには
歩きでがあり数々の野の花とクリンソウのスペースがもう一面あって
十分堪能、休憩所で福田さんに飲み物を提供されたり来合わせた
地元の方と暫し談笑してガーデンを辞して近くの親都神社に向かった。
中之条クリンソウ
ここに来た理由は「拝殿に奇妙な扁額がある」と聞いて野次馬に
なっただけ。「道の駅」に駐車して県道を少し下って表参道から。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/65/26efbe3cb5248849757ffe91af8a0767.jpg)
南に見えるのは方角からして榛名連山らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/90/7681d39123fdfb4b3c2bc27f038917d1.jpg)
舗装された参道を周囲の巨木を眺めながら登って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/76/6e7d8a99c2d487797b4ec7fd7b7cce01.jpg)
やがて享保十三年(1728年)建立と云われる鳥居前。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/b6/d268ad778c655fb2473eebfa1b7ef6da.jpg)
急な石段の先には拝殿らしい建屋の屋根が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5a/039ea76817d44264d0a150e4e2857fb3.jpg)
これが拝殿。享保十一年(1726年)に村中でを修復したもので
木造平屋建て、入母屋、銅板葺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6f/080e15bd0b27e1169e567893c5abbd4f.jpg)
拝殿奥に続くのが本殿。元禄十二年(1699年)に大嵐で大破した
のを村中奉賀で修復をしたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/64/a86822f111911db93002c13adf5d85e7.jpg)
目的の扁額はこれ。薄れて読むのに苦労したが「正一位親都大明神」
で神社の扁額としては確かに珍しい。
享保十四年(1729年)明神様の御神位を頂戴する為に村人が出かけて
「正一位親都大明神」の称号を頂き古来からの七社大明神が改称
されたことに拠るらしい。
「親都神社」と改称されたのは五反田村中すべての神社が合祀された
明治十年(1877年)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/08/19a13ee1487b91d60dc47dfd27ca59be.jpg)
再び道の駅に降りると車道近くに樹齢約700年名物の「大ケヤキ」。
樹高15m、幹回り9.7m、根周り15.1ⅿ、で原町の大ケヤキに次ぐ県内二位。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/55/103b56037bd491463182a2db787f4555.jpg)
この他に「親都神社の境内木」として平成十二年(2000年)に
町指定天然記念物に指定されている杉・欅の巨木が56本も林立する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/35/3798b11f0d03a04bf60f7933af9818e7.jpg)
北に断崖の岩肌を見せる嵩山(789m)は死者の霊が山上に集まる
神聖な地・「霊山」とされてきた。
永禄八年(1565年)に武田軍に攻められた嵩山合戦で激戦の末に
城主・斎藤憲宗は自刃、城虎丸は「大天狗岩」から飛び込んで自決、
斎藤氏一族は婦女子まで自決し嵩山城は落城したという悲劇の山。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/af/822d887aa139905a922474ee0bcb4902.jpg)
少し西に「嵩山三十三番観世音」の配置を刻んだ巨碑がある。
これは嵩山城落城の約百四十年後の元禄十五年(1702年)、
嵩山合戦で悲惨な最期を遂げた犠牲者を供養するために、五反田に
住み着いていた江戸の僧・空閑と地域の人々が、坂東三十三番の
観音像を山中に建立した。これが「嵩山三十三番観世音」であり
登山口を第一番目として、山北の池平の第三十三番目に至るまで、
山内に石仏が点在している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/39/03992f1b8efbddce52db8ea9eedb8196.jpg)
その近くに鳥居がありここが登山口、爺イも観世音を探して
何回もここから山に入っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/bb/7de8cb4aa1acdbc25a29b1bf5fd76b04.jpg)
なお、嵩山は「天狗の住む山」とも言われ、現在でも東の峰を
「大天狗」、中の峰を「中天狗」、西の峰を「小天狗」と呼び
それぞれ鎖場があるので面白い周回登山コースでもある。
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