クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

松井田町道祖神巡り(2) H-22- 3- 1

2010-03-01 21:36:29 | 双神道祖神・磨崖仏・道しるべ
(6)横川諏訪神社道祖神



再び横川に戻ってR-18新旧分岐手前で旧中山道へ。
直ぐに碓氷関所跡があるので一寸寄っていくーーというより
この辺は道が狭いので駐車場を借りるのだ。



碓氷坂の関所の歴史は古く899年に群盗対策で作られたとか。
この位置への設置は1615年頃で目的は「入り鉄砲に出女」の
取り締まり。1869年の廃関まで続いた。



そこから100m程東進すると諏訪神社の道標。



右側に双神道祖神が二体。一つに天保15年(1844年)の銘がある。

 



社殿裏に不動明王、背負う火焔が透かし彫で穴あき。



(7)矢の沢の庚申塔



更に東進して矢の沢川の畔に八基の石造物が並ぶ。
1718年の庚申塔は笠付きの角塔で珍しくも台石に「三サル」



隣の板碑には「庚申」の文字が無数に刻まれているが彫が薄い。



真ん中にある大きな庚申と二十三夜塔は江戸期の書家・
金洞河三亥(1779-1857)の筆による。

 




(8)矢の沢の子育て地蔵

川筋に子育て地蔵上流300mとの案内があったので
林道を登ってみた。



中には三体、右が1863年の洪水で流されたが後年発見された
初代。真ん中がその代わりに設置された二代目、左が
この設備を作った1984年に作られた三代目。



(9)夜泣き地蔵



五料信号から再び旧中山道、踏切を渡り切り返して九山坂を
上り切ったところに伝説に包まれる夜泣き地蔵。
一番手前の大きいのがそれ。



手前に「茶釜石」という大石、小石で叩くと空の茶釜を
叩いたような高い音がする。上面はかなり叩かれた跡と
使う小石も。



(10)五料の道祖神



旧中山道を東進、途中の「お東」「お西」と並ぶ中島家の
本陣跡に寄る。横切る信越線踏み切りにこんな名前。



肝心の本陣跡は生憎な事に休館日、門前で退散。

 



本命の街道筋で目的の道祖神を探すが駄目。周辺は開発され
新しい家並みに変わっているので何処かに移転か?
代わりに民家の庭に深彫りの石碑。



(11)新堀諏訪神社



最後の目標に向かう。信越高速を潜って金剛寺に駐車。
ここの開基は源頼光四天王で酒呑童子退治の碓井定(貞)光。
それで「碓井山定光院金剛寺」という。



ここは松井田西城のあったところ、松井田城の出城の役割だが
これから行く諏訪神社の場所を含めて城郭だったらしい。



地続きではあるが一旦R-18に出てから改めて鳥居を潜るが
錆だらけて何となく不安。



直ぐに崩れかけた65段の石段。



其の上は荒れ果てた山道の感じの中を登っていく。



薄暗い中で再び落ち葉に埋もれた80段の石段。



何とか上り詰めたら何と廃屋の様な社殿。目標物も見当たらず。



周辺に僅かの石造物が倒れて枯れ葉に埋もれている。
仕方なく唯一残っている狛犬を撮影して退散。



本日はこれで終了(15.30)。

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