(6)横川諏訪神社道祖神
再び横川に戻ってR-18新旧分岐手前で旧中山道へ。
直ぐに碓氷関所跡があるので一寸寄っていくーーというより
この辺は道が狭いので駐車場を借りるのだ。
碓氷坂の関所の歴史は古く899年に群盗対策で作られたとか。
この位置への設置は1615年頃で目的は「入り鉄砲に出女」の
取り締まり。1869年の廃関まで続いた。
そこから100m程東進すると諏訪神社の道標。
右側に双神道祖神が二体。一つに天保15年(1844年)の銘がある。
社殿裏に不動明王、背負う火焔が透かし彫で穴あき。
(7)矢の沢の庚申塔
更に東進して矢の沢川の畔に八基の石造物が並ぶ。
1718年の庚申塔は笠付きの角塔で珍しくも台石に「三サル」
隣の板碑には「庚申」の文字が無数に刻まれているが彫が薄い。
真ん中にある大きな庚申と二十三夜塔は江戸期の書家・
金洞河三亥(1779-1857)の筆による。
(8)矢の沢の子育て地蔵
川筋に子育て地蔵上流300mとの案内があったので
林道を登ってみた。
中には三体、右が1863年の洪水で流されたが後年発見された
初代。真ん中がその代わりに設置された二代目、左が
この設備を作った1984年に作られた三代目。
(9)夜泣き地蔵
五料信号から再び旧中山道、踏切を渡り切り返して九山坂を
上り切ったところに伝説に包まれる夜泣き地蔵。
一番手前の大きいのがそれ。
手前に「茶釜石」という大石、小石で叩くと空の茶釜を
叩いたような高い音がする。上面はかなり叩かれた跡と
使う小石も。
(10)五料の道祖神
旧中山道を東進、途中の「お東」「お西」と並ぶ中島家の
本陣跡に寄る。横切る信越線踏み切りにこんな名前。
肝心の本陣跡は生憎な事に休館日、門前で退散。
本命の街道筋で目的の道祖神を探すが駄目。周辺は開発され
新しい家並みに変わっているので何処かに移転か?
代わりに民家の庭に深彫りの石碑。
(11)新堀諏訪神社
最後の目標に向かう。信越高速を潜って金剛寺に駐車。
ここの開基は源頼光四天王で酒呑童子退治の碓井定(貞)光。
それで「碓井山定光院金剛寺」という。
ここは松井田西城のあったところ、松井田城の出城の役割だが
これから行く諏訪神社の場所を含めて城郭だったらしい。
地続きではあるが一旦R-18に出てから改めて鳥居を潜るが
錆だらけて何となく不安。
直ぐに崩れかけた65段の石段。
其の上は荒れ果てた山道の感じの中を登っていく。
薄暗い中で再び落ち葉に埋もれた80段の石段。
何とか上り詰めたら何と廃屋の様な社殿。目標物も見当たらず。
周辺に僅かの石造物が倒れて枯れ葉に埋もれている。
仕方なく唯一残っている狛犬を撮影して退散。
本日はこれで終了(15.30)。
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再び横川に戻ってR-18新旧分岐手前で旧中山道へ。
直ぐに碓氷関所跡があるので一寸寄っていくーーというより
この辺は道が狭いので駐車場を借りるのだ。
碓氷坂の関所の歴史は古く899年に群盗対策で作られたとか。
この位置への設置は1615年頃で目的は「入り鉄砲に出女」の
取り締まり。1869年の廃関まで続いた。
そこから100m程東進すると諏訪神社の道標。
右側に双神道祖神が二体。一つに天保15年(1844年)の銘がある。
社殿裏に不動明王、背負う火焔が透かし彫で穴あき。
(7)矢の沢の庚申塔
更に東進して矢の沢川の畔に八基の石造物が並ぶ。
1718年の庚申塔は笠付きの角塔で珍しくも台石に「三サル」
隣の板碑には「庚申」の文字が無数に刻まれているが彫が薄い。
真ん中にある大きな庚申と二十三夜塔は江戸期の書家・
金洞河三亥(1779-1857)の筆による。
(8)矢の沢の子育て地蔵
川筋に子育て地蔵上流300mとの案内があったので
林道を登ってみた。
中には三体、右が1863年の洪水で流されたが後年発見された
初代。真ん中がその代わりに設置された二代目、左が
この設備を作った1984年に作られた三代目。
(9)夜泣き地蔵
五料信号から再び旧中山道、踏切を渡り切り返して九山坂を
上り切ったところに伝説に包まれる夜泣き地蔵。
一番手前の大きいのがそれ。
手前に「茶釜石」という大石、小石で叩くと空の茶釜を
叩いたような高い音がする。上面はかなり叩かれた跡と
使う小石も。
(10)五料の道祖神
旧中山道を東進、途中の「お東」「お西」と並ぶ中島家の
本陣跡に寄る。横切る信越線踏み切りにこんな名前。
肝心の本陣跡は生憎な事に休館日、門前で退散。
本命の街道筋で目的の道祖神を探すが駄目。周辺は開発され
新しい家並みに変わっているので何処かに移転か?
代わりに民家の庭に深彫りの石碑。
(11)新堀諏訪神社
最後の目標に向かう。信越高速を潜って金剛寺に駐車。
ここの開基は源頼光四天王で酒呑童子退治の碓井定(貞)光。
それで「碓井山定光院金剛寺」という。
ここは松井田西城のあったところ、松井田城の出城の役割だが
これから行く諏訪神社の場所を含めて城郭だったらしい。
地続きではあるが一旦R-18に出てから改めて鳥居を潜るが
錆だらけて何となく不安。
直ぐに崩れかけた65段の石段。
其の上は荒れ果てた山道の感じの中を登っていく。
薄暗い中で再び落ち葉に埋もれた80段の石段。
何とか上り詰めたら何と廃屋の様な社殿。目標物も見当たらず。
周辺に僅かの石造物が倒れて枯れ葉に埋もれている。
仕方なく唯一残っている狛犬を撮影して退散。
本日はこれで終了(15.30)。
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