
山手の路面が凍結する前にあちこち行く積りになっている。
適当な低山が無いか過去の自分の記録やネット情報を
確認していたら爺イとしてはビックリの画像が沢山
見つかった。それは「味噌玉岩」の画像だ。

ここには李ヶ岳への途中で数回行っているし味噌岩だけ
にも行っているが恥ずかしながら「味噌玉岩」はあの
巨大な岩突起全体の事だと思っていた。
古い記録には「その山容、味噌玉を固めたるに
似たるを以って名づく。往昔、榛名神社の在りし
所にして、維新前において老杉・古檜繁茂し
最も神寂たる深山なりしが維新後、濫伐の餘弊は
遂に一帯の原野と化せしめたりー」とあるそうだが
考えてみればあの巨体全体が「味噌玉を固めたるに
似たるーー」とはおかしいと気付かない方が
どうかしていた。だが画像にある「味噌玉岩」本体
を見つけたことは無いからどうにもならない。
そこで早速探索に出掛けることとした。
登山口のある「李ヶ岳林道」の旧榛名町側は最悪の
ダート道でバラストの上を走るようなことになると
判っているので倉淵からの林道終点から入る。
拙宅らからr-29で室田四つ角、R-406に乗り換えて
倉淵を延々と西進、郵便局信号先の「7-11」西側
細道を北上。暫くで「蘭津花の里」が正面の丁字路、

左折して幅広に整備された「榛名西域広域農道」を
走り「榛名の森CC」を過ぎると林道入口。全長5798m。
2006年からは高崎市だが古い「倉淵村長」名の
看板が立つ。

評判通り路面は山岳地の県道並みの舗装路。

少し先の幅広の所に古い木製の鳥居。掲額を見ると
「李ヶ嶽」。榛名山系の「杏ヶ岳」を御神体とする鳥居で、
この広場は、遙拝所として使われていたらしい。。。との事。

約3km強で「始点から2540m」の倉淵の看板。どうやら
此処が榛名町との分担の境目らしい。

やれやれ、境目から先はダート道に替わるのだ。

走りながらフロント越しに見ると小石が一杯。

我慢して始点から2km地点、この少し先が登山口。

目印の「民有林林道開設事業」の表示板。

路の南側にはかって華やかな道標があった「蘭津へ」
の踏み跡が明確についているる

幅広スペースに駐車して登山口を見る。出だしは
まるで崖。

離れて見ても一筋縄ではないので軽アイゼン装着。

傾斜は緩んでも登路は直線的に伸びている。

赤黒の境界杭が数十米置きについており
それは味噌玉まで絶えることなく続く。
このラインの東は「旧室田町1905ー榛名町1955ー
高崎市2006、西は倉田村1889ー倉渕村1955ー
高崎市2006と変遷した。

尾根上の小さな高みに石宮一基、側面に能面の様な
優しい顔の彫。

こんな林間やヒノキと雑木林の境目などの登路を
登って行く。時々は息切れするような急登も。

野生動物のトイレ、大型ではなく中型なので鹿か?

尾根が分岐しようが曲がろうが、境界杭があるから
全く気を使わないが逆に地形を判断しながら
ルート選択する自由が無く何となく束縛されている
様で窮屈だ。

また登りで少々根負けしそう。

漸く三角点通過。點名・辰ノ口 四等 974.73m

再び似たよな風景の登路を黙々と進むと

味噌玉岩塊の基部に着いた。

目の前に雰囲気のある大岩、でもこんな低い位置に
味噌玉の本体があるわけがなく唯の巨岩。

岩体の左に回って這い上がろうとしたが足掛かり
手がかりが不安で撤退。

右下を調べたら胎内くぐりの様な岩を見つけただけ。

そうなると記憶にあるルートで頂上に出てみる他は無い。
この赤テープから岩の隙間に入り込む。

誰も見ていないから恥も外聞も無く四つん這いで
岩角を這い上がる。それでも米寿の爺イとしては
必死に近い冒険。

チムニー状の所は手がかりも無く帰路に苦戦した。

頂上の一端に辿り着く。

平坦な山頂部分の突端迄見て回ったら標識も無く
ましてや「味噌玉岩」を示す物は何も無い。

周りの紅葉を見ながら休憩しネットで読んだ
練達諸氏の記事を思い出す。

ベテランさんたちの記事でこんなのが気になった。
「更に、先へと歩いていくと、大きな岩の塊が幾つも
現れた。手前の岩に上がったが、落ち着けず、少し下って
、岩の間に入ってみると、眼前が一気に開けた岩場の
テラス状の場所に出た。ここの大きな岩が『味噌玉岩』
の様であるーーー」
更に先へと言ったって先は切れ落ちの断崖なのに」と
ブツブツ言いながらももう一度突端に行った。
眺めは良いが足のすくむような断崖だ。で、諦めて
反時計回りに体を反転させた時、北側に予想もしない
箇所に赤テープがあった。

これは何かあると立木に摑まって少し下ると岩に
張り付く様な細い道が見えた。

左は切れ落ちなので恐々と進むと何のことは無い
巨岩で行き止まり。岩面は足掛かりが少ないので
上れない。

引き返し際に一寸未練たらしくもう一度見たら
なんとその奥にもう一つ岩があり頂点にケルン状
のものがある味噌玉岩に見えた。

兎に角大岩二つの間に入れば良いと思ったが
ルートらしき箇所は一か所のみ。摑まるものが
無いので爺イには危険とは思ったが餌を前にしては
食いつかないわけには行かない。

上の枝に飛びつくつもりでクリヤすると、ドーンと
視界が開けて別世界が眼に飛び込む。岩テラスだ。

で、左を見ると目の前にケルンを戴いた味噌玉岩.
年甲斐も無く「今年一番の感激だな」と独り言。

山頂部への戻りは危険個所は尻をついて慎重に進み
このリボンの下で軽食と大休止。

大満足の本日の爺イ。

あとはゆっくり下山。傾斜がきつい箇所が多いので
林道についたら膝と腿の筋肉がガタガタ。

往路 1時間12分 帰路41分。
帰り道、調子に乗って林道を東に向かったが
残り1km辺りからとてつもないゴロゴロ道て
超低速でバンクを心配しながら漸く抜けた。
四駆オフロードでもないとまともには走れない。
同じ林道が旧行政の違いでこんなに対応が違うとは
今や同じ高崎市なのだから何とかしてほしいものだ。
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63勝41敗7分 祝 リーグ二連覇(10/30現在)
適当な低山が無いか過去の自分の記録やネット情報を
確認していたら爺イとしてはビックリの画像が沢山
見つかった。それは「味噌玉岩」の画像だ。

ここには李ヶ岳への途中で数回行っているし味噌岩だけ
にも行っているが恥ずかしながら「味噌玉岩」はあの
巨大な岩突起全体の事だと思っていた。
古い記録には「その山容、味噌玉を固めたるに
似たるを以って名づく。往昔、榛名神社の在りし
所にして、維新前において老杉・古檜繁茂し
最も神寂たる深山なりしが維新後、濫伐の餘弊は
遂に一帯の原野と化せしめたりー」とあるそうだが
考えてみればあの巨体全体が「味噌玉を固めたるに
似たるーー」とはおかしいと気付かない方が
どうかしていた。だが画像にある「味噌玉岩」本体
を見つけたことは無いからどうにもならない。
そこで早速探索に出掛けることとした。
登山口のある「李ヶ岳林道」の旧榛名町側は最悪の
ダート道でバラストの上を走るようなことになると
判っているので倉淵からの林道終点から入る。
拙宅らからr-29で室田四つ角、R-406に乗り換えて
倉淵を延々と西進、郵便局信号先の「7-11」西側
細道を北上。暫くで「蘭津花の里」が正面の丁字路、

左折して幅広に整備された「榛名西域広域農道」を
走り「榛名の森CC」を過ぎると林道入口。全長5798m。
2006年からは高崎市だが古い「倉淵村長」名の
看板が立つ。

評判通り路面は山岳地の県道並みの舗装路。

少し先の幅広の所に古い木製の鳥居。掲額を見ると
「李ヶ嶽」。榛名山系の「杏ヶ岳」を御神体とする鳥居で、
この広場は、遙拝所として使われていたらしい。。。との事。

約3km強で「始点から2540m」の倉淵の看板。どうやら
此処が榛名町との分担の境目らしい。

やれやれ、境目から先はダート道に替わるのだ。

走りながらフロント越しに見ると小石が一杯。

我慢して始点から2km地点、この少し先が登山口。

目印の「民有林林道開設事業」の表示板。

路の南側にはかって華やかな道標があった「蘭津へ」
の踏み跡が明確についているる

幅広スペースに駐車して登山口を見る。出だしは
まるで崖。

離れて見ても一筋縄ではないので軽アイゼン装着。

傾斜は緩んでも登路は直線的に伸びている。

赤黒の境界杭が数十米置きについており
それは味噌玉まで絶えることなく続く。
このラインの東は「旧室田町1905ー榛名町1955ー
高崎市2006、西は倉田村1889ー倉渕村1955ー
高崎市2006と変遷した。

尾根上の小さな高みに石宮一基、側面に能面の様な
優しい顔の彫。

こんな林間やヒノキと雑木林の境目などの登路を
登って行く。時々は息切れするような急登も。

野生動物のトイレ、大型ではなく中型なので鹿か?

尾根が分岐しようが曲がろうが、境界杭があるから
全く気を使わないが逆に地形を判断しながら
ルート選択する自由が無く何となく束縛されている
様で窮屈だ。

また登りで少々根負けしそう。

漸く三角点通過。點名・辰ノ口 四等 974.73m

再び似たよな風景の登路を黙々と進むと

味噌玉岩塊の基部に着いた。

目の前に雰囲気のある大岩、でもこんな低い位置に
味噌玉の本体があるわけがなく唯の巨岩。

岩体の左に回って這い上がろうとしたが足掛かり
手がかりが不安で撤退。

右下を調べたら胎内くぐりの様な岩を見つけただけ。

そうなると記憶にあるルートで頂上に出てみる他は無い。
この赤テープから岩の隙間に入り込む。

誰も見ていないから恥も外聞も無く四つん這いで
岩角を這い上がる。それでも米寿の爺イとしては
必死に近い冒険。

チムニー状の所は手がかりも無く帰路に苦戦した。

頂上の一端に辿り着く。

平坦な山頂部分の突端迄見て回ったら標識も無く
ましてや「味噌玉岩」を示す物は何も無い。

周りの紅葉を見ながら休憩しネットで読んだ
練達諸氏の記事を思い出す。

ベテランさんたちの記事でこんなのが気になった。
「更に、先へと歩いていくと、大きな岩の塊が幾つも
現れた。手前の岩に上がったが、落ち着けず、少し下って
、岩の間に入ってみると、眼前が一気に開けた岩場の
テラス状の場所に出た。ここの大きな岩が『味噌玉岩』
の様であるーーー」
更に先へと言ったって先は切れ落ちの断崖なのに」と
ブツブツ言いながらももう一度突端に行った。
眺めは良いが足のすくむような断崖だ。で、諦めて
反時計回りに体を反転させた時、北側に予想もしない
箇所に赤テープがあった。

これは何かあると立木に摑まって少し下ると岩に
張り付く様な細い道が見えた。

左は切れ落ちなので恐々と進むと何のことは無い
巨岩で行き止まり。岩面は足掛かりが少ないので
上れない。

引き返し際に一寸未練たらしくもう一度見たら
なんとその奥にもう一つ岩があり頂点にケルン状
のものがある味噌玉岩に見えた。

兎に角大岩二つの間に入れば良いと思ったが
ルートらしき箇所は一か所のみ。摑まるものが
無いので爺イには危険とは思ったが餌を前にしては
食いつかないわけには行かない。

上の枝に飛びつくつもりでクリヤすると、ドーンと
視界が開けて別世界が眼に飛び込む。岩テラスだ。

で、左を見ると目の前にケルンを戴いた味噌玉岩.
年甲斐も無く「今年一番の感激だな」と独り言。

山頂部への戻りは危険個所は尻をついて慎重に進み
このリボンの下で軽食と大休止。

大満足の本日の爺イ。

あとはゆっくり下山。傾斜がきつい箇所が多いので
林道についたら膝と腿の筋肉がガタガタ。

往路 1時間12分 帰路41分。
帰り道、調子に乗って林道を東に向かったが
残り1km辺りからとてつもないゴロゴロ道て
超低速でバンクを心配しながら漸く抜けた。
四駆オフロードでもないとまともには走れない。
同じ林道が旧行政の違いでこんなに対応が違うとは
今や同じ高崎市なのだから何とかしてほしいものだ。
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コメント有難うございます。最近は
遠出が無理になったので気がかりの
近くの山などへ出かけています。
相変わらずご健勝の様で先日の
黒斑山より浅間山の写真は凄かったです。見るだけの楽しみですが。
10才若い私はこの道を辿る自信がありません。味噌玉岩に登る勇気もありません。
先日牛臥山を西尾根から登り、北側のいくつかの尾根と沢筋を降りて見ました。しっかりした道でしたが、沢に沿って降る道は去年の出水のせいか大荒れに荒れていました。自転車でも登れる牛臥山の印象が変わりました。