クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

鏑川七福神一回り H-27-12-17 

2015-12-19 14:11:23 | 伝説・史跡探訪
麻芋の滝からR-18に戻り横川「おぎのや」の峠の釜飯で昼食を済ませて鏑川七福神の
第一として妙義・中の岳神社へ移動するが思ったより距離が長い蛇行道には飽きが来る。


(1)大黒天札所 中之嶽神社 群馬県甘楽郡下仁田町上小坂 1248 



駐車場から見る表妙義は完全に冬支度。



車道に出ると赤い一の鳥居の先に早くも第一号の剣持ち大黒天が金色に輝いている。



日本一と喧伝されるこの剣持ち大黒は高さ20mの巨躯。



右に行けば中之嶽神社



傾斜45度と言われる急階段は百段以上あり、ここを息も切らさず一気に登れれば健脚の
部類と言われるが爺イは中段で一呼吸置どころか数回立ち止まりになる。



正面は大国神社、石段が無理な足弱さんや高所恐怖症の方はここでお参り。



脇道には願い事と氏名を書いた幟が林立していて信仰の深さを物語っている。



直ぐに車上に戻って再び長駆で下仁田へ向かう。


(2)布袋尊札所 松露山 霊山寺 群馬県甘楽郡下仁田町下仁田 716



妙義から南に下って上小坂を経て中小坂でR-254に合流して下仁田市街地へ。
市街地図にこの寺の記載が無いので「下仁田信号」の北側の際どい細道に入って
本誓寺さんに車を停めさせて戴いて徒歩で 霊山寺。
似たような細道を辿って境内に入ると、これは!これは! 始めてみる超モダンと
云いたくなる形式の本堂。



下仁田の鐘と称する鐘楼もこの様子。



この寺の名物は他にもあり塀際にずらりと並ぶ十八羅漢。サムネイル写真はクリックで拡大。





左の塀隅に第二号の布袋尊、この像は「上州七福神」と「鏑川七福神」の二つの七福神霊場を
兼ねていて二役をこなしている。



(3)壽老人札所 宮室山 常光寺 群馬県甘楽郡下仁田町宮室 61 



霊山寺を辞してR-254に出ると目の前は「下仁田信号」、直進して上野村に向かう
r-45に進んで宮室地区を目指し、風口バス停辺から案内看板に従って左折細道。
この道は金剛萱登山の経路に当たるので数回来ており迷いは無い。
再び、車一台漸くの狭い左折道で寺の駐車場。
入り口の六地蔵がお出迎え。



猫を侍らせた像。若しかするとこれが「ペット小僧」と云われる物かな?



石段手前には豪快な不動明王。



観音菩薩は逆光でこんな程度にしか写せなかった。



境内には壽老人は見当たらないのでお寺に頼んで本堂に入らせて戴く。
本堂の中、目指すものは左の最奥に鎮座。



余り接近できないので旧式デジカメのフラッシュが届かずシルエットのみで
残念。お寺さんと暫く鏑七福神の事など雑談して退出。



(4)福禄壽札所 安養山 清泉寺 群馬県甘楽郡下仁田町下仁田 626



又もや、R-254に戻って下仁田高校の反対側に左折して踏み切りを渡るとそこが
広い寺の駐車場。
目の前に豪華な山門。



山門の天井には前後に二枚の天井絵。

 

中には四天王が前後左右に四体。サムネイル写真はクリックで拡大。
仁王が入っていれば「仁王門」、四天王が前後左右に入っていれば「四天門」、
四天王のうち2つが入っていれば「二天門」、随身が入っていれば「随身門」
のように呼ぶと聞いているからこれは「四天門」になるのかな?



境内には供養塔、カメラ設定が前の寺の本堂内の儘だったのでお化け写真。



お堂の中の六地蔵。



鐘楼、中の梵鐘は町の重文で第二次世界大戦の時も供出を免れたとのこと。



山門四天王に続いて二天の守る本堂。



ここでもお寺さんの手を煩わせて本堂に入れてもらう。本堂の祭壇の一部。
福禄壽ご本尊の手前に多数の木彫り七福神。



これが本体だが光届かず再びシルエットのみ。



右隣に木彫りの福禄壽、多分本体もこんな姿だろう。



(5)恵比壽札所 天台宗 榮命寺 群馬県甘楽郡下仁田町馬山 2448



R-254を東進、馬山信号のY字分岐を左に行くと又もや馬山信号。その反対側に
榮命寺。

六地蔵前を通り



山門を潜るがここの山号を勝馬山とも云うのはこの地の産業であった賢馬の飼育と
その売買の繁盛の願いが信仰に結びついたものと云われているとの解説。



境内左に阿弥陀堂とその中の様子。



観音像。



ここも目指すものは本堂の中、お寺に頼んで本堂へ。
二体並んでいるのである資料では恵比寿が二体と書いてあるものがあるが
良く見ると恵比寿は左の像のみ。



その下にこんな張り紙。ユーモアかと思ったがお寺は頗る本気で
「恵比寿を恵美酒と云うのは祭神の功徳により「生涯において美酒に恵まれる」
と云われ、多くの願いのうちでも特に物質的な幸福と金運を授けてくれる守護神と
されているから」との説明。



(6)毘沙門天札所 朗惺山 本城寺 群馬県富岡市富岡 890 



下仁田に別れを告げて富岡に向かう。r-10と交差する「小沢信号」を右折して
富岡市街地へ。上信鉄道の線路を越えて「富岡信号」も直進、次の郵便局の角を
左折、丁字路を右折して左側。丁度富岡東高校の近く。満車の為路傍駐車。
車道から直ぐに山門。



左手に鬼子母神堂。



ここもご本像は庫裡の中、又お寺さんにお願いして撮ったがシルエット止まり。



(7)山名神社 群馬県高崎市山名町1510-1



富岡から最終の高崎・山名までも距離は長い。R-254でひたすら東進、
甘楽町・高崎吉井を通過して藤岡市の「白石」信号で左折、鏑川を渡って高崎市に
入り上信電鉄山名駅付近で左に鳥居があるので車で潜ると上信電鉄線路の手前で
神社の駐車場。

説明板



参道に大きな石碑、(過去の爺イのブログより)



これが「石碑の路」の第一号で揮毫は昭和三筆の手島右郷
(てしま ゆうけい1901年-1987年)。
因みに「古今の三筆」王羲之・鍾繇・張芝、「平安の三筆」空海・橘逸勢・嵯峨天皇
「幕末の三筆」市川米庵・貫名菘翁・巻菱湖、「明治の三筆」中林梧竹・日下部鳴鶴・
巌谷一六 、そして「昭和の三筆」が日比野五鳳・手島右卿・西川寧。

その先に伝説の「太刀割り石」。1600年(関ヶ原決戦の年)、馬場念流中興の祖と
言われる樋口定次が、村上天流との果し合いを控えてこの八幡に祈願した満願の日に
枇杷の木刀で断割ったとの伝説。勿論、試合は定次の勝ち。



神門をくぐり、上信電車の線路の下を通ると山名八幡の掲額。
その先の参道は石段。



参道の様子。




本殿右手に小さな厳島神社、これが鏑川七福神の弁財天。以上で終了。


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