クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

麻芋七滝七福神 H-27-12-17

2015-12-19 14:13:16 | 伝説・史跡探訪
七福神めぐり第二段は「麻芋七滝七福神」、ここは麻芋七滝の父滝までの
遊歩道沿いに建てられているので収録は僅かの時間で出来る。



R-18を西進して横川から旧道に入り僅かの距離で道標により滝駐車場。
「麻芋滝不動尊」の標柱の立つ橋で碓氷川を渡る遊歩道入り口。



案内板があるがこれは滝の案内板なので残念ながら七福神の位置は書かれていない。



橋に向かった背後には早くも第一号の「壽老人」。これに気付かないと一体不足と思って
遊歩道を探し回ることになる。



その右側に不動明王の像。



橋上から碓氷川を眺めると完全に冬景色。



橋を渡りきった小道の丁字路に裏妙義登山用の道標。右の鍵沢コースとはここから南進で
丁須ノ頭に行きそこから反転して北上して「御岳」を経て七滝を辿りながらここに帰着する
反時計回りのコース。左に行く「御岳コース」は時計回り南進で先に御岳、更に南進して
丁須ノ頭で急旋回して鍵沢コース北上で帰ってくるコースだが何れもA級の技量を要するので
爺イにとっては異次元の世界。



遊歩道を進むと左分岐で第二号の弁財天があるのだがその前に「孫滝」を見に行く。
実は目の前の弁財天に直行するとその反対側にある「孫滝」は完全に見逃して
「小滝」とその奥の落差の小さい水流を「孫滝」「小滝」と思ってしまう。
ここに何回か来ている斯く云う爺イもその間違いを犯して「小滝」を「孫滝」として
ブログに書いてしまっている。
弁天池手前30m位に左に行く踏み跡、それを辿るとはっきりした道となって沢に達する。
これが孫滝だが水量は殆ど無い。大体、渇水期の今、滝見する方が無理。



元に戻ると張り出した大岩の下の小さな池の中に第二号「銭洗弁財天」。



良く見ると琵琶を持っているから間違いなし。



此処から池の左縁を回って足場の悪い岩場を越える。



沢筋に降りると小さな滝。推定ではこれが「小滝」。



その上流に小さな落差があるが多分この程度では滝の範疇ではないだろう。



再び、戻って弁天池を通過して遊歩道で山手に向かうと木枠段で急斜面を登る。



登りきった処に東屋、



少し右寄り加減の処に第三号の「布袋尊」。



東屋の左の沢にはこんな滝。順番からすると「自行滝」だが出てくるのが早すぎるから
違うかも。



高い岩の上に第四号の「福禄寿」。



安産岩の胎内潜り。とは云うものの自然の岩洞では無く大岩が岸壁の狭間に
引っかかっている。入り口看板にも胎内くぐりとは表示されていなくて
「安産岩」だったのが頷ける。



高い岩のうえに第五号の「毘沙門天」。



更に進んで小屋風な建屋の手前で第六号の「大黒天」。



そこから先には石像物が集中しているエリア。







やがて沢に掛かるつり橋の「滝見橋」、遥か彼方に麻芋七滝の代表格の父滝が
見えるが今は渇水期なので梅雨時の様な豪快さは無いが40Mの落差は
他の段差程度の滝に比べれば雰囲気は抜群で「滝」の風格を持つ。



更に進むと斜面に最後の七つ目の「恵比寿天」、これで七福神は終わり。



付近に数基の石像物があるがその中に清水寥人の「天眷の 瀧ひっさげて 裏妙義」の句碑。
清水 寥人( りょうじん1920 - 1994)は、小説家で地元の松井田町の生まれ。
国鉄職員として機関士の業務に従事しながら、創作活動を続けた方。



その先から直ぐに御岳への厳しい岩場ルートが始まりで鎖も見える。最初から滑りやすい
急斜面のトラバースなので爺イは眺めるだけ。ただし、この先に行かないと母滝はおろか
祖滝も曾滝にも出会え無いから普通の見学者が見られるのは七滝とはいうものの
孫滝・子滝・自行滝・父滝の四つだけ。第二麻芋の滝も鍵沢コースの途中にあるので無理。



少し戻って岩場を沢に下って父滝に近寄る。



滝壺はこんな感じ。



これで麻芋滝七福神は終わりにしてこんな大岩を見ながら下って駐車場に帰着。



これから「鏑川七福神」の一巡にかかるのだが西は妙義の中の岳神社、東は
高崎・山名町の山名神社と範囲が極めて広いのでここで前編は終わり。
次ページの鏑川に続く。


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