横川駅から熊ノ平駅までの5.9kのアプトの道が開通してからもう二年になるがめがね橋から先には
行った事がないので紅葉見物を兼ねて一寸ハイキング。
全コースとなると長いのでR-18の旧道を進んで「碓氷湖」を基点とする。湖の周辺は未だ緑・黄との
混在で見頃はもう少し先の気配。めがね橋に擬したと云われる「夢のせ橋」が良く見える。
観光バスが数台混じって大分混雑している駐車場に車を置いてアプトの道に向かう。この辺の歴史を
辿ると1884年高崎ー横川開通、直江津ー軽井沢開通、1893年碓氷線として横川ー軽井沢アプト式で
開通。工事期間の犠牲者500名と云われる難所の突貫工事だった。
1961年新線工事完了、1963年アプト式碓氷線廃止、建設以来70年の活動に幕を下ろし
2012年熊ノ平までの遊歩道完成ーーーとなる。
碓氷湖からの最初のトンネルは三号トンネル(78m)、一号・二号は既に通り越している。
二番目は四号トンネル(100m)。
少し長い五号トンネル(243m)を出ると
そこは碓氷第三橋梁の上、通称で「めがね橋」。多くの観光客が展望を楽しんでいる。
爺イも釣られて橋下を見下ろすと丁度数台の観光バスがR-18のカーブを進行中、直ぐ先には
駐車場があるので人の往来も多い。
橋梁を渡りきったところに道標、碓氷湖から1K、これから行く熊の平まで1.2K。ここからめがね橋の
下へは木枠段が設置されている。
車道からのめがね橋の眺め。全長91m、高さ31m、四連レンガ造りで1892年の完成。国重文。
再び、アプトの道への登り返し。
橋梁真下からみると豪快な造りだ。
次の第六トンネル(546m)は実に長く感じた。薄暗いので自分の歩行が時々自然に蛇行する。
第七号(75m)はアプトの道の10トンネルの中で最短。
第八号(92m)
第九号(120m)を出ると
左下の僅かの距離にR-18が走っている。
最後の第十号(103m)の先に
開けた場所があり熊ノ平駅跡に到着。
目立つところに「熊ノ平殉難」の看板。
この事故は1950年、10号トンネル出口で約3,000立方mにおよぶ土砂崩れが発生し線路が埋没。
夜を徹しての復旧作業が直ちに開始された。しかし、翌9日早朝、さらに約7,000立法mにおよぶ
大規模な土砂崩壊が発生し、復旧作業中の職員と駅前にあった職員用宿舎5棟を直撃。
作業中の職員38名と宿舎にいた家族12名の合計50名が死亡、24名が重軽傷を負うという
大惨事となったもの。
隣に母子像。事故後の救出作業で発見された子供を抱いたまま遭難した母子を悼むために建設されたもの。
比較的新しい稲荷神社と熊ノ平神社と書かれた古い杭の脇を進むと
行き止まりの所に11号トンネルが見え、左にはR-18方面に下る道が作られていて駐車場に繋がっている。
昔のプラットフォームが草むらとなって残っている。
引き返しの途中で変電所跡。電化になってから活躍したのだろう。
脇に「アプト式開通の碑」。1893年の事。
10号トンネルを出口側から眺める。左が歩いてきたアプトの道、右の用途は判らない。
小屋で邪魔されて良く見えなかったがトンネルは四つあり右がアプト、左の二つは新線跡。
軽食と小休止で本日の爺イ。
帰路は100%が下り傾斜なので早足。逆から見るトンネル出口周辺が中々の見もの。
右下のR-18号線を再び眺めて
あっと言う間にめがね橋の上、下から観光客が上がってくるので大賑わい。
もう一回、橋下を眺め
北に目を転ずると遥か彼方に橋梁、多分あれが新線跡かもしれない。
やがて碓氷湖に到着、紅葉が出迎えるがこれらは湖畔に植えられた云わば人工的なので
余り興味は沸かない。
時計回りの周回を始めると「坂本ダム」。
本来は1958年度に砂防事業の一環として建設された、高さ28.5メートル、堤頂長74メートルの砂防ダム。
その後、ダム補強工事・管理設備工事・工事用および周遊道路工事を経て、1994年完成。
ダムから碓氷川への放水路。
駐車場方面の眺め。
西側の山の陰が湖面に映える。
「ほほえみ橋」が近くなり
渡り始めるとこれは太鼓橋。この位置は湖の西南端。
遠方に大きな「夢のせ橋」。この辺の紅葉は未だ10日先かな?
「ふれあいトンネル」を潜る。これらの命名者は地元の中学生。
小さな木橋は「峠の橋」。
「夢のせ橋」。やはりめがね橋をイメージしている事は確かだ。湖の北西端。
渡りきって振り返り。湖畔一周コースを辿る人は少ないらしく人影はない。
やがて北岸に到着でアプトの道散策は終了。
車移動で坂本の麻芋(あさお)の滝に寄る。入り口の道標。
説明看板を読むと麻芋の滝とは看板に書いてある七滝のうち、落差40mと称する「父滝」の事で
七滝の総称ではない。その上、案内図を見る限り遊歩道は父滝の位置までしかなく、
遊歩道から見えるのは「自行滝」「父滝」「孫滝」だけで後のは滝の遡上でもしないと見られない位置。
つり橋を渡ると
直ぐに登山用の案内道標。右は鍵沢コースとあるから丁須の頭への直行ルート。左は御岳コースで
滝見はこちらなので左へ。
登山口から木枠段。
ちょっと厳しい傾斜を乗り切ると東屋前を通過。もう左に沢が出てくる。
最初の滝、全く表示物はないが多分これは「自行の滝」。
安産岩の胎内潜り
その先の小屋前を通過すると滝見橋。
橋上から右手を見ると時期的に水量が少ないが「父滝」
橋を渡った所から滝壺への小道を下り近くから眺める。
戻ってくると丁須の頭の道標。
それに従うと直ぐに大岸壁で鎖も見える。
近寄るとここからが御岳ルートの岩場の始まりらしい。飛沫で濡れた岸壁を鎖によって左に
トラバースするようだ。とてもレベルが違いすぎるので此処まででストップで引き返し。
沢にはこんな巨岩がゴロゴロしている。
こんなのも安産岩と云えるかも。
下まで下って銭洗弁財天を過ぎて
左の沢に下りると水はなく涸れているが多分「孫滝」、その上の子滝は見えないので終了とした。
帰りは峠の茶屋で「釜飯」をお土産にして帰宅。14.500歩の丁度よいハイキングだった。
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デジブック 『碓氷湖とアプトの道』
行った事がないので紅葉見物を兼ねて一寸ハイキング。
全コースとなると長いのでR-18の旧道を進んで「碓氷湖」を基点とする。湖の周辺は未だ緑・黄との
混在で見頃はもう少し先の気配。めがね橋に擬したと云われる「夢のせ橋」が良く見える。
観光バスが数台混じって大分混雑している駐車場に車を置いてアプトの道に向かう。この辺の歴史を
辿ると1884年高崎ー横川開通、直江津ー軽井沢開通、1893年碓氷線として横川ー軽井沢アプト式で
開通。工事期間の犠牲者500名と云われる難所の突貫工事だった。
1961年新線工事完了、1963年アプト式碓氷線廃止、建設以来70年の活動に幕を下ろし
2012年熊ノ平までの遊歩道完成ーーーとなる。
碓氷湖からの最初のトンネルは三号トンネル(78m)、一号・二号は既に通り越している。
二番目は四号トンネル(100m)。
少し長い五号トンネル(243m)を出ると
そこは碓氷第三橋梁の上、通称で「めがね橋」。多くの観光客が展望を楽しんでいる。
爺イも釣られて橋下を見下ろすと丁度数台の観光バスがR-18のカーブを進行中、直ぐ先には
駐車場があるので人の往来も多い。
橋梁を渡りきったところに道標、碓氷湖から1K、これから行く熊の平まで1.2K。ここからめがね橋の
下へは木枠段が設置されている。
車道からのめがね橋の眺め。全長91m、高さ31m、四連レンガ造りで1892年の完成。国重文。
再び、アプトの道への登り返し。
橋梁真下からみると豪快な造りだ。
次の第六トンネル(546m)は実に長く感じた。薄暗いので自分の歩行が時々自然に蛇行する。
第七号(75m)はアプトの道の10トンネルの中で最短。
第八号(92m)
第九号(120m)を出ると
左下の僅かの距離にR-18が走っている。
最後の第十号(103m)の先に
開けた場所があり熊ノ平駅跡に到着。
目立つところに「熊ノ平殉難」の看板。
この事故は1950年、10号トンネル出口で約3,000立方mにおよぶ土砂崩れが発生し線路が埋没。
夜を徹しての復旧作業が直ちに開始された。しかし、翌9日早朝、さらに約7,000立法mにおよぶ
大規模な土砂崩壊が発生し、復旧作業中の職員と駅前にあった職員用宿舎5棟を直撃。
作業中の職員38名と宿舎にいた家族12名の合計50名が死亡、24名が重軽傷を負うという
大惨事となったもの。
隣に母子像。事故後の救出作業で発見された子供を抱いたまま遭難した母子を悼むために建設されたもの。
比較的新しい稲荷神社と熊ノ平神社と書かれた古い杭の脇を進むと
行き止まりの所に11号トンネルが見え、左にはR-18方面に下る道が作られていて駐車場に繋がっている。
昔のプラットフォームが草むらとなって残っている。
引き返しの途中で変電所跡。電化になってから活躍したのだろう。
脇に「アプト式開通の碑」。1893年の事。
10号トンネルを出口側から眺める。左が歩いてきたアプトの道、右の用途は判らない。
小屋で邪魔されて良く見えなかったがトンネルは四つあり右がアプト、左の二つは新線跡。
軽食と小休止で本日の爺イ。
帰路は100%が下り傾斜なので早足。逆から見るトンネル出口周辺が中々の見もの。
右下のR-18号線を再び眺めて
あっと言う間にめがね橋の上、下から観光客が上がってくるので大賑わい。
もう一回、橋下を眺め
北に目を転ずると遥か彼方に橋梁、多分あれが新線跡かもしれない。
やがて碓氷湖に到着、紅葉が出迎えるがこれらは湖畔に植えられた云わば人工的なので
余り興味は沸かない。
時計回りの周回を始めると「坂本ダム」。
本来は1958年度に砂防事業の一環として建設された、高さ28.5メートル、堤頂長74メートルの砂防ダム。
その後、ダム補強工事・管理設備工事・工事用および周遊道路工事を経て、1994年完成。
ダムから碓氷川への放水路。
駐車場方面の眺め。
西側の山の陰が湖面に映える。
「ほほえみ橋」が近くなり
渡り始めるとこれは太鼓橋。この位置は湖の西南端。
遠方に大きな「夢のせ橋」。この辺の紅葉は未だ10日先かな?
「ふれあいトンネル」を潜る。これらの命名者は地元の中学生。
小さな木橋は「峠の橋」。
「夢のせ橋」。やはりめがね橋をイメージしている事は確かだ。湖の北西端。
渡りきって振り返り。湖畔一周コースを辿る人は少ないらしく人影はない。
やがて北岸に到着でアプトの道散策は終了。
車移動で坂本の麻芋(あさお)の滝に寄る。入り口の道標。
説明看板を読むと麻芋の滝とは看板に書いてある七滝のうち、落差40mと称する「父滝」の事で
七滝の総称ではない。その上、案内図を見る限り遊歩道は父滝の位置までしかなく、
遊歩道から見えるのは「自行滝」「父滝」「孫滝」だけで後のは滝の遡上でもしないと見られない位置。
つり橋を渡ると
直ぐに登山用の案内道標。右は鍵沢コースとあるから丁須の頭への直行ルート。左は御岳コースで
滝見はこちらなので左へ。
登山口から木枠段。
ちょっと厳しい傾斜を乗り切ると東屋前を通過。もう左に沢が出てくる。
最初の滝、全く表示物はないが多分これは「自行の滝」。
安産岩の胎内潜り
その先の小屋前を通過すると滝見橋。
橋上から右手を見ると時期的に水量が少ないが「父滝」
橋を渡った所から滝壺への小道を下り近くから眺める。
戻ってくると丁須の頭の道標。
それに従うと直ぐに大岸壁で鎖も見える。
近寄るとここからが御岳ルートの岩場の始まりらしい。飛沫で濡れた岸壁を鎖によって左に
トラバースするようだ。とてもレベルが違いすぎるので此処まででストップで引き返し。
沢にはこんな巨岩がゴロゴロしている。
こんなのも安産岩と云えるかも。
下まで下って銭洗弁財天を過ぎて
左の沢に下りると水はなく涸れているが多分「孫滝」、その上の子滝は見えないので終了とした。
帰りは峠の茶屋で「釜飯」をお土産にして帰宅。14.500歩の丁度よいハイキングだった。
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