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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 588 印象度バツグン男 ➊

2019年06月19日 | 1985 年 



「巨人戦は僕の生き甲斐」派手な舞台で完全燃焼するタイガーマスク
木戸選手の活躍はバース選手や掛布選手ほどの派手さはなかったが、とにかくチームへの貢献度は大きかった。プロローグは4月10日の対巨人1回戦。4回裏に阪神は一挙7点を奪う猛攻をみせ巨人を粉砕した。この回の木戸の1号2ランが効いた。河埜選手が何でもないフライを落球し気落ちした加藤投手から一発。木戸は更に8回裏にも2ランと大暴れだった。ちなみに河埜はその後二軍落ちしてオフの契約更改では五百万円の減俸の憂き目に。「あの時、木戸に打たれなかったら俺も違ったシーズンだったかも…(河埜)」と更改後の会見で嘆いた。とにかく木戸は巨人戦になると打ちまくる。1・2号の後も5月19日(後楽園)に加藤投手から3号、6月4日(甲子園)に江川投手から4号、翌5日には西本投手から5号。何と6月5日時点で5本塁打全てを巨人戦で放っていた。

そのせいでこの頃の木戸は「巨人戦以外じゃサッパリなのに全国放送がある巨人戦だけ張り切りおって目立ちたがり屋が」と同僚の平田選手に盛んに冷やかされていた。それに対して木戸は「俺は働き所を心得ているんじゃ」と阪神の漫才コンビの掛け合いはチームのムードを盛り上げていた。打撃以外でも巨人戦でハッスルしていた。ある試合で頭部近辺にビーンボールまがいの投球をされると山倉捕手とあわや取っ組み合いの場面となり、両軍ベンチから選手が飛び出し乱闘寸前となった際も主役を演じた。首脳陣からの信頼も厚い。8月にファールチップを右手小指に当てて登録抹消になったが当時を振り返って吉田監督は「アイツが怪我をした時は拙いと思った」と。攻守ともに印象度はNo,1だ。



多忙のオフが今季の川端の活躍度を象徴している
選手がどれくらい活躍したか分かるのがシーズンオフ。色々な所からお声が掛かるのだ。その点で昨季の1勝から今季は11勝7敗7Sと活躍し、引っ張りダコなのが2年目の川端投手で暮れの12月末までスケジュールがビッシリ。昨年のオフはプロ野球選手の歌合戦に呼ばれたのが唯一の仕事。しかも本人によれば「お情け」の出演だったそうで、家にいてもやることがなく暇を持て余したので友人たちと長野県にスキーをしに行ったら貸しスキー店で「29cm」の靴は無いと言われ、仕方がないので子供用のソリで遊んでいたとか。ところが今年は一転してまるで別人のような忙しさで東奔西走の毎日を送っている。

「忙しいということは本当に素晴らしいことですねぇ(川端)」充実した1年だった。入団時は即戦力と言われて10勝は出来ると期待されたが僅か1勝に終わり、大学もプロ入りも同期で「負けたくない(川端)」とライバル視していた池田投手(阪神)に大きく水を開けられた。今季も必ずしも平坦な道のりではなかった。シーズン序盤は二軍落ちし、一軍昇格は5月になってからだった。二軍にいた間にカムストック投手(巨人)のスクリューボールを自分なりに研究して体得したり、同僚の小林投手のパームボールを軸にした投球を参考に " バタボール " を開発して5月6日の大洋戦でプロ初完投勝利に繋げた。以降はトントン拍子で11勝7Sの働きで古葉監督に「200%の働き」と評価された。

昨年、法大の後輩でもある小早川選手が新人王に選ばれた時は「彼には華があるけど僕にはない。新人王なんてとてもとても(川端)」と言っていたが見事に新人王を掌中にした。「今日(新人王発表日)はゴルフをしていましたけど正直、気になってプレーに集中できず散々なスコアでした」と発表当日のコメントは川端の一見穏やかそうな表情の裏にある秘めたる闘志を表していた。今季の広島の重大ニュースのトップが古葉監督の勇退ならば2位は川端の躍進だろう。12月27日に故郷の徳島にある新聞社が主催するパーティーが仕事納めとなる予定だったが急遽30日にも仕事が入るお忙氏ぶり。「年俸がグンとアップするんだから何か奢れって言ったら『OK任せとけ』だって」と川端と同期入団の伊藤選手は明かした。



来季へパワーアップ!吉村の成長こそがカド番王巨人のカギを握る
公約の130試合出場こそ逃したが初の規定打席に到達し打撃10傑入りの3位(3割2分8厘)、出塁率も最後の最後でバース選手(阪神)に抜かれたものの2位になるなど文句なしのシーズンだった吉村選手。来季の年俸も87%アップの二千八百五十万円で更改し、後楽園MVPに選ばれ百万円のボーナスをゲットするなどバラ色のオフを送っている。実績を残せば朗報も付いてくる。合宿所からの独立が球団史上最速で認められて世田谷区内にマンションを購入し、愛車もベンツに乗り換えた。更には来季から背番号が『7』になる。「来季こそ130試合出場を果たしたい。そして夢はでっかく首位打者です(吉村)」と早くも目標を掲げるあたりは自信の表れだろう。

その自信にはしっかりとした裏付けがある。今季の吉村は時間の許す限り後楽園球場で早出の特打ちをしてきた。勿論、合宿組の若手選手に課せられたノルマやよみうりランド室内練習場での打ち込みを終えてから更に自分に課した練習だ。また神宮や横浜などビジター試合の時は多摩川の室内練習場でチームメイトも呆れるほどの打ち込みをしてきた。それらが今日の吉村を支えている。「入団した頃は手のひらから血が噴き出して風呂に入れない時もあった(吉村)」そうで手のひらにテーピングをして入浴した逸話も残っている。高卒4年目にして巨人のレギュラーを確保した裏にはそれだけの努力があったのだ。

来季はPL学園の後輩の桑田投手も同じ巨人のユニフォームを着る。「彼は彼。僕は僕です」と一見突き放しているようだがそうではない。巨人のみならず球界の最高峰を目指す吉村にとってこれからが正念場であることを自覚しての言葉である。「課題だった左投手に対しても段々自信がついてきた。体が開かないように、ボールに向かっていけるようになってきた(吉村)」と頼もしい。原選手の伸び悩み、中畑選手の限界、そしてクロマティ選手も来季で契約が切れる。いよいよ吉村の時代がやって来る。「ホームランは最低20本は打ちたい」とパワーアップも自分自身への課題として挙げる吉村に欲は尽きない。吉村の成長こそがカド番・王巨人のカギを握る。

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