コイと恋でお金も来い!オレ、エンターテイナー欠端だ
今季はカープキラーの名を欲しいままにし、チーム二番目の9勝をマークした欠端投手。周囲から " ザ・カケハタ " と呼ばれるエンターテイナーに「お願いだから黙っていて欲しい」と懇願されたことがある。クジラ番記者が合宿所の部屋を訪ねた時、乱雑に散らかった机の上にポツンと写真立てが置かれてあった。無類の親孝行で毎月10万円を両親に送っている欠端なので家族の写真かなと目をやると、そこにはニッコリと微笑む可愛い女性が写っていた。事情を察した記者は無粋な質問はせず欠端を見ると顔を真っ赤にしていた。結婚もしていないので内助の功というのもおかしいが今季の欠端の活躍とその女性は無縁のものではないと直ぐに分かった。
今季はプロ入り最高の9勝をマークし、そのうち5勝を広島戦で稼いだカープキラー。恋とコイの両手に花の1年だった。「自分の投球をすれば打たれない、という事じゃないですかね。広島だからと意識はしてませんよ」と勝つたびに欠端は繰り返し言っていた。特に7月10日の試合は見事だった。この東北遠征シリーズではご当地の盛岡で故郷に錦を飾った。この前日の試合でエース・遠藤投手が延長10回を投げ抜いたが打撃陣の拙攻もあって1対1の引き分けに終わり、「今季で最も頭に血が昇った試合だった」と近藤監督が振り返る翌日の試合に欠端は登板して勝利した。「欠端のお蔭であの引き分けが無駄にならなくて済んだ。欠端サマ・サマだよ」と近藤監督は話す。
試合には欠端が生まれ育った岩手県福岡町からバス20台を連ねて大応援団が駆けつけた。人口2千人の町のほぼ半数近くが欠端を応援しにやって来たのである。一塁側スタンドからオラが町の英雄に大声援を送る風景は甲子園球場の高校野球のような大騒ぎだった。結果は完投勝ち。スタンド以上に欠端も興奮し、花束を格好よくスタンドへ投げ入れて渾身のガッツポーズを決めた姿は今季印象度ナンバーワンに相応しい。時は過ぎ、いま欠端は球団と来季の年俸を巡って熱き戦いの真っ最中だ。希望は倍増の一千四百万円。「球団には倍増は難しいと言われました。 " 難しい " けど可能性はゼロですか?と聞いたら、そういう言葉尻を取るのはヤメロと怒られました。でも諦めませんよ(欠端)」と今度は粘投宣言だ。
主砲・谷沢を慌てさせた実力者。今季大活躍した川又の背中には努力の文字がキラリと輝く
12月3日、川又選手の結婚披露宴の会場で挨拶に立った谷沢選手は「今シーズンの川又君の活躍は二度も怪我をして欠場した僕のお蔭です」と自嘲気味に笑った。同様の言葉は同じく怪我に悩まされた大島選手からも出た。鈴木球団代表は昨年の契約更改でチーム唯一の減俸となった川又を引き合いに出し「給料を下げられた川又君が意地と努力で今季の好成績を残した。感無量です」と思わず絶句した。開幕前は川又に注目する人は少なかった。一塁には谷沢がデンと鎮座し、西武へ移籍した田尾選手の後釜には藤王選手が事実上決まっていた。" 王二世 " と呼ばれていた川又だったが、多くの二世候補選手のように川又もいつの間にか騒がれなくなっていた。
そんな川又が一気にブレークした。確かに谷沢の故障欠場や藤王の伸び悩みなど外部の要因に助けられた印象もあるが、本人に活躍できる実力があったことは間違いない。6月頃から右翼の定位置を確保し7月に谷沢が倒れると一塁も兼任した。怪我で定位置を明け渡した谷沢は「一時の好調さでレギュラーが務まるほどこの世界は甘くない。必ず試合に出続ける苦しさを味わうことになる。まぁ俺が戻って来るまで頑張って欲しいね」と当初は余裕を見せていた。山内監督も「(川又の)課題は持続力」と3割2分を超す打率がいずれは落ちてくると考えていた。好調さは長くは持たないと思っていたのは現場首脳や同僚、更にはフロント陣にもあっただけに、披露宴で賞賛祝辞が続出したのだ。
周囲の懸念をよそに9月4日にはプロ入り初めて規定打席に到達し打率.314 で打撃10傑の7位にランクインした。遅れて来た " 王二世 " はその後も好調を維持しシーズン終盤まで打率3割台をキープしたが最終的に2割9分台に落としてしまいシーズン終了。最後の最後にプロの厳しさ、悔しさを痛感することになる。当初は余裕を見せていた谷沢だが「来年は川又を追い抜かなければレギュラーに戻れないと覚悟している。プロ野球とはそういう世界」と今では川又をライバルと認識している。昨年の契約更改で唯ひとり減俸となった川又は見事に蘇った。絵に描いたような復活劇の裏には、月並みだが川又自身の努力が存在していたのは間違いない。
男は黙って勝負した八っちゃん。ベストナインを手土産に故郷に錦を飾ります
プロ入り16年目にして金字塔を打ち建てた男がいる。プロ入り初の打率3割、ベストナインにも選ばれた八重樫幸雄・38歳。12月4日の契約更改で一千八百万円から二千九百五十万円にアップ。控え選手以外のレギュラークラスでは上昇率はトップだった。打率.302・13本塁打に相応しい金額だった。春先の4・5月は右肩痛に悩まされたが誰にも言わず身体にムチ打って出場し続けた。その甲斐あって2年連続で球宴出場も果たした。「古葉監督が推薦してくれて出場できた。やっと16年目にして僕の力が認められた気がする」と八重樫は訥々と振り返った。東北・宮城の出身で朴訥とした喋り方で派手な仕種もない。地味だが一歩一歩、牛歩の如く着実に力を付けてきた。
お馴染みのバッターボックスで体を思いっきり開く変則打法は近視性乱視という左右両眼のハンデを克服する為に自身で考えた末の苦肉の策だったが、今ではそのユーモラスな打撃フォーム姿を見に来る多くのファンを楽しませている。オープンスタンスで大きなお尻をブルンッと振って相手投手を威嚇する八重樫を土橋監督は「ハチは勝負強い。一発もあるし頼もしい」と絶賛する。広島遠征の時、連敗中とあって誰一人として夜の街に出かける選手はいなかった。そんな暗いムードを一掃するのはいつも八重樫だった。「さぁクヨクヨしたって仕方ない。パァ~と呑みに行こうぜ」と仲間を誘い、選手会長としてチームの気分転換に一役買った。
苦節16年。大矢明彦氏の陰に隠れてなかなか活躍できずにいたが一気に開花した。本人は「今がピークだと思うよ。でもね俺は40歳まで現役を続けるつもりだよ。若い連中には負けんよ」と分厚い胸板を叩く。正捕手の座を争う芦沢選手や秦選手は「八重樫さんは若い。気迫も凄くて…」とお手上げ状態。ヤクルト捕手陣で審判に注文をつけるのも八重樫が一番多い。大声で「おいっアンパイア、どこに目がついてるんだ!」「◆◆(相手打者)に気を使ってるのか!」など毒つく事もしばしば。気性も激しいが優しい家族思いな所も勿論ある。家に帰れば2人の娘の優しいパパだ。また今でも宮城の実家への仕送りも欠かさない心優しい八っちゃんである。
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