優勝目前と言われながら雨で順延された日程の為、なかなか胴上げが出来なかった阪急の中で山田久志投手は耐えに耐えていた。昨年のMVPに続き今年の前期MVPも確実視されている。王者阪急が最も苦しんだ今季をモノにしたのは彼の怪腕によるところが大きい。
苦しみを乗り越えた " 秋田ケン " の粘り
「イワテケン」のCMが受けているが山田投手は岩手県のお隣の秋田県出身である。現在セ・パ両リーグにいる秋田県出身者は山田投手の他に大洋・三浦捕手、近鉄・村田投手がいるだけだ。山田投手の負けず嫌いは雪に閉ざされた能代高時代の下積み生活から端を発している。今季の阪急は開幕前の予想とは違い苦戦の連続だった。それというのも足立投手が脇腹を痛め山口投手が乱調で投手陣の足並みが揃わなかった為である。「こうなったらヤマには悪いが毎試合投げてもらわんと勝てんワ」ただでさえせっかちな上田監督は優勝へのマジックナンバーがなかなか減らない現状を嘆いた。そんな投手陣の中で山田投手の踏ん張りが最後になって阪急に栄光を呼び込むことになる。
「こんな悪天候でよく試合をやるもんだ」と両チームの関係者が血相を変えて怒った6月19日の神宮球場のロッテ対阪急戦。昼過ぎまで雨が降りグラウンドは泥沼状態。人工芝の後楽園球場ならともかく、近くの川崎球場の大洋対ヤクルト戦は早々と試合中止が決定した。「アッ、やばい!」と上田監督が三塁側ベンチの椅子から思わず立ち上がったのは6回裏無死一・二塁の場面だった。山崎裕選手の送りバントの処理をした山田投手がぬかるんだグラウンドに足をとられて体を捩じるように転倒したのだ。だが周りの心配をよそに山田投手は何事もなかったように後続を抑えて9勝目をあげると同時にプロ入り通算1000奪三振を達成した。
「やっぱりヤマは違う」と上田監督は感心しながらも、雨中での試合続行を強行したことを酷くなじった。もしもあの時、山田投手が怪我をしていたらと思うと冷汗が出たそうだ。それほど阪急投手陣の台所事情は苦しかったが、さすが昨年のパ・リーグMVPだけのことはある。3年連続で開幕投手を務め今年は南海を相手に延長戦を制して勝利。昨年は前後期ともに優勝決定の試合は山田投手が登板し締め括った。山口投手の存在も大きいが今年も阪急投手陣の大黒柱は山田投手である。今季から前後期ごとに新設されたMVP。前期は山田投手が選ばれることは確実だ。
ケガに強い " 名選手 " のパターン
前期優勝までの道のりは厳しかった。南海が開幕ダッシュに成功し、次いで近鉄が追い上げて一時は首位に立った。開幕前に本命視されていた阪急が首位になったのは5月下旬だった。阪急の躓きの原因は続出した故障者。ただし故障といっても選手個人の不注意が原因の怪我も多かった。山口投手は遠征先の福岡の宿舎の階段で足を踏み外して足首をねん挫した。加藤秀選手は他の選手が素振りをしていたバットが足に当たり負傷した。マルカーノ選手はよそ見をしていて打撃練習の打球が顔面を直撃した。プロ野球選手は不注意な怪我を恥としなければならない。足が痛い、肩やヒジが重いといって試合を休んだり成績不振の理由にする選手が最近とくに多い。
山田投手は怪我や故障があっても成績不振の理由を怪我のせいにはしない。高知キャンプでグラウンドでダッシュ練習をしていた山田投手が急にしゃがみ込んでしまった。左大腿部筋症、つまり肉離れだった。「疲れがたまると同じ箇所を痛めるもんですね。去年もオープン戦で左足に肉離れを起こして1週間苦しんだもんですわ」と残念がっていたが、短期間で克服し開幕後は手薄な阪急投手陣を1人で背負って頑張り通した。そんな山田投手も7月の誕生日で29歳になる。選手としてはそう若くはない。だからこそ体調管理には人一倍気をつかっている。若い頃は登板前日に深夜まで飲み歩いていた酒豪も今や嗜む程度だ。
目標は再び打倒巨人
前期優勝、前期MVP獲得となれば次なる山田投手の目標は夢の球宴オールスター戦での活躍だ。過去5年連続出場・6試合登板・3勝の記録を残しているが、今年は大きな狙いがある。セ・リーグは多くの巨人勢の出場が予想されるが山田投手は巨人選手との対戦を日本シリーズに役立てたいと考えている。何故なら山田投手と巨人は日本シリーズでの因縁があるからだ。山田投手が最も悔恨の思いを抱いているのが昭和46年の日本シリーズ。1勝1敗で迎えた第3戦(後楽園)、1点リードの9回裏に王選手に逆転3ランを浴びサヨナラ負け。あの時以来、山田投手の負けず嫌いの性格が一層深まったといわれている。
昨年の日本シリーズで山田投手は巨人相手に4試合に登板したが1勝2敗。失点14・防御率 5.14 と満足出来る成績ではなかった。それだけに「オールスター戦で巨人勢を抑えて秋の日本シリーズで思い切り活躍したい(山田)」というのが今の目標だ。過去の日本シリーズでは昭和50年の対広島戦は阪急は日本一になったものの、最優秀選手には新人だった山口投手が選ばれた。自分が選ばれなかった悔しさでヤケ酒をあおり野球から足を洗うとまで言い放った。その時は幸枝夫人に「男なら男らしく、やることをやってから文句を言いなさい」と諭されて心を入れ替えて練習に励むようになった。
数々のタイトルを手にしてきた山田投手だが足りないのが日本シリーズの最優秀選手賞である。前述の昭和50年に続き翌51年の日本シリーズもチームは日本一になったが最優秀選手賞は福本選手が選ばれた。福本選手と山田投手は昭和44年プロ入りの同期である。ポジションこそ違うがライバルとして互いにしのぎを削ってきただけに悔しさも倍だ。「アンダースロー投手は概して技巧派が通念だ。しかし山田投手ほど本格派のアンダースロー投手は見たことがない。真っ向勝負のオーバースロー投手と何ら遜色のない力強さには驚かされる。足腰が人並み以上に強いせいだろう。本人の精進ぶりに頭が下がる」とかつての大投手・村山実氏も絶賛する。
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