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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 752 オバQ

2022年08月10日 | 1977 年 



もう田代富雄(大洋)の大当たりをバカ当たりだという人はいない。20号一番乗り。王選手も「これは本モノ」と驚嘆しきりとか。20号が飛び出した時、田代のバットに新しいホームラン王への希望の星が光りはじめた。

特大19号に王の驚きとある因縁
6月11日、川崎球場で行われた対巨人12回戦。大洋は試合には負けたが田代選手は6回裏に19号本塁打を放ち、次の打席でも右中間にセ・リーグ一番乗りの20号を連発した。その時、一塁を守っていた王選手は天を仰ぐ素振りを見せた。先に20号到達されたのも勿論だが、19号の当たりが度肝を抜かれるくらい遠くへ飛んだのだった。田代が放った打球はバックスクリーンを越えてスコアボードを直撃する特大本塁打だったのだ。スコアボードの下には売店があるが、そこの店員は「てっきり外野スタンドのファンがふざけてボールを投げ込んだと思った」と田代の一発に今でも信じられない様子だ。

試合後の王は「いや~久しぶりにあんなデッカイ一発を見たよ」と大きなギョロ目を更に大きくさせて感嘆の声を上げた。つい最近まで田代の怪力ぶりについて報道陣から聞かれても頑なに無関心ぶりを装っていたが、この一発を機会に目の色を変えたのは事実だ。王自身がバックスクリーン越えの本塁打を放ったのは昭和39年の国鉄戦(後楽園球場)の半沢投手から。24歳で3回目の本塁打王になった年だ。「僕はホームランを打ち始めた頃は無心状態で野心も無かった。若さの勢いでタイトルを獲った感じ。今の田代君にもあの時の感じがあるね」と王は過去の自分と田代を重ね合わせる。

王にしてみればこれが5本や10本であれば田代は時の勢いと余裕をもっていた筈である。だが20本塁打まで先を越されたら意識せざるを得ない。事実、昭和37年から本塁打王を続けていた王が田淵選手(阪神)にタイトルを奪われた昭和50年は初めて20号一番乗りを田淵に許した。ホームランダービーを突っ走る田淵に焦りを感じた王は本塁打を狙う強引な打法となりスランプに陥った。この年の田淵は59試合目に20号を放ったが、今年の田代は50試合と田淵を上回るペースで本塁打を放っている。今年の田代の活躍が再び王を焦らせ、田代にとって本塁打王への道が開きつつある。


自分で発見したスランプ脱出法
田代の本塁打王を予見させる材料は盛り沢山だ。その最大のものがスランプ脱出法だ。22歳の若さで別当監督に抜擢されて今季は常時出場を続けている。毎試合出場していれば良いことばかりではなく悪いことも起きる。5月末の広島戦でタイムリーエラー、6月4日の対広島戦(札幌)では再びエラーをして試合に負けた。翌日の試合でもチームは勝利したものの田代はエラーを犯した。初めてやって来た打撃以外のスランプで精神的に落ち込み不眠症になってしまった。やがて打撃面にも悪影響が現れる。6月7日からの対中日2連戦(秋田)ではチャンスに凡退してチームは連敗した。

「試合に負けたのは僕の責任。いったいどうしたらいいんだ…」と田代は宿舎のベッドに横になり頭を抱え込んだ。「何かバーッと気分転換でもするか。そうだト〇コ風呂に行って腰を軽くするか」と少々ヤケ気味に下ネタを飛ばしたりした。だが実際に田代がとった行動は違った。秋田から帰京した10日、川崎球場で延々2時間も打ち込みを行なった。翌11日は巨人戦が予定されていたが昼には球場入りしてまたも打ち込んだ。2日間で500球を越える特打を行なったのだ。左手の爪が割れて血が滴り落ちた。「イヤ~疲れたよ。でもこれで余計なことを何も考えず試合に集中できそう」と田代の顔は清々しかった。

何を隠そうこの日のナイターで8試合ぶりに19号・20号を連発して王を驚嘆させたのだ。試合後のインタビューで田代は「分かった。分かったんですスランプの脱出法が。猛練習以外ないんです。あれこれ考えるより先ず打ちまくる。そうすりゃ疲れる。疲れたら余計なことは考えなくなるし、よく眠れる。これなんですよ」と普段の無口を一転してまくし立てた。王がスランプに落ち込んだ時に取る方法が打ち込みだった。長嶋や歴代の名選手が脱出の為に選んだのも猛練習だった。田代も先輩選手の逸話を聞いてはいたが、自分が実際に体験して会得したスランプ脱出だった。開眼した田代の瞳が以前にも増してキラリと光ったのは当然だった。


親、姉妹みんなで住める大きな家
趣味らしい趣味が特にない田代だが、唯一の楽しみが車を運転することだ。「いま乗っている車はフェアレディZなんですが、最近ちょっと手狭に感じるようになって。なので中古でもいいのでクラウンかセドリックみたいな大きな車に買い替えようと考えているんです」と明かす。それこそ今年本塁打王のタイトルを獲れば年俸は倍どころか3倍に増えるのも夢じゃない。そうなれば車も中古車でなくピカピカの新車を買うことが出来る。実は田代には車以上にデッカイ夢がある。それは大きな家を持つこと。敷地が50坪や100坪どころじゃない。少なくとも200坪を超える大邸宅に住むのが夢なのだ。

「オフに麻布にある監督さんの自宅にお邪魔して驚いたんです。何て言ったらいいか、とにかく凄いんです。それも麻布でしょ、ああ俺もこんな家に住みたいと心底思いました」と田代は家に対する憧れを吐露した。田代は父親を高校2年生の時に亡くし、母親と姉・妹の4人家族。年俸360万円に満たない薄給の中から毎月10万円を実家に仕送りしている。そんな大きな家が必要なのかという声に田代は「勿論お袋と一緒に住むんです。姉や妹が結婚して旦那さんが一緒に住みたいと言えば同居してもいいし、万が一に別れるようなことになっても安心して戻って来られる大きな家。いつの日かそんなデッカイ家を持ちたいと願っています」と。

生活派というか田代の本塁打にはこうした庶民的な願いが込められている。20号一番乗りを果たした今、その目標に一歩近づいたが田代本人は「1打席1打席を大事に、そしてただ思いっきりやるだけ。無心でやるだけです」と大騒ぎをする周囲に惑わされることなく平常心を保つよう心掛けている。もし本塁打争いで王に勝って念願のタイトルを獲ったら、巨人ファンも王ファンも心から拍手を送ってほしい。それは王の出現以降、久しく途絶えていた本物の怪物の誕生を意味するのだから。

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