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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 769 身内の造反

2022年12月07日 | 1977 年 



応援団にまで見放された中日の内情。遂にここまで落ちた中日ドラゴンズ。闘志なきゲームぶりに敗戦街道を転がり続ける…

応援団から三くだり半
尾張名古屋が冷めている。熱狂的な地域ナショナリズムに支えられている中日ドラゴンズが応援団から見放された。6月22日午後2時、名古屋市栄町にある中日の球団事務所に2人の男が現れた。声なき声を代表する中日ドラゴンズ私設応援団の団長と副団長だ。中日球団始まって以来の出来事、恐らく日本のプロ野球史上初のショックが中日を襲った。球団職員を前に「常にドラゴンズに愛着を持つ我々だが、今年は開幕からずっと試合内容が酷い。実力がありながら闘志のない試合ぶりに我々は6月24日から2週間、応援を中止する」と宣言した。ただ弱いから応援しないというのではない。闘志なき試合ぶりにとうとう堪忍袋の緒が切れたのだ。

ドラゴンズには地元だけでなく関東や関西にも応援団が存在する。名古屋には中日会・朝一会・中日狂団。東京に東京中日会、大阪に関西中日会、浜松に浜松愛好会の計6応援団。この6団体が揃って応援を拒否したのだ。声明文を持参した地元中日会副団長の大岡英之さんが球団の宮岸常務に手渡した。宮岸常務は「どうもすみません」と神妙な面持ちで受け取った。ただし東京の中日会は団体としての応援は控えるが個人での応援は続けるという。「中日が勝てない時こそ応援する。負けて悔しいけどファンとして応援せずにはいられない」と都内在住の熱狂的なドラキチの小高仙次さんは言う。


なんとかしろ!の声もむなしく…
小高さんは今回の声明が出された日の前々日、6月20日の巨人戦が行われた後楽園球場にいた。中日は0対13で惨敗。人工芝になった後楽園球場で昨年から続く連敗は「17」になった。「あの日の後楽園球場では中日の球団旗が逆さまに掲揚されていた。すぐに球場側に抗議して直してもらったけど、こんなに負けてばかりでは情けなくて文句を言う声に力が入りませんでした」と当時を振り返る。ちょうどその頃、中日新聞の本社では役員会と株主総会が開かれた。マスコミはこれを機に球団トップの更迭か与那嶺体制の見直しがあるのではないかと注目した。だが両会議で話題にこそなったが何も手は打たれなかった。

「社長が『誰か私ならドラゴンズをこう改革するという人はいませんか?』と聞いたが発言する人はいなかった。内心みんなもう手遅れだと思っているんじゃないかね」とある役員が吐露した。今の中日はこうした何とかしろ!という人は多いけど自ら火中の栗を拾う人はいない。小山球団社長(中日新聞相談役兼務)も何も手は打っていない。ただ見守るだけでチームが腐乱して朽ち果てるのをただ待っているという情けない状態なのである。


唯一の策は負け続けるのみ?
名古屋の応援団に所属するある人が言っている。「もう今年は優勝とかAクラスとか我々は期待してませんよ」「せめて2~3年後にこの選手は楽しみだなぁというような若手選手を育てて欲しい」「負けても猛烈なハッスルプレーをしてくれるならいい。最善を尽くしてくれってことです」「もう子供たちがドラゴンズから離れていってますよ。子供は敏感、欺せませんよ」などなど愚痴のオンパレードだ。昭和50年の長嶋巨人は球団史上初の最下位になり今の中日より酷かった。だが巨人ファンは巨人を見捨てなかった。

どうしてだろうか?長嶋監督が監督1年目で経験が無かったから。V9の後で世代交代が遅れてベテラン選手は衰え若手が育っておらず戦力的に明らかに落ちていたから。負けてもマスコミは巨人の話題を提供し続けていてファンは明るい希望を持てたから。猛練習をしていたから、など巨人ファンの不満はある程度ガス抜きが出来ていたのが見捨てなかった理由であろう。一方、今年の中日は与那嶺監督は経験不足の言い訳はできない。戦力は落ちたのではなく個々の選手がレベルアップを怠っていたのが不振の原因。地元のマスコミは目先の勝ち負けばかり報じて将来への展望を示していない。

どうせ応援団に見放されるならこの際、徹底的に負けたらどうだろうか。負けるなら破れかぶれで怖いモノはない。思い切ったプレーをして惨々負けろ。負けることを売りにしたかつての大リーグNY・メッツみたいなチームが日本にあっても良いではないか。一番嫌われるのは中途半端な投げやりな姿勢だ。あえて言う。中日ドラゴンズよ思い切って負けろ!



# 784 暗雲中日 - Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

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