
ここ数年の阪神タイガースはAクラスの常連で優勝争いに絡むなど強くなりましたが'70 ~'80 年代は
低迷期でBクラスに沈むことも珍しくありませんでした。後藤新監督は放任主義を掲げキャンプの段階
から選手の自由にやらせていて、周囲の懸念する声にも耳を貸さず開幕を迎えました。開幕ダッシュを
宣言しますが開幕巨人戦は2連敗、次のヤクルト戦で初勝利を上げるも2戦目はサヨナラ本塁打で負け。
1勝3敗で甲子園に戻り大洋戦で建て直しを図りますが3タテを喰らい1勝6敗で早くも最下位に沈みます。
この思わぬスタートに後藤監督は、まだ始まったばかりなのに非常事態宣言をして主力投手の総動員を
命じますが2勝目を上げたのは開幕から12日目のことでした。結局 この年の阪神は球団初の最下位と
なりました。
しかし不思議なことに球団内部から監督批判の声は聞こえてこず、むしろ同情論が出ました。「これはね、
後藤監督誕生のいきさつを皆が知っているからだと思いますよ。監督が担ぎ出されたのは吉田前監督が
不人気でチームの和が問題となり、それを浄化するにはクマさんが最適だということで就任を要請された。
采配の手腕・戦術・野球理論は二の次、勝てなくても文句は言えないのです」と内情を知る人は語ります。
球団フロント同様に選手達からも監督擁護の声が大勢でした。「開幕ダッシュは失敗したけどまだ大丈夫
5月には巻き返せるよ、慌てなさんな」(田淵) 「調子はいいよ、そのうち勝てるよ ツキがないだけ」(古沢)
チーム内に危機感はなく、ぬるま湯にドップリ浸かっていました。余談ですが田淵・古沢の2人はこの年の
オフに誕生した西武にトレードされました。
阪神の本当の暗黒時代はこの後にやって来ます。 '85年に日本一となり阪神フィーバーは頂点を迎えますが
'95年から '01年の7年間で4年連続を含めて6回も最下位になりました。今や関西地区だけでなく日本全国に
ファンがいる阪神だけに真弓新監督も少しの負けで大騒ぎされるでしょうから大変です。
低迷期でBクラスに沈むことも珍しくありませんでした。後藤新監督は放任主義を掲げキャンプの段階
から選手の自由にやらせていて、周囲の懸念する声にも耳を貸さず開幕を迎えました。開幕ダッシュを
宣言しますが開幕巨人戦は2連敗、次のヤクルト戦で初勝利を上げるも2戦目はサヨナラ本塁打で負け。
1勝3敗で甲子園に戻り大洋戦で建て直しを図りますが3タテを喰らい1勝6敗で早くも最下位に沈みます。
この思わぬスタートに後藤監督は、まだ始まったばかりなのに非常事態宣言をして主力投手の総動員を
命じますが2勝目を上げたのは開幕から12日目のことでした。結局 この年の阪神は球団初の最下位と
なりました。
しかし不思議なことに球団内部から監督批判の声は聞こえてこず、むしろ同情論が出ました。「これはね、
後藤監督誕生のいきさつを皆が知っているからだと思いますよ。監督が担ぎ出されたのは吉田前監督が
不人気でチームの和が問題となり、それを浄化するにはクマさんが最適だということで就任を要請された。
采配の手腕・戦術・野球理論は二の次、勝てなくても文句は言えないのです」と内情を知る人は語ります。
球団フロント同様に選手達からも監督擁護の声が大勢でした。「開幕ダッシュは失敗したけどまだ大丈夫
5月には巻き返せるよ、慌てなさんな」(田淵) 「調子はいいよ、そのうち勝てるよ ツキがないだけ」(古沢)
チーム内に危機感はなく、ぬるま湯にドップリ浸かっていました。余談ですが田淵・古沢の2人はこの年の
オフに誕生した西武にトレードされました。
阪神の本当の暗黒時代はこの後にやって来ます。 '85年に日本一となり阪神フィーバーは頂点を迎えますが
'95年から '01年の7年間で4年連続を含めて6回も最下位になりました。今や関西地区だけでなく日本全国に
ファンがいる阪神だけに真弓新監督も少しの負けで大騒ぎされるでしょうから大変です。
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