Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#47 名投手列伝 ②

2009年07月18日 | 1978 年 
今回は「権藤・権藤・雨・権藤」の権藤博投手です。稲尾が42勝の日本記録を達成した昭和36年に
権藤はプロ入りしました。この年、新人王・最優秀投手・沢村賞など総なめでした。42勝した稲尾の
投球回数 404 回に対し 権藤は 429 ⅓ 回でした。

鳥栖高からブリヂストンに進み4年、権藤は巨人スカウト・沢田の目に留まり「喜んで巨人のお世話に
なります」と入団に前向きでした。しかし巨人から正式のオファーがなかなか来ません、当時の巨人は
水原監督から川上への監督交代で球団内がゴタゴタしていて新人獲得の件は後回しにされてました。
その間隙を突いたのが中日でした。律儀な権藤は巨人からの返事を催促しましたがナシのつぶて・・
しびれを切らした権藤は「プロならどこでも同じ」と中日と契約しました。

1年目は半数以上の67試合に登板して35勝、2年目も30勝とフル回転でしたが権藤の肩は1年目で
既に悲鳴をあげていました。15勝をあげて堂々と新人でオールスター戦に出場、そこで金田投手から
「権藤よ今みたいな使われ方をしてたら2年で潰れるぞ」と忠告されましたが、この時すでに肩に痛みを
感じていました。権藤本人も覚悟していたのか 「いいさ、ひと花咲かせようと飛び込んだプロの世界、
パッと咲いて パッと散る。太く短くがオレの性に合ってる」と常々 公言していました。

3年目 遂に肩はパンクしました。この年 10勝、翌年は6勝止まり、すると権藤は打者に転向しました。
やる事が破天荒というか無鉄砲な生き方をする選手でした。その後 再び投手に復帰しますが結局
30歳で引退しました。実質4年のプロ生活でしたがインパクトの強い投手でした。

  【投 手】     82 勝 60 敗 防 2.69 

  【打者転向時】 663打数 133安打 2割0分0厘 9本塁打 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #46 名投手列伝 | トップ | #48 大誤報 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

1978 年 」カテゴリの最新記事