去年のドラ❶ 中村武志:持ち前の強肩・強打も発揮できず。課題はプロのスピードに慣れること
入団当初から評価は高く、早ければ1年後には一軍でマスクを被れると言われていた。「遅くとも3年後には正捕手になれる」と田村スカウト部長。ところが1年を経過してみると、やはりプロの壁は厚かった。一軍経験はゼロ、二軍での成績は58試合・打率.216 ・1本塁打・7打点。高校時代は「記憶にない(中村)」という三振が19個だった。「全ての面でプロはスピードが違いました」と中村はプロ1年目を振り返る。守りに関しても鉄砲肩と言われて高校時代は盗塁を殆ど許さなかったがプロでは思うような結果は得られなかった。「確かに打撃も守りもいいものを持っているのは間違いない。ただ現状はその素質だけでやっている。プロで活躍するにはもう1段階上のレベルじゃないと苦しい」との声も。
中村が鳴り物入りで入団すると水沼四郎二軍バッテリーコーチがマンツーマンで中村の指導にあたった。「ポスト中尾。2~3年で中尾を超える選手に育てて欲しいと球団に言われている(水沼)」と " 中村係 " に任命された。ところが春のキャンプで「とりあえず3日間は彼の好きなようにやらせてみた(水沼)」が直ぐにメスが入った。「キャッチングが外へ外へ流れる癖と送球の際の腕の振りもコンパクトに修正した」と水沼コーチ。「肩は滅法強いし打撃もパワーは充分。でも送球ひとつとっても一連の動作が繋がっておらず、せっかくの強肩も宝の持ち腐れ状態。鉄は熱いうちに打て、だよ(水沼)」と。
プロ入り当初の自信が不安に変わった。「投手が投げるスピードから僕自身のスピードまで、あらゆる点で差が有り過ぎました」と振り返る中村だが、だからといって若武者は逃げたりはしない。「とにかく今は数多くの投球を受け、数多く二塁への送球をすることだと思ってます(中村)」全てはそこから始まる。「大先輩(中尾選手)のことは畏れ多くて今は何も言えませんが、練習を重ねれば僕だって何とかなる、と思ってます」とドラフト指名から1年が経過し中村はひたすら練習一途を強調した。ちなみに山内監督の採点は40点。水沼コーチは50点。中村本人は50点だった。
【 運命のドラフト当日:鹿島 忠 】
昭和56年11月20日。衝撃のあの日を鹿島投手は「今もって忘れない」と話す。故郷・鹿児島での職場は鹿児島鉄道管理局総務部だった。当時の鹿島は鹿鉄管理局のエースで監督さんから「ひょっとしたらドラフトで指名されるかもしれない」と言われて、ドラフト会議当日は三つ揃いのスーツに身を包み出勤した。「指名されるとしても下位指名だろうから夕方までちゃんと仕事をしろ、と上司に言われて通常通り働いてました(鹿島)」とノンビリしていたそうだ。第1報は昼過ぎに入った。「アレ、随分と早いなと驚いたが、1位指名と聞かされて二度ビックリしました。1位なんて絶対に無くて良くて4位指名くらいかなと思ってましたから(鹿島)」。それ以来、鹿島は世の中に " 絶対 " はない、と思うようになったとか。
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