伝統の一戦において最も熱い対決を繰り広げてきた選手と言えば長嶋と村山であろう。昭和11年2月20日、後の巨人軍黄金期の礎を築いたとも言える米国遠征中にハワイのホノルルに寄港した日に長嶋茂雄は生まれ、「洲崎の決戦」第2戦で宿敵沢村投手を打ち崩した同年12月10日に村山実は生まれた。2人は巨人と阪神の球団史の1ページを飾る年に生を受け、20余年後に同じ舞台へ上がる運命の申し子だった。
2人の初顔合わせは昭和34年5月10日の後楽園球場。初打席はストレートの四球、第2打席は遊ゴロ、第3打席は再び四球、そして次の打席にカウント1-2から本塁打。村山は同年齢ながら早生まれで1学年上の長嶋に天覧試合のサヨナラ本塁打をはじめ、ここぞと言う場面で痛烈な一発を浴びてきた。同時に長嶋は村山のフォークボールに幾度となくバットは空を切らされた。汗を飛び散らして全力投球する村山にフルスイングで応える長嶋との対決はファンを魅了した。
「1500奪三振は長嶋さんから取る」村山は昭和41年のシーズン前に早々と宣言した。長嶋が応える「たとえバントをしてでも記念の三振はしない。1501個目とか中途半端な数字で良ければOKだけどね」と。いよいよあと1個と迫った6月8日の甲子園球場での阪神-巨人7回戦6回表、先頭の柴田が二ゴロで倒れて打席に長嶋が入るとマンモススタンドが歓声で揺れた。1球目は直球でストライク、2球目は直球が高目に外れてボール、3球目はカーブが大きく外れる、4球目の直球を長嶋はフルスイングでファールとなりボールカウントは2-2。それはあの時と同じカウントだった。
7年前の昭和34年、長嶋23歳・村山22歳とほとばしる若さだけでぶつかり合って村山が激しく散った天覧試合。あれから年月を経てお互いに円熟期に入ったが情熱だけは当時から変わっていなかった。5球目は渾身のフォークボール、長嶋は前言とは真逆のフルスイングをしたが空を切りヘルメットが飛び大歓声でマンモススタンドが再び揺れた。「次は2000個だ。次も長嶋さんから頂く」の宣言通り3年後の昭和44年8月1日、場所も同じ甲子園球場で長嶋から外角低目のカーブで見逃し三振を奪い達成した。
昭和47年、兼任監督となった村山は10月7日甲子園球場で最後の巨人戦の先発マウンドに立った。14年間に渡り速球投手として生きて来た証として投じた直球にはもはや嘗ての勢いは失せていた。初回、王の2ランに続き長嶋も左翼席へ26号本塁打を放った。長嶋は「フルスイングする事がライバル村山実に対する礼儀」と語りこう付け加えた「彼の顔を見るのが辛かった…」と。ストレートの四球から始まり天覧試合、1500&2000奪三振、最後のONアベック本塁打と長嶋と村山の火傷をしそうなくらい熱いドラマは終焉を迎えた。
「長嶋 vs 村山」と来れば「王 vs 江夏」を語らない訳にはいかない。江夏は王に対しては直球勝負に拘っていた。勿論、変化球も投げた。だがここぞと言う場面でのウイニングショットは常に直球だった。昭和45年10月12日の甲子園球場、両チームは0.5ゲーム差で激しく首位争いを繰り広げていた。7回表2点のリードを守っていた江夏は一死満塁のピンチで王を打席に迎えた。簡単にツーナッシングと追い込んだ江夏は遊ばずに3球勝負に出た。外角低目に狙いすました直球はピクリとも動かない捕手のミットに吸い込まれた。「よしっ!次は長嶋さんか…」と視線をウェイティングサークルの長嶋へ移した瞬間、「ボール」とコールした谷村球審の声に江夏は耳を疑った。
捕手は振り返り血相を変えて抗議したが江夏は冷静さを保ち、妙な間が空くのを嫌って「いいから早く球を返せ」と捕手を諌めた。マウンドから見るマスク越しの谷村球審の表情に迷った末の『ボール』判定だったのを見て取った。「ならば今度こそ心置きなく『ストライク』とコールしてもらおうじゃないか」とばかりに続く4球目も同じく外角低目に直球を投げ込んだ。しかし判定は再び「ボール!」
「ふざけるなッ!!」こうなると江夏も冷静さを欠く。いつの間にか対戦相手は打席の王ではなく谷村球審に変わってしまった。意固地になった江夏は外角低目に投げ続けたが結果は押し出しの四球。マウンドに膝を付き動かない。緊張の糸が切れた江夏は続く長嶋を抑える事は出来ず逆転の適時打を許してこの試合を落とした。この年の巨人は追いすがる阪神を1ゲーム差で振り切り六連覇を達成した。あの場面で谷村球審が「ストライク」とコールしていたら巨人の九連覇は潰えていたかもしれない。
思えば昭和43年9月17日、同じ甲子園での巨人戦の7回表に王から三振を奪い354個のシーズン最多奪三振の日本記録を更新して以来、王に対してはことごとく直球で勝負してきた。阪神を去り南海、広島、日ハムと渡り歩いて来たが王と対戦する時は阪神時代同様に直球勝負を貫いた。広島在籍中に通算2000奪三振を王相手に達成した際に「これで王さんに借りは返せた」と言った時の江夏の表情は、ようやく「阪神・江夏豊」と言う呪縛からの解放感に満ち溢れていた。
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