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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#202 いぶし銀

2012年01月18日 | 1981 年 



前回の若手に続いて今回はベテラン選手たちの紹介です

基満男(横浜大洋)…今年プロ入り15年目を迎えた基は開幕早々のヤクルト戦で通算1500本安打を達成したが、それ以降はチーム同様に精彩を欠いている。よくあんなフォームでヒットが打てると言われるくらい基の悪球打ちは有名だ。顔の高さ位の糞ボールを大根切りで弾き返したり、内角へ食い込むシュートを無理やり流し打ったり。こうした一打はヤマを張っているのではなく相手投手の配球を読んだうえでの狙い打ちなのだ。「若い時はベンチに戻るたびに気づいた事をメモに書いていたけど今は頭の中に書いてる」そうだ。昨年はチームで唯一人ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞をダブル受賞した。基のプロ入りは寂しいものだった。突然に父を亡くし残された母や弟を養う為に駒大野球部を辞めて神戸の篠崎倉庫へ入社したものの充分な給料は得られず、知り合いのツテを頼りにテスト生同然で西鉄に拾ってもらった。「そりゃあ必死だったよ。なんとしても銭を稼がにゃあならんかったから。練習前に合宿所で最低200本のティーバッティングを中西(現阪神監督)さんに見てもらった。今でも中西さんには感謝している、モノになるかどうか分からん若造に付き合ってもらって」西鉄時代の良き仲間だった福富や船田が38歳まで現役だったから自分もあと4年はプレーしたいと考えているそうだ。「彼らには負けたくないからね。この体格で1500本もヒットを打てるとは思わなかった。正直言って体はしんどいけど、まだまだ辞められんよ」 
【 通算 1734安打 打率 .273 189本塁打】



山崎裕之(西武)…「山崎さんの一言で "よし頑張ろう" と思いました」今季2度目の完投勝ちした杉本投手が試合後に語った。初回一死後、河埜に中前安打され続くメイの併殺コースのセカンドゴロを山崎がトンネルするミスを発端に2失点。続く2回には二死後に藤原を四球で歩かせると山崎がマウンドへ歩み寄り「さっきはスマンかった。だがバックを信用してくれ、打たせて捕るお前のピッチングをすれば俺たちが守る」と一声かけた。杉本は立ち直り2回以降は南海打線を2安打に抑えた。あの山崎が…。ロッテ時代を知る人たちはそう思うに違いない。山崎が若手選手の精神的な支えになる事など信じられないであろう。ロッテに在籍していた時の山崎は孤独だった。「人嫌いになった時期が確かにあった」と山崎は振り返る。ドラフト制度が施行される前年つまり自由獲得競争の最後の年の昭和39年、山崎は埼玉・上尾高からプロ入りした。「長嶋2世」の呼び声高い大型遊撃手の獲得競争は熾烈を極めて契約金は当時の5千万円、現在で言うと1億2~3千万円まで跳ね上がった。入団後の高卒新人への風当たりは強かった。当時の東京オリオンズ(現ロッテオリオンズ)は田宮・葛城・山内など一癖も二癖もある猛者揃いで大金を手にした山崎はチームメイトから孤立していった。「誰も話しかけてくれない。打てなければザマァミロという眼で見られ、エラーをすると契約金ドロボーと陰口を言われた。まだ18歳の子供にですよ」と山崎は懐述する。ロッテ時代には心から語り合える同僚はいなかった。そういう世界なのだと諦めていたがトレードで新設球団の西武にやって来ると状況は一変した。プロ22年目の最古参・土井に「お前がチームのまとめ役をやれ」と言われ選手会長になった。これまでのプロ生活で培ってきた職人芸をいかんなく発揮できる場を与えられた山崎は水を得た魚の如く生き生きしている。「与えられた役目を完璧にやってのけたい。皆で力を合わせて優勝する事が目標です」人間嫌いから一転、今や西武の心技両面で支柱となっている。
【通算 2081安打 打率.265 270本塁打】



藤原満(南海)…日ハムとの開幕戦で木田と江夏相手に5打数3安打と好スタートを切り開幕8試合連続安打し、一時は打率.480 でトップに立った。「首位打者?早い早い。まだ始まったばかりだよ、でも好調の原因はケガの功名かな」ケガの功名とは、3月初旬の紅白戦で右手小指を脱臼してしまいオープン戦の出場時期が例年より大幅に遅れた。試合に出れない間は走り込みをして下半身を鍛えた。去年のオープン戦は絶好調だったが「それで舐めてしまった。ヒットなんていつだって打てると勘違いしてシーズンに入ったら全然打てない。おまけに左トリオがガンガン打つのに煽られて大きいのを狙ったらドツボにはまり開幕して暫くは1割台をウロウロ…」開幕連続安打は8試合でストップして打率も.349 と下がったが「そういつ迄も打てる訳がない。打てない時期があるのが当たり前で調子の悪い時にいかに1打席を大事にするかが大切なんだよ」 藤原が「1打席」の大事さを強調するのには訳がある。昭和51年のペナントレースで太平洋クラブ・吉岡と首位打者を激しく争って僅か7厘差で敗れた経験があるからだ。プロ入り13年目。ベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞には選ばれているがタイトルとは無縁。年齢的にもタイトル奪取のチャンスはそう巡っては来ない。「あの時に、1打席の重みを教えられた」「まずは3割を確実に打って、あとはコツコツ1本ずつ積み上げる。それには1試合1本が絶対条件、そう考えると無安打試合が続くのが最悪」 1180㌘のタイ・カップ式バットを手に打席に立ち、4度目の3割と初の首位打者を目指す藤原の働き如何が南海の浮沈を大きく左右する。【 通算 1334安打 打率.278 65本塁打 】


山崎は2千本安打も達成した一流選手ですが指導者には無縁です。名球会にも所属していて球界での人脈も有ると思いますが、やはり人間嫌いのせいでしょうか?余談になりますが、昔のベテラン選手はまさに「ザ・オッサン」でしたが最近は40歳過ぎの選手も昔ほど老け込んでいないと言うか、若いですね。それとも自分がオッサンになったから感じないのか・・今の若者には阪神・金本や中日・山本昌は充分にオッサンなんでしょうね?当時のロッテ・張本が今の金本より3歳も年下だったとは思えないですけど。昔はベテラン選手の多くがブクブクと太っていたから老けて見えたのでしょうか。

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