投壊現象で打線の改革も影うすく
長年の左腕不足は今年も大きく影響した
今季の各球団の左腕投手の成績は以下の通り
ここ数年、大洋は左腕不足に悩まされてきた。昭和57年は1勝5敗、翌58年は3勝6敗、昨年は0勝2敗と勝ち星以前に投げられる左腕自体が一軍に定着出来ずにいた。今季も3勝(久保2勝・広瀬1勝)のみで期待された大畑投手は0勝だった。しかし3勝しているとはいえ完投勝利はゼロ。左腕投手の完投勝利は佐藤投手(現ロッテ)が昭和56年8月3日の対ヤクルト戦まで遡る。そんな大洋に希望の光が。昭和53・54年のドラフト会議で指名しながら獲得できなかった木田投手を日本ハムからトレードで獲得した。実に7年越しに願いが叶った。最近は低迷している木田だが心機一転、新人時代のような大活躍をするよう期待している。
何故かドラフト1位指名投手が育たぬ体質
球団も左腕不足に手をこまねいていた訳ではない。最近は毎年のように真っ先に左腕投手に白羽の矢を立ててきたが一向に育つ気配が無い。昭和53年の高本投手(勝山高)は一軍で1試合も投げずに退団。昭和56年の広瀬投手(峰山高)は通算2勝止まり。翌57年の大畑投手(九州産業大)は今回の日ハムとの交換トレードで移籍。1位指名投手が育たないのは何も左腕に限った話ではない。昨年は鋭いフォークボールを武器に即戦力ナンバーワン投手の前評判だった竹田投手(明治大)を1位指名入札。巨人、中日と競合したが抽選で引き当てた迄は良かったが、1勝どころか一軍にすら昇格することはなかった。
一応成功を収めたスポーツカートリオ
近藤新監督は就任早々に内野陣の総入れ替えを断行しチーム内外を驚かせた。喝を入れられたチームは蘇った。昭和58年のチーム盗塁数は僅か78個、翌59年は110個に増えたが今年は更に増え188個でリーグ1位。大洋にとっては昭和25年の180個を更新する球団記録だった。個人では屋鋪58、加藤博48、高木豊42個と走り屋トリオが誕生した。同一チーム内に40盗塁以上が3人というのはプロ野球史上初の事。チーム打率は2割6分7厘で昨季の2割6分3厘と大差ないが、得点数が昨季の484点から589点と大幅に増えた要因の一つに機動力の充実があった。
番記者が選ぶベストゲーム
4月13日・対巨人の開幕戦(後楽園)で近藤監督が高笑いした。6対6で迎えた8回表二死一・二塁の場面で打席には今季から近藤監督が三番に据えた屋鋪。結果は右中間を破る決勝の3塁打。チームに3年ぶりとなる開幕戦の白星を呼び込んだ。「今日は屋鋪に尽きる」と近藤監督はしてやったりの笑顔。「だから僕の言った通りでしょ。屋鋪が三番に定着しないとウチは駄目なんですよ(近藤監督)」と。屋鋪の長打力に目を付けた近藤監督はバットを短く握らせて叩く打法を指導。一番から高木豊、加藤博、屋鋪の順に並べたのは単に足の速さだけで決めた訳ではなかった。そこには長打力という深い読みがあったのだ。「巨人を倒すのが僕のロマン」という近藤監督の思いに屋鋪が応えた。
監督も選手もよくよくドアを蹴っ飛ばすのが好きな今季だった
完敗だった。8月のナイターはただでさえ蒸し暑くてイライラするのに、斎藤投手(巨人)に僅か4安打完封負け。全く歯が立たないまま2時間51分で試合は終了した。報道陣は後楽園球場三塁側ベンチ裏の薄暗い通路に集まり「今日はヤバイな」「怒り心頭だぜ」などと口にした。下唇を突き出す仕草をする記者もいた。近藤監督が興奮すると下唇を尖らせて早口になる癖を真似たのだった。選手達がダグアウトから引き上げて来る。先頭は近藤監督だ。すかさず記者達が近寄ると「今日は無い!何も無い」と明らかに怒っている。「それにしても打てませんでしたね?」とある記者が質問すると「うるさい!耳が聞こえんのか!何も無い!!」と。しかし記者も食い下がる。「斎藤投手はどうでしたか?」と聞かれると「よそのチームのことなんか知るか!」
ハプニングはこの直後に起こった。監督室のロッカーに入ろうとしてドアノブを回したが動かない。ドアは試合が始まると係員が施錠し、試合が終了すると開錠する。ところがこの日に限って係員が開けるのが遅れたのだ。「ガシャ、ガシャ」ドアノブを回す近藤監督の手はブルブルと震え、顔は紅潮し始めた。イライラが頂点に達した近藤監督はドアに自分の体を当て始めた。バタン、バタンッと周囲に異様な音が響き渡り、その場に居合わせた誰もが押し黙ったまま数秒後、「ごめんなさ~い、遅くなりましたぁ」と係員の呑気な声が。しかし近藤監督の形相を見た瞬間、係員の顔がひきつった。「す、すいません。すぐに開けます」と手にした鍵の束から監督室のドアの鍵を探した。
ところが慌てている時はえてして事は上手く運ばない。幾つかある同じ型の鍵の中から監督室の鍵を見つけるのに手間取った。ようやく開いたドア。近藤監督が中に入りドアを閉めた瞬間、ガッシャーンと椅子を蹴り飛ばす大きな音が部屋の外へと響いた。この音に近藤和コーチ、小谷投手コーチの足がすくんだ。更に数秒後、今度はロッカーを蹴り上げる音が響いた。この夜の近藤監督は大荒れで球場を去り際に選手の浴室の扉とロッカーを蹴りつけて帰って行った。そこには近藤監督のスパイク底の黒いゴム跡が残っていた。それから数日後の8月24日の横浜スタジアムで今度は若菜選手が途中交代を不服としてベンチ裏通路の扉を蹴った。扉には穴が開くほどの激しさに亀井マネジャーは「監督に報告しておく」と怒鳴った。試合後、亀井マネジャーが近藤監督に事の顛末を報告しようとした瞬間、同じ扉を蹴り上げた。亀井マネジャーは黙ってその場を離れた。
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