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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 817 定岡兄弟

2023年11月08日 | 1977 年 



賢兄愚弟とか賢弟愚兄などいろいろ言われますが、野球の世界にもブラザー選手が何組かいる。ここに紹介する定岡・河埜・島本兄弟はファンにはつとに有名だが、3組とも幸いにも " 賢兄賢弟 " なのが楽しい。その羨ましい兄弟愛の言葉を聞いてみた。

兄・智秋(南海)から弟・正二(巨人)へ
今年の正月に弟(正二)に会い、「俺はレギュラー、お前は一軍入りを果たそう」と約束したが弟はキャンプ・オープン戦までは健闘したものの開幕一軍入りは成らず、自分のことのように悔しい思いをした。でも先日、弟が二軍で3勝目をあげて約束した一軍昇格を5月に果たした時は嬉しかった。弟はプロ3年目、自分は6年目。投手と野手との違いはあるが野球に対する思いは同じだと思う。自分は昨シーズンまでは若さに任せてプレーして失敗したりもしたが今は「こうすれば良い結果が出るのでは」と考えに余裕が出てきた。ひとつの失敗をくよくよ後悔していては次に同じような場面で消極的なプレーをして失敗を繰り返すのがオチだ。

一言で言えば失敗を恐れては何も出来ないということだ。弟にもそうした失敗を恐れない、思い切りのいいピッチングをして欲しい。一時は根気を無くして腐っているのではと心配していたが、晴れの一軍入りでそれが取り越し苦労だったと分かってホッとしている。思い返すと自分はプロ入り4年目から一軍に上がったのだから3年目に昇格した弟の方が優秀というわけだ。そんな幸運を絶対に離さないよう思い切って投げて欲しい。周りは弟のことを「お坊ちゃん」と言うが、あれで弟は人一倍負けん気が強いので活躍してくれるだろう。両親や親戚が望んでいる日本シリーズの舞台で兄弟が顔を合わせることも夢ではない気がしてきた。


弟・正二(巨人)から兄・智秋(南海)へ
兄貴とボク。はっきり言ってこのことを聞かれるのは好きではない。高校(鹿児島実業)時代からボクは絶えず兄貴と比較されてきた。高校に入学した時には兄貴は入れ違いで卒業していたが、いつも「お兄さんはこうだった、ああだった」という話ばかり聞かされて耳にタコが出来る状況だった。それはプロ入りしても同じ。取材でも必ず兄貴のことを聞かれる。おそらく兄貴も同じで " 定岡の兄" としてばかり注目され迷惑であったに違いない。しかし野球を離れればボクは兄貴を頼りにしている。正月に帰省する時は大阪の兄貴のところに必ず寄るし、普段から連絡を絶やさず近況を報告している。

今年はキャンプで一軍に上げてもらい一昨年から一軍で頑張っている兄貴に追いつけるかもしれないと淡い期待もあったが、オープン戦で結果を出せず開幕はまたも二軍スタート。「やっぱりダメか…」と諦めかけたが兄貴の激励を思い出し腐らず投げていたら一軍入りの朗報が届いた。今、兄貴との約束が果たせたその喜びでボクの胸はワクワクしている。打撃ベストテンに堂々と名前を連ねる兄貴を追いかける態勢が遅ればせながら整ってきた。とにかく1日でも早く1勝して「とうとうオレもやったぜ!」と報告したい。いつの日かオールスター戦でボクが投げ、兄貴が打つというシーンが実現できたら最高です。

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